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第66話  第一王子レオンハルト

 目が潰れる。視界の全部がピカピカと無遠慮に光を反射していて、逃げ場がない。  

 天井を見上げればシャンデリアの暴力的な群れ。足元は鏡みたいに磨き上げられた大理石。  

 そこら中から漂ってくるのは、鼻の奥にへばりつくような甘ったるい香水の匂いと、それより遥かに質の悪い――ドロドロした「値踏み」の気配だ。


 息が詰まる。ガルドリア王城、《ヴァルドン城塞宮》。その大広間で行われている、騎士団と貴族の交流夜会とかいう地獄。  

 俺たち特務候補生も「顔見せ」だのなんだので引っ張り出されたわけだけど、正直、今すぐにでも窓から飛び降りて逃げ出したい。

 首元が苦しい。慣れない礼服の襟が、まるで絞首刑の縄みたいに食い込んでくる。  

 だいたい、俺だけならまだしもだ。 隣を見下ろせば、もっと悲惨なのがいる。


 フェデだ。

 

 俺の相棒にして、世界樹最上位霊獣。……のはずの、あのフェデが。首に、蝶ネクタイなんか巻かれてやがる。 しかもド派手な赤色のやつ。  

 本人は「解せぬ」みたいな顔で床に伏せて、死んだ目をしている。周りの貴族のご婦人方からは「まあ、可愛らしい!」「お利口さんねぇ」なんて黄色い声が飛んでくる始末。  

 完全に「貴族の愛玩動物ペット枠」 あのなぁ、こいつが本気出したら、お前らの屋敷ごとこの城まで消し飛ぶんだぞ。  

 そのギャップが凄すぎて、もう哀愁とか通り越して乾いた笑いしか出てこない。


「わふ」

「……ああ、わかってる。あの肉はあとで確保してやるから。今は『置物』に徹してろ」


 フェデが琥珀色の瞳で、テーブルの上のローストビーフをじっと見つめている。俺も同感だ。さっさと食って帰って、寮のふかふかベッドで泥のように眠りたい。  

 カインは緊張でロボットみたいにギギギって動いてるし、ノルンは壁際ですでに立ったまま半目で船を漕いでるし。  

 そんな、場違い極まりない俺たちとは対照的に。広間の中心で、一身にスポットライトを浴びて立っている人物がいた。


 第二王子、オスカー=ヴァルド・ガルドリアン。俺たちの監視役兼、副団長様だ。

 今日のあいつは、悔しいくらいに完璧だった。白銀に深い紺の刺繍が入った礼装を隙なく着こなし、背筋を定規で引いたみたいにピンと伸ばして、群がる貴族たちの挨拶をさばいている。


「ええ、辺境の守りは万全です」

「騎士団の再編も順調に進んでおりますとも」


 笑顔は優雅で、言葉選びも完璧。まさに絵に描いたような「理想の王子様」  

 だけど、精霊視(俺の目)で見ると、まるで別物に見える。あいつの周りの霊素、なんていうか……張り詰めすぎて、いまにも切れそうなピアノ線みたいだ。


『ルーク。あの男、また無理をして笑っておるな』


 ふところの中で、火の玉になったヴァルがこっそり囁く。


「……静かにしろ。バレるだろ」

『ふん。あんな能面みたいな顔、見てて息が詰まるぜ』


 ヴァルの言う通りだ。オスカーの「完璧」は、どこか痛々しい。

 周りの貴族たちは彼を褒めそやしているけど、その目の奥には「所詮は二番手」「副団長という名の飾り」っていう、冷笑めいた色が混じってる。オスカーもそれに気づいていて、なおさら意地になって背筋を伸ばしてる感じだ。  


 やれやれ、胃が痛くなりそうだ。俺が視線を逸らそうとした、そのときだった。

 空気が、変わった。

 ざわめきが波が引くように消えて、広間の温度がすっと下がる。大扉が開いて、ひとりの男が入ってきただけなのに。それだけで、場の「重力」が書き換わったみたいだった。


 第一王子、レオンハルト=ヴァルド・ガルドリアン。

 オスカーとよく似た、でも決定的に何かが違う端正な顔立ち。  

 あいつが「鋼鉄の剣」なら、この人は「氷の剃刀かみそり」だ。  

 静かで、冷たくて、触れたら血が出るような鋭さ。着ているのは派手な装飾のないシンプルな礼服なのに、そこにいるだけで全員が彼を見る。圧倒的な「王」の気配。


「……兄上」


 オスカーの声が、少しだけ上擦ったのがわかった。取り巻きの貴族たちが、蜘蛛の子を散らすみたいに道を空ける。  

 レオンハルト王子は、悠然と歩いてオスカーの前に立った。  

 兄弟の対面。絵画みたいに美しい光景だけど、流れてる空気は完全に断絶してる。


「久しぶりだな、オスカー」


 レオンハルトの声は、よく通る低音だった。感情の色がない。


「はい。兄上も……ご健勝のようで何よりです」


 オスカーが深く頭を下げる。その所作に乱れはない。レオンハルトは、弟を値踏みするように視線を滑らせた。まるで美術品についた傷を探すみたいに。


「聞いたぞ。先の仕事、ずいぶんと……“泥臭い”働きをしたそうじゃないか」

「……!」


 オスカーの肩がびくりと跳ねる。地下水路の件か、それとも別件でのことか。  

 俺たちはあれを「立派な指揮官」だと思ったけど、この人の口から出ると、それはまるで「王族の面汚し」みたいな響きになる。


「現場を知ることも、指揮官の務めかと」  


 オスカーが絞り出すように答える。レオンハルトは、ふっと口の端だけで笑った。笑ってるのに、目がまったく笑ってない。精霊視で見える彼の霊素は、冷え切った蒼銀色。計算と打算で固められた氷河だ。


「そうか。現場、か」


 レオンハルトが一歩、オスカーに近づく。そして、誰にも聞こえないような――でも、風の精霊フィオの加護がある俺の耳にははっきりと届く声量で、耳元に囁いた。


「――それで?いつまで続けるつもりだい?その“副団長ごっこ”は」


 時が止まった気がした。


 ごっこ。  


 オスカーがあんなに必死に、泥にまみれて、プライドを削りながら守ろうとしているものを、この人はたった一言で「遊び」だと断じた。


「……兄上、私は」

「いいんだ。お前にはそれが似合っている」


 レオンハルトは弟の肩を、ポンと軽く叩いた。それは労いじゃなくて、「お前の限界はそこだ」っていう烙印を押すような手つきだった。


「精々、兵隊たちと仲良くやるといい。国を動かす(・・・・)のは、私の仕事だ」


 言い捨てて、レオンハルトは背を向けた。もう用は済んだと言わんばかりに、オスカーを一瞥もしない。  

 残されたオスカーは、微動だにしなかった。拳を握りしめているわけでもない。ただ、だらりと下げた手が、血の気が失せて真っ白になっているだけだ。


 ――あ、これ。見てはいけないものを見てしまったな。  


 俺は思わず、フェデの背中の毛をむしりそうになるくらい強く握りしめていた。  

 オスカーの背中が、小さく見えた。

 いつもあんなに威張って、胸を張って、俺たちを監視してくるうるさい副団長が。今は、ただの「愛されない弟」としてそこに立っている。


『……ひどい風圧です』  


 フィオの声が、頭の中に響く。


『あの方の言葉は、やいばそのもの。オスカー様の心のいちばん柔らかいところを、的確に切り裂いていきました』

「……ああ」

『どうなさいますか、我が王(ルーク殿)』


 どうするもこうもないだろ。いま俺が割って入って、「いやいや、副団長は頑張ってますよ!」なんて言ってみろ。オスカーのプライドは粉々だ。  

 あいつが一番欲しがってるのは、慰めじゃない。「兄に認められること」あるいは「兄を超えること」

 でも、それは今のオスカーには、残酷なくらい遠い。


 レオンハルトは強い。政治力とか立場だけじゃない。霊核なかみが違う。  

 あいつは迷ってない。自分の冷酷さを、王の資質として完全に受け入れてる。

 

 対してオスカーは、迷ってばかりだ。理想と現実、兄への劣等感、勇者への憧れ。  

 そんなぐちゃぐちゃな荷物を抱えて、それでも必死に立とうとしてる。


 俺は、どっちが「人間として」好きかって言われたら、断然オスカーだ。  

 不器用で、面倒くさくて、でも誰より真っ直ぐなあの副団長が。  

 でも、この世界ガルドリアで「王」に相応しいのはどっちだって聞かれたら――悔しいけど、あの氷みたいな兄貴の方なのかもしれない。


 オスカーが、ふっ、と息を吐いて顔を上げた。

 

 その表情は、もういつもの「完璧な副団長」に戻っている。……戻して(・・・)いる。 仮面を被り直す速さが、逆に痛々しい。


「……行くぞ、ルーク。カインたちもだ」


 こちらに歩いてきたオスカーは、俺たちに短く声をかけた。声が、少しだけ掠れていた。


「もう帰るんですか? 肉、まだ残ってますけど」

 

 俺はあえて、空気の読めない部下のふりをした。


「……気分が悪い。貴様らも、明日の訓練に響くぞ」


 それだけ言って、オスカーは出口へと歩き出す。 その足取りは、逃げるようにも見えたし、何かを振り払おうとしているようにも見えた。

 広間の出口付近で、オスカーは一度だけ振り返った。  

 視線の先には、貴族たちに囲まれて談笑するレオンハルトの姿。そのとき、オスカーの瞳に宿った光を、俺は見逃さなかった。

 

 憧れ?違う。  

 絶望?それもある。  

 でも、もっとくらくて、ドロドロとした――黒い炎みたいな熱。


『……おい、ルーク』  


 懐で、炎の精霊ヴァルが忌々しげに吐き捨てた。


『あいつの火、色が変わり始めてやがる。……すすけて、ドロドロしたもんが混ざってやがる』


 俺は何も言わず、フェデの首をぽんぽんと叩いて、オスカーの後を追った。  

 夜会の華やかな光が、今の俺たちには、やけに冷たく感じられた。

 

 副団長ごっこか。  

 あんた、とんでもない呪いをかけていきやがったな、あの兄貴。

 オスカーの背中が、城廊の長い影に飲み込まれていくのを、俺はただ黙って見ていることしかできなかった。




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