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第65話  精霊たちの懸念

 風呂、最高。 マジでこの世の真理だと思う。 地下水路で全身に浴びたドブの臭いと、なんかよくわからんヘドロの粘り気を、要塞自慢の大浴場で根こそぎ洗い流した後の、この爽快感。


「……生き返ったぁ」

 

 特務候補生寮、205号室。 自室に戻った俺は、干したてのシーツの匂いを胸いっぱいに吸い込んで、ふかふかのベッドへダイブした。  

 隣にはフェデ。ドライヤーで乾かしたて、もふもふ黄金毛並みが、やたら輝いてる。で、俺の腹の上にどさりとあごを乗せてくるわけだ。

 

 重い、でも温かい、最高かよ。 これだよ俺が求めていたのは、こういうささやかな平穏なんだ。 昼間の激闘?泥だらけの副団長?全部忘れて、今はただ惰眠をむさぼりた――


『――で、どうすんだよルーク』


 唐突に、虚空から声が降ってきた。バチッ、と赤い火花が弾けたかと思うと、俺の枕元に生意気そうな子狐が着地していた。  

 赤い毛並み、青白く燃える尻尾。炎の上位精霊、ヴァルだ。


「……風呂上がりに火の粉を散らすな。シーツが焦げるだろ」

『細かいこと気にすんなって! それより今日の話だ、今日の!』

「うっさいなぁ……」


 俺が文句を言う間もなく、部屋のあちこちから気配が湧き出す。  

 窓枠には緑の小鳥フィオ、机の上には水の人魚ラグ、床にはドシッとあぐらをかいた土のゴーレム(オルド)、本棚の隙間からは雪ウサギ(フロス)、そしてカーテンレールに器用にぶら下がる金色の雷竜アルク


 六体勢揃い。六上位精霊、フルコンプリート。  

 ……狭い。  


 ただでさえ特大サイズのフェデがいるのに、ここに精霊六体って。人口密度ならぬ精霊密度が高すぎる。部屋の霊素レイソ濃度が飽和して、空気がビリビリ震えてるんですけど。誰か換気扇回してくれ。


『旦那! 今日のあの動き、しびれたぜぇ!』

 

 アルクがバチバチと放電しながら飛んでくる。


『あのタイミングで風穴開けるとかよぉ、やっぱ旦那のセンスはイカレてらぁ!』

『下品ですよ、アルク』

 

 ラグが水球でアルクの鼻先をペシッと叩く。


『ルークさまはお疲れなのです。少しは静かになさい』

『わたくしも同感です。……部屋の温度が上がっています。頭を冷やしましょうか、ルーク様』

 

 フロスが長い耳をピコピコ動かし、室温を一気に三度くらい下げた。寒い、やめて、湯冷めする。


『ふむ……しかし、おやかた』  


 重厚な声が響く。床に座り込んでいたオルドが、鉢植えみたいな頭をゆっくりと上げた。


『今日の“石”の動き……あれは少々、無理をさせたのう』

「石? あぁ、地下水路の壁か」  


 俺は天井を見上げたまま答える。


「崩れそうだったからな。フィオの風を通すとき、ついでにオルドの力借りて地盤を固めたんだよ。バレない程度にな」

『まったく。おやかたの“バレない程度”は、職人が見たら卒倒するレベルじゃがな』  


 オルドが呆れたように、でも嬉しそうに笑う。

 こいつら、俺がただ寝転がってるだけだと思ってるだろうけど、昼間の戦闘中も裏でしっかり連携取ってたんだよな。  

 俺が指一本動かすだけで、六属性が勝手に最適解を出してくる。 便利すぎて怖い。これを「Dランクの新人です」って言い張るの、改めて無理ゲーなんじゃないか?


『そんなことより、だ』  


 ヴァルが俺の腹の上――フェデの頭の上に乗っかって、真剣な顔(狐だけど)を近づけてきた。


『あの副団長のことだよ。……オスカーとか言ったか?』  


 空気が、すっと変わった。 騒いでいたアルクも、涼しい顔をしていたフロスも、一斉に動きを止める。  

 精霊たちが、視線を交わす。言葉にしなくてもわかる。こいつらが何を言いたいのか。俺だって、気づいてないふりをしてただけだ。


「……オスカーが、どうした?」  


 あえて軽く聞いてみる。


『危なっかしいんだよ、あいつ』  


 ヴァルが吐き捨てるように言った。


『今日の立ち回り。泥被って部下を守ったアレな。……騎士としちゃ上等だ。あいつと契約してる炎の精霊――グランだっけか?あいつも「あるじの誇りだ」って自慢げに燃えてたけどよ』  


 ヴァルは鼻を鳴らす。


『オレから見りゃ、あれは“せ我慢”だ。炎が綺麗すぎるんだよ』

「綺麗ならいいじゃんか」

『違うんだよルーク! 炎ってのはな、もっとこう、すすけたり爆ぜたりして燃えるもんだろ? あいつの炎は、形が決まりすぎてる。「こう燃えなきゃいけない」って枠に、無理やり自分を押し込んでる感じがするんだよ』

『……焦げ臭い、ですね』

 

 ラグが同意する。


『燃やしている燃料が良くありません。“誇り”で燃やしているつもりでしょうが、あれの正体は“焦り”です。不完全燃焼の煙が、心の底でくすぶっています』

『……風も、同じことを告げております』

 

 窓枠のフィオが、静かに翼を閉じた。その知的な瞳が、どこか遠くを見るように細められる。


『我が王よ。あの方の周りには、常に強い向かい風が吹いております。……いえ、あの方ご自身が、風に逆らって歩くことを“是”としているような』

「逆風か」

『はい。前に進もうとする意志は尊い。ですが……』  


 フィオは言葉を濁す。


『急ぎすぎておられます。風を読む暇もなく、ただ前へ、上へと。……あのままでは、いつか乱気流に足を取られましょう』


 精霊たちの評価は、辛辣しんらつなくらい一致していた。  

 オスカー=ヴァルド・ガルドリアン。王族で、副団長で、エリートで。今日の地下水路で見せた姿は、間違いなく「理想の指揮官」だった。

 泥にまみれ、先頭に立ち、部下を鼓舞する。カインなんか、もう完全に心酔してたしな。

   

 だけど俺の中の精霊たち――つまり「世界そのものの視点」から見ると、それは危うさの裏返しに映るらしい。


『旦那、オレも同感だぜ』  


 アルクが天井からぶら下がりながら、珍しく真面目な声を出した。


『あいつ、何かを見てねぇんだよな』

「見てない?」

『ああ。目の前の敵とか、部下とか、そういうのは見てる。すげぇよく見てる。……でもよ、肝心なもんを見てねぇ』  


 アルクは鼻先でバチッと火花を散らす。


『“自分自身”だよ。自分がどうしたいか、何が楽しいか。そういうのを全部どっかに置いてきて、「あるべき姿」ってやつだけを追いかけてる。……オレたちゃ、そういう無理してる奴の霊核コアが一番、暴走しやすいって知ってるからな』


 ――自分を見ていない。その言葉が、妙にに落ちた。  

 オスカーの目は、いつもどこか遠くを見てる。兄である第一王子か。それとも、光り輝く勇者エリシアか。  


 今日のあの行動だって、純粋な正義感だけじゃない。「王族として完璧であらねばならない」っていう強迫観念みたいなものが、背中を押していたように見えた。


『おやかた』  


 オルドが低い声で唸る。


『地盤が硬すぎる土地は、地震が来たときに一気に割れる。……あやつの心は、硬い岩盤じゃ。柔軟さがない。誰かが支えてやらんと、大きな亀裂が入るぞ』

「……買い被りすぎじゃないか?」

 

 俺は苦笑いして、フェデの背中を撫でた。 「あいつは強いよ。Aランクの霊核に、上位精霊の契約。それに今日の指揮を見てただろ? 俺なんかが心配しなくても、立派な英雄になるさ」

『ルーク様』  


 フロスが、冷ややかな、でもどこか悲しげな声で遮った。


『氷は嘘をつきません。……あの方の熱は、光(勇者)への憧れで燃えていますが、その影には、凍てつくほどの“恐れ”があります』  


 赤い瞳が、俺を射抜く。


『……もし、その光に届かないと悟った時。あの方はどうなるのでしょうね』


 部屋がしん、と静まり返った。精霊たちの懸念は、ただの悪口じゃない。  

 こいつらは世界の「ことわり」そのものだ。霊素の流れを通じて、本質的な危うさを感じ取ってる。  

 魔素、あるいは魔王の影。そういった“悪いもの”は、心の隙間に忍び込むのが得意だ。今のオスカーは、まさにその隙間だらけの状態にあるってことか。


「……どうしろってんだよ」  


 俺は溜息混じりに呟く。 「俺はただのDランク騎士候補生だぞ? 副団長のメンタルケアなんて管轄外だ。下手に踏み込めば、余計にこじらせるだけだろ」  

 そう。俺ができることなんてない。変に励ましたりすれば「あわれみか!」って激昂されるのがオチだ。先日の模擬戦の二の舞いだ。

 

 放っておくのが一番。  

 関わらないのが正解。  

 わかってる、わかってるんだけど……

 ――いい踏み込みだった。  

 

 泥だらけの手でカインを助け起こした、あの時のオスカーの顔が脳裏をよぎる。  

 不器用で、プライドが高くて、面倒くさい人だけど。根っこは、本当に「いい奴」なんだよな。  

 救いたいとか、守りたいとか、そんな大層な使命感じゃない。ただ、あんなに頑張ってる人間が、報われないまま壊れていくのを見るのは……なんというか、寝覚めが悪い。


「わふ」  


 フェデが、俺の頬を舐めた。琥珀色の瞳が、「るっきーは甘いなぁ」と言いたげに細められている。


「……うるさい。甘いのはお前の餌だけで十分だ」

 

 俺はフェデの首元をもふもふと掻き回し、精霊たちを見渡す。


「ま、なるようになるだろ。……あいつが道を踏み外しそうになったら、そのときはまた、こっそり風でも吹かせてやるさ」

『……ふん。お人好しめ』

 

 ヴァルが呆れたように鼻を鳴らし、すっと霊体化して俺の中に消えた。  

 他の精霊たちも、それぞれ光の粒子となって俺の霊核へ戻っていく。部屋の霊素密度が下がり、ようやく普通の空気になった。


 電気を消して、目を閉じる。壁一枚隔てた隣の部屋――オスカーの個室からは、まだ微かに衣擦れの音と、時折、何かが風を切る鋭い音が聞こえてくる。  

 ヒュッ。ヒュッ 素振りだ。こんな時間まで、まだ自分を追い込んでいるのか。  

 その音が、妙に焦燥感を含んでいるように聞こえて、俺は布団を頭まで被った。頼むから、折れないでくれよ、俺たちの副団長様。

 

 そんな祈りにも似た独り言は、誰に届くこともなく夜の闇に溶けていった。



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