第69話 アストラの不調
胃が痛い。ここ数日、もはや口癖みたいになってる気がするけど、ほんとうに痛いんだからしょうがない。
特務候補生寮、俺の個室。 本来なら「サウナ付き最高!」とか言ってふやけるまで風呂に入ってるはずの夕暮れ時に、俺はベッドの上で頭を抱えていた。
目の前には、愛用の剣。 ……いや、剣っていうか、正確には「鞘」だ。 ボロボロの布を巻いて偽装した、ただの木の棒にしか見えないこいつ。中身は世界樹の枝から削り出された、星霊剣アストラなんていう大層な名前の国宝級、いや世界遺産級の代物なんだけど。
「……なぁ、ヴァル。これ、気のせいか?」
俺はおそるおそる、鞘の表面を指でなぞる。 指先に伝わるのは、木の滑らかな感触――ではなく。 ざらりとした、微細な段差。
『あー……気のせいじゃねぇな』
枕元で胡座をかいていた赤毛の子狐――炎の上位精霊ヴァルが、あくび混じりに答えた。尻尾の先の炎が、ゆらゆらと不穏な色に揺れている。
『ヒビ入ってんな。ピシッといってるぜ、ピシッと』
「やっぱりかよ……!」
俺は叫びそうになるのを必死で飲み込んだ。
壁一枚隔てた隣には、あの「副団長様」がいるのだ。俺のくしゃみひとつすら聞き逃さない勢いで監視してる、あの堅物王子が。
声を潜めて、俺は鞘を睨みつける。よく見なくてもわかる。鞘の中央あたりに、蜘蛛の巣みたいな亀裂が走っていた。
これ、ただの劣化じゃない。内側から「圧」がかかって割れかけてるやつだ。
「なんでだよ……これ、世界樹の枝だろ? 鉄より硬いんじゃなかったのか?」
『おやかたの霊素が強すぎるんじゃよ』
ベッドの下から、のっそりと土ゴーレム――土の上位精霊オルドが顔を出した。頭の上の鉢植えを揺らしながら、やれやれと溜息をつく。
『ただでさえ、おやかたは、規格外の霊素垂れ流しとるじゃろ。この前の地下水路とか、暴走根の一件とか……無意識にこの鞘を通して力を放出しすぎなんじゃ。器が耐えきれず悲鳴を上げとる』
「……マジか」
心当たりがありすぎて反論できない。 俺の霊核スコアは28,910。人間の形をした台風みたいなもんだ。それを無理やり「Dランク」の皮に押し込んで、余ったエネルギーをこの鞘に逃がしてた節がある。
つまり、俺の安全弁代わりになってたこいつが、そろそろ限界ってことか。
「ラグ、なんとかならないか? 水でくっつけるとか」
『無茶を言わないでください、ルークさま』
宙を泳ぐ人魚のラグが、冷ややかな視線を送ってくる。
『木材の組織破壊は、水では治せません。それに、このヒビから漏れ出している霊素……かなり危険ですよ』
言われて、精霊視を凝らしてみる。 ぞっとした。亀裂の隙間から、青白い光が漏れてる。 まるで、高圧ガスが漏れてる配管みたいに「シューッ」て音が聞こえてきそうだ。
『これ、次に本気で振ったら砕けるんじゃねぇか?』
「……砕けたら、どうなる?」
『中身の星霊剣が剥き出しになる。そしたらお前、隠蔽なんて意味なくなるぞ。世界樹の光がドカーンと溢れて、ここら一帯が聖域化しちまう』
雷のアルクが、楽しそうに――いや、全然笑い事じゃないことをさらっと言った。
《聖域化》騎士団本部のど真ん中で、そんなことになったら、もう「野良勇者」どころの騒ぎじゃない。 「
精霊王降臨しました!」って看板掲げてパレードするようなもんだ。 俺のスローライフ計画(すでに瀕死)が、完全に死亡する。
「……詰んだ」
俺はベッドに突っ伏した。 足元で寝ていたフェデが、「わふぅ?」と心配そうに顔を覗き込んでくる。お前の飯代のために騎士団入ったのに、これじゃ飯を食う前に処刑台送りだよ。
『……風が、囁いております』
カーテンレールに止まっていた小鳥――風のフィオが、静かに告げた。
『嘆いている場合ではありませぬ、我が王よ。幸い、次の行き先は北』
「……北?」
『ドワーフの山脈、《グラナイト・クラウン》。そこに、古き盟約の鍛冶師がいるはずです』
あ、そうか。総団長が言ってた。今回の遠征の目的の一つは、「ドワーフからの新装備の受け取り」。 つまり、世界最高の鍛冶師たちに会えるってことだ。
「……直せるか? ドワーフの技術で」
『普通の職人じゃ無理じゃろうな』
オルドが重々しく頷く。
『じゃが、あの山には「鍛冶王」がおる。あやつなら、あるいは……世界樹の素材を扱えるかもしれん』
鍛冶王ハルド。 名前は聞いたことがある。人間嫌いで偏屈な頑固親父だって噂だけど、背に腹は代えられない。
俺はガバッと起き上がった。
やるしかない。遠征中にアストラが爆発四散する前に、なんとかしてその鍛冶王とやらにこいつを押し付けて、修理してもらうんだ。
これはもう、任務とか以前の「生存競争」だ。
コンコン。
心臓が止まるかと思った。 ノックの音。 精霊たちが、一瞬で姿を消す。ヴァルは枕の下へ、ラグは水差しの中へ、オルドは床の木目へ。フェデだけが「くぅーん」とあざとく首を傾げて、普通の犬のふりをする。
俺は慌ててアストラを毛布でくるんで隠し、「はいっ!」と裏返った声を出した。
「……私だ」
やっぱり。扉が開いて、副団長オスカーが入ってくる。相変わらず、隙のない完璧な制服姿。髪一本乱れてないのが逆に怖い。
その鋭い蒼銀の瞳が、部屋の中を一巡する。俺の顔、ベッドの上の不自然な盛り上がり(アストラ)、そして愛想を振りまくフェデ。
「……出発の準備は済んでいるか」
「あ、はい! 完璧です! 着替えも、保存食も、フェデのおやつも!」
「……ふん。遠足気分か」
オスカーは呆れたように鼻を鳴らすと、ツカツカと部屋に入ってきた。
やばい。近い。
こいつ、勘が鋭いんだよな。アストラから漏れてる微量な霊素に気づかれたら……
俺は冷や汗を流しながら、さりげなくベッドの前に立ちはだかる。
「な、何か用ですか? 副団長自ら、点呼なんて」
「……貴様が妙なものを持ち込んでいないか、確認しに来ただけだ」
オスカーの目が、俺の背後の毛布に向けられる。
ドキッとした。
まさか、見えてるのか?
「……最近、貴様の部屋から妙な気配がするという報告がある。時折、ボソボソと話し声が聞こえるとかな」
「は、ははは! 独り言ですよ! 俺、寂しがり屋なんで、フェデに話しかけてるんです! なー、フェデ?」
フェデが空気を読んで「わん!」と元気よく吠える。
オスカーは眉をひそめ、フェデを一瞥した。 一瞬、その表情に影が差す。
あの「要塞もふもふ事件」以来、こいつはフェデに対して複雑な感情を持ってるみたいだ。自分の上位霊獣がフェデに怯えたこと、まだ根に持ってるんだろうか。
「……まあいい」
オスカーは興味を失ったように視線を外した。
「出発まであと三日あるが、気を抜くなよ。……貴様は私の部下だ。私の顔に泥を塗るような真似は許さん」
「了解です! 泥なんて塗りませんよ、せいぜい犬の毛くらいで」
「……減らず口を」
オスカーは不機嫌そうに踵を返すと、部屋を出て行った。扉が閉まる瞬間、背中で語っていた。
『お前など信用していない』と。
バタン、と扉が閉まる。俺はその場にへなへなと座り込んだ。
あぶねぇ……寿命が三年くらい縮んだ気がする。
『……行ったか?』
枕の下からヴァルが顔を出す。
『あいつ、やっぱピリピリしてんな。焦げ臭いのが強くなってやがる』
「ああ……」
俺は毛布をめくり、再びヒビ割れた鞘を見つめる。
オスカーの焦り。
アストラの亀裂。
どっちも、いつ壊れてもおかしくない時限爆弾みたいだ。
俺たちは、これを抱えたまま北へ向かうのか。 しかも、出発までの残り三日、絶対にこの剣を使わずにやり過ごさなきゃいけない。
「……まぁ、なんとかなるだろ」
自分に言い聞かせるように呟く。なんとかしなきゃいけないんだ。スローライフを取り戻すためにも。
そして、あいつ――オスカーが、変な方向に爆発しないためにも。
俺はアストラを背負い袋の奥底に突っ込むと、フェデの背中に顔を埋めて、深いため息をついた。遠征へのカウントダウンは、もう始まってる。




