第72話 共犯者の書類仕事
明日はいよいよ、ドワーフの国への遠征出発日だ。普通なら「未知の国への旅立ち!」とかワクワクするところなんだろうけど、俺の現状はそれどころじゃない。
ここ数日の俺たちの「やらかし」を思い出してみろよ。フェデが調子に乗って要塞サイズに巨大化した件。カインが俺のアドバイス一発で覚醒しちゃった件。
どっちも、普通のDランク冒険者には不可能な案件だ。あの疑り深い副団長オスカーの目は節穴じゃない。彼は確実に、俺を「クロ」だと確信している。
「……呼び出し、来ないな」
俺は部屋で荷造りをしながら、時計とドアを交互に睨んでいた。嵐の前の静けさか。それとも、いきなり地下牢行きの憲兵がドアを蹴破ってくるのか。ビクビクしながらアストラ(星霊剣)にボロ布を巻き直していると、ノックもなしに不意にドアが開いた。
「こんばんはぁ、ルークさん。荷造り進んでますかぁ?」
とろけた蜂蜜みたいな、間延びした声。現れたのは、同期のノルンだ。この狐獣人の娘は、パジャマみたいな恰好で入ってくると、当然のように俺のベッドの端(フェデが寝てないスペース)にちょこんと腰掛けた。
その手には、一枚の羊皮紙。セカイジュ騎士団の公印が押された、分厚い書類だ。
「これ、さっき副団長に提出しておきましたよぉ」
「え? なんだそれ」
「『ここ数日の異常事態に関する、教会視点の分析報告書』ですぅ」
嫌な予感しかしない。俺が中身を覗き込むと、そこには驚くべき――というか、開いた口が塞がらないレベルの「デタラメ」が、もっともらしい専門用語で綴られていた。
【件名:演習林における巨大生物目撃について】
分析:当該時刻、要塞周辺の霧が濃化。光の屈折率が変化し、フェデリオの影が霧に投影され、巨大に見えた『ブロッケン現象』の一種と断定する。魔的脅威なし。
【件名:候補生カインの急激な能力向上について】
分析:副団長オスカー殿による日々の熱心かつ適切な指導が、遅行性の成果として結実したもの。本人の潜在能力が開花しただけであり、外部からの干渉(ルーク等の助言)はあくまで些末なきっかけに過ぎない。
「……お前、これ」
「完璧でしょぉ? 副団長のプライドを守りつつ、ルークさんの異常性をぜーんぶ『自然現象』と『副団長の手柄』に書き換えてあげましたぁ」
ノルンは「えっへん」と胸を張る。狐の尻尾がご機嫌そうに揺れてる。
すごい。こいつ、詐欺師の才能がある。特にカインの件を「副団長の指導のおかげ」としたのは悪魔的だ。
オスカーは内心「違う、あれはルークのせいだ」と思っていても、公式文書で「あなたの指導のおかげです」と持ち上げられたら、それを否定するのは難しい。否定すれば「私の指導は無意味だった」と認めることになるからだ。
「……オスカー、どんな顔してた?」
「んー……。『……蜃気楼、か』って、苦虫を三匹くらい同時に噛み潰したような顔でハンコ押してましたよぉ。自分が騙されていることは分かってるけど、反論する証拠がない……って感じでぇ」
想像できる。あの堅物が、ギリギリと歯ぎしりしながら承認印を押す姿が。これで、俺への「公式な疑い」は晴れた(ことにされた)。遠征への参加も問題ないだろう。
憲兵も来ない。助かった、助かったけど――。
「……ありがとな。でもこれ、完全にオスカーを追い詰めてないか?」
真実を握りつぶされた挙句、偽りの手柄を押し付けられる。あのプライドの高い男にとって、それは屈辱以外の何物でもないはずだ。
「いいんですよぉ。ルークさんが捕まって実験動物にされるより、ここで働いてもらったほうが世界のためですからぁ」
彼女はとろんとした目で笑う。彼女は完全に俺の「共犯者」だ。教会のスパイという立場を利用して、俺の情報を上書きし続けてくれている。
……その代償が、後で高くつかなきゃいいけど。
「恩に着るよ、ノルン」
「いえいえ~。その代わり、今度王都で美味しいケーキ奢ってくださいね? 高いやつ」
「任せろ。ホールで買ってやる」
買収成立。ホッと息をついた、その時だ。
「あ、そうだルークさん」
部屋を出ていこうとしたノルンが、ドアノブに手をかけて振り返った。
「明日の遠征……副団長のこと、気をつけてくださいねぇ」
「え?」
「あの人、もうパンパンですよぉ。……風船なら、針一本で割れちゃうくらいに」
彼女の狐耳が、ぴくりと揺れる。それは予言めいた警告だった。誰も信じられなくなった上司と、正体を隠した部下たち。そんな爆弾みたいなパーティで、明日から旅に出るのか。
「……善処するよ」
俺はそう答えるしかなかった。ノルンが出ていった後、部屋には静寂が戻る。足元でフェデが「くぅん」と不安げに鳴いた。俺は相棒の頭を撫でながら、窓の外を見上げる。
夜空には、北の方角――明日向かうドワーフの山脈の上に、分厚い雲がかかっていた。書類で誤魔化せても、人の心までは誤魔化せない。
この遠征が、ただの任務で終わらないことを、俺も、精霊たちも、予感していた。




