第71話 カインの覚醒
夜だっていうのに、外がうるさい。いや、うるさいって言うと語弊があるな。空気を切り裂く音と、時折混じる唸り声。それから、なにかが焦げ付いたような匂い。
《世界樹守護聖堂砦(セント・アルボル要塞)》の夜は早い。規律に厳しい騎士たちは、明日の任務に備えてさっさと寝ちまうからだ。でも、中庭の隅っこ。石畳がちょっと欠けた訓練スペースにだけ、まだ熱気が渦巻いてる。
「……くそッ、だめだ……! 型が、ぶれる……!」
カインだ。 俺の同期で、いつも眠そうな顔をしてるくせに、こういうときは誰よりも頑固な男。
上半身裸で、汗だくになって木剣を振ってる。その剣筋は、正直言って見てらんない。迷いがある。焦りがある。なにより、「自分じゃない誰か」になろうとして、空回ってる感じがすごい。
『オイオイ、見てらんねぇなァ。アレじゃ火が酸欠で死んじまうぜ、ルーク』
俺の肩の上で、赤い毛玉が欠伸をした。炎の上位精霊、ヴァルだ。不可視化してるから、俺にしか見えない。
「しっ。静かにしろよヴァル。見つかるだろ」
『あ? 平気だろ。アイツ、自分の足元しか見えてねぇよ』
建物の影、柱の裏からこっそり覗き見してる俺たち。
カインが振るってるのは、副団長オスカー直伝の「ガルドリア正騎士剣術」の型だ。無駄がなく、洗練されてて、美しい。
まさにオスカーそのものって感じの剣技。だけど、カインには致命的に合ってない。
カインの霊核は、数値だけ見ればDランクからCの入り口あたり。大したことない。でも、あいつの霊素循環速度〈Flux〉は、感情に合わせて爆発的に跳ね上がる癖がある。
一定のリズムで美しく踊るオスカーの剣術とは、相性が最悪なんだ。
「……はぁ、はぁ、……なんでだ。副団長みたいに、なれねぇ……」
カインが膝をつく。木剣が地面を叩く。悔しそうな背中。
あいつは知ってるんだ。自分が「落ちこぼれ」だってこと。だから、一番すごいお手本であるオスカーに必死にしがみついてる。でも、それが逆効果だなんて、残酷すぎて誰も言えない。
「……行くか」
『お? お節介焼くのかよ。スローライフはどうした』
「うるさいな。寝るのに邪魔だから止めに行くだけだよ」
俺は嘘をついて、影から踏み出した。
「よう。精が出るな、カイン」
カインがビクリと肩を跳ねさせて振り返る。俺の顔を見ると、バツが悪そうに視線を逸らした。
「……なんだよ、ルークか。笑いに来たのかよ」
「笑わねぇよ。ただ、見てて息苦しそうだったからさ」
俺は適当な場所に腰を下ろして、カインの木剣を指差した。
「お前さ。なんでそんなに『綺麗に』振ろうとしてんの?」
「は? 当たり前だろ。副団長の教えだぞ。呼吸を整え、霊素を均一に練り上げ、静かに燃やす。それが騎士の……」
「それがお前に合ってんのか?」
俺の言葉に、カインが詰まる。
図星だったんだろう。違和感はずっと抱えてたはずだ。
「……合ってるもクソもあるかよ。俺には才能がねぇんだ。だから、正しい型を体に叩き込むしか……」
「違うな」
俺の言葉じゃない。ヴァルが、俺の耳元で小さく囁いた言葉を、そのまま翻訳して伝える。
「お前の火は、暖炉の火じゃない。……爆発だろ」
「え……?」
「綺麗に整えようとするから消えそうになるんだよ。お前の霊素は、感情で波打つ。だったら、その波を無理に抑え込むな。……吐き出せ」
カインが呆然とする。騎士団の教本には絶対に載ってない、野蛮なアドバイス。でも、カインの瞳の奥で、なにかが揺れた。
「吐き……出す……?」
「そう。剣を振る瞬間に、全部ぶちまけるイメージだ。型なんてどうでもいい。泥臭くても、汚くてもいいから、切っ先一点で爆発させろ」
俺は落ちてた小石を拾って、指先で弾く。
パチン
ただそれだけの動作に、ほんの少しだけ「爆発」のイメージを乗せる。
小石は空中で弾け飛んで、粉になった。
「……っ」
カインが木剣を握り直す。さっきまでの、オスカーを真似た優雅な構えじゃない。腰を低く落とし、獣みたいに前傾姿勢をとる。
不格好だ。騎士らしくない。でも、そっちの方がずっと「カインらしい」
「……うおおおおおッ!!」
カインが吠えた。踏み込みと同時に、地面が爆ぜるような音がする。
木剣が空気を裂く――いや、叩き潰すような一撃。
ドォォォォン!!
訓練用の太い丸太が、斬れるのではなく、内側から弾け飛んだ。
焦げた木片が舞い散る。一瞬だけ、カインの剣に赤黒い炎が纏わりついたのが見えた。
「は……ははっ……!」
カインが自分の手を見つめて笑う。汗だくの顔。でも、さっきまでの悲壮感はない。そこにあるのは、壁をぶち破った男の顔だ。
「できた……! なんだこれ、すげぇ……力が、抜けてく感じがしねぇ!」
『へえ。やるじゃん』
ヴァルが俺の襟首から顔を出して、満足げに鼻を鳴らす。
《炎の魔剣技》の基礎。 あるいは、我流の喧嘩剣法。名前なんてどうでもいい。カインだけの武器が、今ここで生まれた。
「サンキューな、ルーク! お前、やっぱすげぇよ! なんで副団長の言うことより、お前の適当なアドバイスの方がしっくりくんだよ!」
カインが俺の背中をバシバシ叩く。痛いって。でもまあ、悪くない気分だ。
同期が強くなるのは、俺がサボる……じゃなくて、俺が後ろで楽をするためにも必要なことだしな。
……そう思ってた。あの視線に気づくまでは。
建物の二階。暗がりになったテラスから、誰かが見下ろしていた。
月明かりが雲に隠れて、顔は見えない。でも、その立ち姿だけでわかる。完璧な姿勢。微動だにしない影。
オスカーだ。
(……見られてたか)
俺は背筋が冷たくなるのを感じた。オスカーは、なにも言わなかった。
カインに「よくやった」と声をかけることも、俺に「余計なことをするな」と怒ることもない。ただ、じっと見ていた。
自分が手塩にかけて、正しい型を教え込もうとしていた部下が、ぽっと出の新人(俺)の、たった一言のアドバイスで覚醒した瞬間を。自分の教えを捨てた瞬間に、強くなった姿を。
それは、指導者としての敗北だ。いや、もっと根深いなにか。
(……やばいな)
俺の精霊視が、嫌なものを捉えていた。オスカーの周りの霊素が、淀んでる。
いつもは澄んだ蒼炎みたいな色をしてるのに、今は……黒い煤が混じったみたいに、重く、粘つくような色。
「……ルーク? どうした?」
カインが不思議そうに俺を見る。俺は慌てて視線を戻し、なんでもないと首を振った。
「いや……そろそろ寝ないと、明日の遠征に響くぞって思ってさ」
「お、おう! そうだな! よーし、明日もやってやるぜ!」
カインは明るい。自分の成長に夢中で、上司の闇に気づいてない。
俺たちは宿舎に戻る。背中に、突き刺さるような冷たい視線を感じながら。
***
誰もいなくなった中庭。オスカーは、手すりを握りしめていた。ミシミシ、と硬い石材が悲鳴を上げる。
「……なぜだ」
声が漏れる。誰に問うているのかもわからない。
「私は、王族だ。ガルドリアの剣だ。誰よりも正しく、誰よりも努力し、誰よりもこの国を思っている」
カインの指導には時間をかけた。彼が落ちこぼれだからこそ、基本を徹底させることが慈悲だと思った。
なのに。
『なんで副団長の言うことより、お前の適当なアドバイスの方がしっくりくんだよ!』
カインの無邪気な言葉が、呪いのように鼓膜に張り付いて離れない。
「……ルーク」
あいつは、何者なんだ。剣を交えたときもそうだった。わざと負けた。私に情けをかけた。
フェデという規格外の霊獣を従え、そして今、私の部下を、私よりも深く理解し、導いてみせた。
「……私は、間違っていたのか?」
正しい型が。伝統ある騎士の剣が。あんな、野良犬のようなデタラメな剣に劣ると言うのか。
「……違う」
否定したい。否定しなければ、私が積み上げてきた全てが崩れる気がした。
「……認めない。認めてなるものか」
握りしめた拳から、血が滲む。その血の熱さに呼応するように、オスカーの胸の奥で、なにかが蠢いた。
嫉妬。焦燥。劣等感。
王族としての誇りが、歪な形に変質していく。
《……求めよ。力が欲しいと》
どこからともなく、声が聞こえた気がした。風の音か。それとも、幻聴か。甘く、粘着質なその声は、オスカーの心のひび割れに、水のように染み込んでいく。
《正しさが報われるとは限らない。ならば……報われるための力を》
オスカーはハッとして周囲を見渡す、誰もいない。
ただ、月が雲から顔を出し、彼の影を長く、黒く地面に伸ばしていた。
その影が、一瞬だけ、彼の意思とは無関係に揺らいだように見えた。
「……疲れているのか」
オスカーは額の汗を拭う。だが、胸に残ったドス黒い炎は消えない。
明日からの遠征。ルークがいる。カインがいる。
「……私が、証明してやる」
オスカーは闇に向かって呟く。誰よりも正しく、誰よりも強いのは、この私だと。そのためなら――。
彼の双眸に宿る光は、いつもの澄んだ蒼ではなく、どこか深く、暗い色を帯び始めていた。




