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第7話  白濁した魔水晶の戦慄

「……はぁー。……行ったか、やっと」


 パタン、と分厚い革張りの扉が閉まる音がした。 途端に、肩の力がドッと抜けていく。  

 俺は背もたれに全体重を預けて、天井のシミをぼんやりと見上げた。肺の底にヘドロみてぇに溜まってた嫌な熱気が、重たい溜息と一緒に吐き出されていく。


 ここはギルドマスター室。 さっきまでの新入り登録ラッシュの喧騒が嘘みてぇに、今は静まり返ってる。  

 壁一枚隔てたロビーからは、冒険者たちの話し声やジョッキをぶつけ合う音が聞こえてくるけど、今の俺にはまるで別世界の出来事みたいに遠い。

 目の前の机には、布を被せた『アレ』が置いてある。 俺は震える手でポケットを探って、安物の葉巻を取り出した。  


 火をつける。 吸い込む。 紫煙を吐き出す。……味がしねぇ。


「おいおい、ビビりすぎだろ俺……」


 自嘲気味に呟いて、俺は意を決してその布をめくった。  

 そこにあるのは、さっきまで透明な輝きを放っていたはずの『霊核計測装置レゾナンス・ゲージ』の成れの果てだ。


 砕けてるわけじゃない。 ヒビひとつ入ってない。 なのに、真っ白だ。  

 牛乳を流し込んだとか、濃い霧を閉じ込めたとか、そんな生易しい白さじゃねぇ。  

 まるで、恐怖のあまり白目を剥いて気絶した獣みてぇな、生気のない白濁。


 そっと、指先で触れてみる。


 ――ビクリ。


 指先に伝わってきた感触に、反射的に手を引っ込めた。  

 冷てぇ。 氷みたいに冷え切ってるのに、内側で何かが小刻みに震えてやがる。  

 耳を澄ませば、微かに音が聞こえる気がした。 キィィィィン……っていう、ガラスを爪で引っ掻いたような、あるいは断末魔のような高い音。 


「故障、か……。ハッ、そう思いたいよな」


 俺たちギルドに置いてあるこの簡易型ゲージは、あくまで一般人用だ。 測定できる霊核レベルは、各項目1000、総合値で3000まで。  


 それ以上は『計測不能』として針が止まる仕様になってる。  

 今までにも、王都から来たAランクの騎士とか、引退した老魔導師が針を振り切らせたことはあった。  

けどよ、水晶がこんな風に変質したことなんて一度もねぇ。


 これは、許容量オーバーで壊れたんじゃない。

 

 『畏怖』だ。

 

 この水晶に入ってる世界樹の欠片が、あの青年の内側にある『ナニカ』に触れて、あまりの格の違いに絶望して、自ら心を閉ざしちまったんだ。

 

 白旗を上げたんだよ。「降参です、もう許してください」ってな。


「……3000が限界のオモチャじゃ、測れるわけがなかったってことか」


 王都のセカイジュ騎士団本部にある本式のゲージなら、上限値はそれぞれ7倍の21,000まで測れるって話だ。  

 あそこなら、この怪物の正体が暴けるのか? いや、もしかするとそれすらも……。


 俺の脳裏に、あの青年の顔が浮かぶ。 ルーカス・ヴァレリオ。 ひょろっとした優男で、争いごとは苦手ですって顔をしてた。  

 Dランクのカードを渡したとき、あいつは本気で喜んでたな。「よかったぁ」って、心底安堵した顔で。  

 ……つまり、あいつ自身も『知ってる』ってことだ。 自分がヤバい存在だってことを。


 だからこそ、隠したがってる。


 それに、あの犬だ。 フェデリオとか言ってた、ゴールデンレトリバー。  

 愛想よく尻尾振って、ミリアにも腹見せて甘えてたが……俺は見逃さなかったぞ。  

 あの犬が部屋に入ってきた瞬間、棚の上の魔除けの護符が、音もなく裂けたのを。

 ただの魔除けが「格の違い」に耐えられなくて弾け飛んだんだ。 ファルニッシュ? 馬鹿言え。 あんな濃密な霊気を纏った犬っころがいてたまるか。


「……報告だ。これだけは、やっとかねぇと俺が死ぬ」


 俺は葉巻を灰皿に押し付けると、机の引き出しから一枚の羊皮紙を取り出した。  

 特殊な加工がされた、王都直通の緊急連絡用ペーパーだ。

 インク壺に羽根ペンを浸す。 ポタリ、と黒い滴が落ちる。


 宛先は――ガルドリア王国 王都ヴァルドンガルド。

 セカイジュ騎士団、総本部。 総団長、アウストレア・ラインハルト殿。


 手が震えるのを左手で無理やり押さえつけて、俺はペンを走らせた。  

 丁寧な挨拶なんていらねぇ。事実だけを、ありのままに書く。


『本日、グレイウッド支部にて未確認の霊核異常者を検知』

『氏名:ルーカス・ヴァレリオ。Dランク登録』

『計測時、簡易型ゲージ(上限3000)が瞬時に破損。物理的な破壊ではなく、霊素過多による“白濁停止” を確認』

『同伴する霊獣(犬型)にも、極めて高位の霊素反応あり』


 そこまで書いて、ペンを止める。 これだけじゃ、ただの「有望な新人」だと思われるかもしれん。  

 騎士団のエリートどもは、地方の報告なんて鼻で笑って読み飛ばすからな。  

 もっと、俺が感じた危機感を伝えなきゃならん。 この水晶の“死に様”を。

 俺はゴクリと唾を飲み込み、追記する。


『計測器の水晶は、白く濁ったまま微振動を続けている』

『これは故障ではない。“畏怖”だ』

『至急、本部の調査員派遣を要請する。この新人は、俺たちの手には負えん』


 書き終えた羊皮紙に、封蝋を垂らす。  

 赤い蝋がじゅっと音を立てて固まるその上に、ギルド支部長の印章を強めに押し付けた。


 よし。


「……ミリア! ちょっと来い!」


 ドアに向かって怒鳴ると、すぐにパタパタと軽い足音がして、ミリアが顔を出した。  

 相変わらず能天気そうな顔してやがる。


「はいはいー、なんです? あ、もしかしてルーカスさんの追加資料ですか?」

「……お前なぁ、あいつのこと気に入ったのか?」

「えー、だってフェデちゃん可愛かったし! ルーカスさんも優しそうじゃないですか。なんかこう、放っとけない感じというか」

「……はっ、女の勘ってやつか? まあいい」


 俺は封をした羊皮紙と、布でくるんだ『白濁した水晶』を、鉛を張った木箱に詰めた。

 隙間に緩衝材代わりの藁を詰め込みながら、ミリアに低い声で告げる。


「これを、王都行きの最速便に乗せろ。通常の定期便じゃねぇぞ、『黒鷹ブラックホーク』便だ」

「えっ? 黒鷹って……緊急時用の、すごく高いやつですよね? 中身なんなんですか? 壊れた機械の修理依頼にしては……」


 ミリアが目を丸くする。 そりゃそうだ。黒鷹便なんて、魔獣の大群が迫ってるとか、戦争が始まったとか、そういうレベルでしか使わねぇ。  

 一回の輸送費で、Dランク冒険者の年収が吹っ飛ぶ。


「中身は聞くな。……いいか、絶対に中を見るなよ。それと、配送員には『セカイジュ騎士団本部、総団長室直通』と伝えろ。途中で止めるな、とな」

「そ、総団長室……!? 支部長、まさかあの方、指名手配犯とかですか!?」

「……違う。まだな」


 俺は木箱の蓋を釘で打ち付けながら、窓の外を見る。 グレイウッドの街並みは、今日も平和そのものだ。

 

 夕暮れ時の市場の喧騒、酒場から漏れる笑い声。  

 そしてそのどこかで、あの規格外の青年が、のんきに飯でも食ってるんだろう。


「指名手配ならまだマシだ。捕まえりゃ終わるからな」

「え?」

「なんでもねぇよ。ほら、急げ! 今日中に出せ!」

「は、はいっ! 行ってきます!」


 ミリアが木箱を抱えて飛び出していく。 その後ろ姿を見送りながら、俺は再び椅子に深々と沈み込んだ。 新しい葉巻を取り出す気力もねぇ。

 もし俺の勘が正しければ。 あいつは、この世界の「モノサシ」をへし折る存在だ。騎士団が持ってる上限21,000のゲージなら測れるのか?  


 いや、もしかするとそれすらも……。


「……勘弁してくれよ。俺は静かに引退生活を送りたいだけなんだがなぁ」


 天井のシミを見上げながら、重い溜息を吐く。  

 白濁した水晶の残像が、まぶたの裏に焼き付いて離れなかった。


 * * *


 一方その頃。  グレイウッドの大通りにある宿屋『月下葡萄亭』


「うっま……! なにこれ、うっま!」


 ルーカスは、涙目でスプーンを握りしめていた。  

 目の前にあるのは、何の変哲もないクリームシチューと、焼きたての黒パン。だが、前世の社畜時代にコンビニ弁当と栄養ドリンクだけで命を繋いでいた彼にとって、この温かい手料理は、どんな高級フレンチよりも尊い「命の味」だった。


「わふっ! わふぅー!」

「お、フェデも食うか? ほら、肉だぞ肉」


 足元では、Dランク登録のお祝いとして奮発した骨付き肉(特大)に、フェデがかぶりついている。  

 尻尾がプロペラみたいに回転していて、その風圧で床のホコリが舞い上がっていた。


「いやー、よかったなフェデ。Dランクだよ、Dランク! 下から2番目ランクだぞ? つまり、誰からも期待されないってことだ!」


 ルーカスはジョッキのエールをあおり、プハァと息を吐く。  

 ギルドでのあの騒ぎ――計測器が光って止まったあれは、本当に肝が冷えた。  

 だが結果オーライだ。「故障」ってことにしてくれたギルド長には、感謝してもしきれない。いい人そうだったし、今度菓子折りでも持っていこうかな。


「これで明日からは、薬草採取とかドブ掃除とか、そういう地味〜な依頼をこなしつつ、この街でのんびり暮らすんだ。魔王とか世界とか、騎士団とか、そういう面倒なのは全部エリート様にお任せしてさ」


 幸せな未来予想図を語るルーカスの横顔は、希望に満ち溢れている。  

 彼の手にある鉄製の冒険者カードが、ランプの光を鈍く反射していた。

 まさか自分のしでかしたことが、王都の騎士団総本部を揺るがす大騒動の種になっているとは、露ほども知らずに。

 

 そして、その「エリート様」たちが、血眼になって自分を探し始める未来がすぐそこまで来ていることも、まだ知らない。


「さーて、明日は何の依頼を受けようかなー! 楽しみだな、フェデ!」

「わふっ!(おかわり!)」


 平和な夜。 嵐の前の静けさというには、あまりにも賑やかで、幸せな夕食の時間が流れていた。


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