第64話 連携の芽生え
「らァァァッ!! 汚ねぇんだよ、失せろッ!」
水面が爆ぜた瞬間だった。 カインが飛び出した、まるで弾かれたパチンコ玉みたいに、一直線。
バカ。アホ。待てって。 号令は「陣形を組め」だぞ? お前の耳は飾りか? 恐怖を怒鳴り声で無理やり塗りつぶして、泥水を蹴散らしながら突っ込んでいく背中。若いっていうか、青いっていうか。
オスカーの「待て!」って鋭い制止も、血が上った今のあいつには届かない。
二刀が閃く。速い。そこは認める。昨日俺が夜中にこっそりアドバイスした「重心移動」もできてるし、踏み込みも鋭い。昨日の今日でこれかよ。才能あんな。
刃が、スライムの横っ腹と思われる場所に突き刺さる。
ズプッ
……嫌な音がした。肉を斬る音じゃない。腐った果実に棒を突っ込んだみたいな、湿った感触の音。
「――え?」
カインの動きが、不自然に止まる。 抜けない。 粘着質のヘドロが、剣を噛んで離さないんだ。蟻地獄だ。引けば引くほど食い込んでいく。
スライムがぐにゃりと形を変えた。ゴムみたいに伸縮して、埋まった剣ごとカインの腕を飲み込もうと波打つ。
さらに、身体の一部が鞭みたいにしなって、無防備なカインの頭上へ振り上げられた。先端には、どこかで拾ったらしい錆びた鉄骨が埋まってる。
あれ、質量兵器だろ。直撃すれば首が飛ぶ。 あいつ、死ぬ気か? 剣を捨てろよ!
(……チッ!)
俺が助けに入るか? いや、ここから間に合わせるには身体強化をフルで回すしかない。そうすりゃ衝撃波で地下道の天井ごと崩れるし、俺の「Dランクの凡人」って設定が木っ端微塵だ。
アストラの鞘に手をかけ、ほんの数ミリ、覚悟を決めて霊素を練った。
その刹那。
「下がれェッ!!」
轟音。 俺の目の前を、白銀の流星が横切った。 オスカーだ。 あの煌びやかで「汚れるのが死ぬほど嫌いそう」な副団長が、泥水を蹴り飛ばして、カインと化け物の間に身体ごと割り込んだんだ。
ガギィィィィンッ!!
スライムの触手が、オスカーの構えたタワーシールド(大盾)に激突する。
重い。音が重すぎる。鉄骨同士がぶつかったみたいな衝撃音が、狭い水路に反響して鼓膜を揺らす。
普通なら吹き飛ぶ威力だ。腕の一本くらいへし折れててもおかしくない。
だけど、オスカーは一歩も引かなかった。腰を低く落とし、ブーツの踵を石畳の隙間にねじ込んで、全身を「城壁」に変えて耐えきった。
盾の表面が、ぼうっと赤く熱を帯びる。契約している炎の上位精霊の加護か。熱で触手の衝撃を殺したんだな。
「ぐ、うぅぅ……ッ!」
「ボサッとするなカイン! 武器を回収して態勢を立て直せ!」
オスカーが叫ぶ。盾の向こうでは、スライムが苛立たしげに触手を乱打していた。
ガン、ガン、ガンッ!
盾が悲鳴を上げるたびに、オスカーの顔が苦痛に歪む。いくら加護があっても、衝撃までは殺しきれない。綺麗な鎧がへこみ、泥にまみれていく。
……あーあ。王子様が泥だらけだ。でも、なんでだろうな。王城で澄ました顔をしてたときより、今のほうがずっと、本物の「騎士」に見える。
とはいえ、さすがに防戦一方じゃジリ貧だ。相手は不定形。物理攻撃は吸収されるし、盾で防いでも「包み込まれたら」終わりだ。
ここじゃ派手な火魔法も使えない。地下には可燃性のガスが溜まってるかもしれないし、爆発したら全員生き埋めだ。
どうする。どうするよ、ルーク。
(精霊視、開放)
俺は思考を加速させる。視界の色が変わる。世界が霊素の流れとして再構築される。
汚い灰色の塊の中に、一箇所だけ、赤黒く脈打つ光点が見えた。 「核」だ。
魔素の塊。あれが、あのゴミ山を動かしてる心臓。 潰せば崩壊する。
場所は、スライムの中央深部。肉厚なヘドロの奥。物理攻撃は届かない。魔法で焼き払うには、外側のヘドロが邪魔すぎる。なら――こじ開けるしかない。
『ルークさま。……手伝いましょうか?』
懐の水精霊ラグがささやく。
(いや、水で押しても混ざるだけだ。泥遊びしてる場合じゃない)
『燃やせ! 燃やしちまえよルーク! 俺の炎なら一瞬だぜ!』
(ヴァルは黙ってろ! ガス爆発で死にたいのか。丸焼きになるのは後で食う肉だけでいい)
俺は視線を巡らせる。オスカーが耐えている。歯を食いしばって、泥だらけになりながら、部下の盾になっている。
カインが剣を構え直している。顔面蒼白だけど、逃げてない。まだ戦意は死んでない。二人の視線が前に向いている今なら。 一瞬の「不自然」も、戦場の混乱で誤魔化せるかもしれない。
(フィオ)
『御意。……風穴、でございますね? 我が王』
さすが風の精霊。参謀タイプは話が早くて助かる。
俺はそっと息を吸い込み、誰にも気づかれないように右手の指を少しだけ動かした。魔法を撃つんじゃない。 ただ、ここの空気の流れを「少しだけ」変える。
ほら、あそこに地上へ続く通気口があるだろ? あそこから、たまたま、偶然、ものすごく都合よく強い風が吹き込んだふりをして。
(――穿て)
ヒュオッ。
地下水路に、場違いな突風が生まれた。鋭い一陣の風。
それが俺たちの脇をすり抜けて、不可視の槍みたいにオスカーの盾を越え、スライムのど真ん中へ突き刺さる。 斬撃じゃない。 超高圧の風圧による、強制排斥だ。
「ギィッ!?」
怪物が奇妙な音を立てた。風が泥を左右に押し広げる。まるで海が割れるみたいに、ブヨブヨの体がドーナツ状にこじ開けられていく。
ほんの数秒、風が通り抜ける一瞬だけ。でも、それだけで十分だった。泥の奥底で明滅する、赤黒い魔石のような核が、完全に露出したんだ。
今だ!!
「――ッ!?」
オスカーが目を見開く。 風がどこから来たのか、なんて考えてる暇はない。
彼は歴戦の戦士だ。目の前に「勝ち筋」が転がり込んできたら、理由より先に体が動く。盾を叩きつけて敵を怯ませ、叫んだ。
「カイン!! 突けぇッ!!」
「は、はいッ!!」
カインが吠えた。 さっきの失敗なんて忘れたみたいに、全力の踏み込み。 昨日、俺がアドバイスした通りだ。腰を落とし、重心を低く、剣先に体重を乗せて。
それは、ただの突きだったけど。迷いのない、いい一撃だった。
ズドォォン!!
剣先が核を貫く。 硬質な破砕音。パリン、とガラスが割れるような音が響いた。
核が砕けた瞬間、スライムの巨体が痙攣し、維持していた形を保てなくなって崩れ落ちた。
ドシャアァァァ……
汚泥の山が、ただの汚水に戻っていく。飛び散るしぶきを、俺はとっさにフェデの背中に隠れて回避した。
「はぁ……はぁ……ッ」
カインが膝をつく。 肩で息をしながら、自分がやったことを信じられないって顔で剣を見つめている。手が震えてるのがここからでもわかる。
オスカーも、ゆっくりと盾を下ろした。 その顔には泥が跳ね、整った銀髪も湿気で張り付いているけど、やっぱりどこか絵になるから腹が立つ。
俺? 俺はほら、後ろでフェデを守るふりして縮こまってましたよアピールだ。 フィオが起こした風の余韻を、手でパタパタ払って誤魔化しながら。
「……助かりました、副団長。カインも、ナイス」
俺がおずおずと声をかけると、オスカーがゆっくりと振り向いた。 その蒼銀の瞳が、俺を射抜くように見つめてくる。
やばい。バレたか? 風が不自然すぎたか?それとも、俺が指を動かしたのを見られた?いや、タイミングは完璧だったはずだ。
心臓が嫌な音を立てる。オスカーは黙ったまま、ジャリ、ジャリと泥を踏んで俺に歩み寄り――
「……悪くない」
へ? 思わず間抜けな声が出そうになった。
「風魔法か? いや、魔導具を使ったのかは知らんが……あのタイミングでの援護。あれがなければ、カインは死んでいたかもしれん。……いい判断だった」
オスカーの声は、いつも通りの硬い口調だった。でも、そこには明確な熱があった。
この人は、結果を出した相手には、身分とか立場とか関係なく敬意を払うんだ。たとえそれが、生意気で得体の知れない部下(俺)であっても。
「ぐ、偶然ですよ。なんか風が吹いて……通気口から、こう、ビューッと」
「謙遜は美徳だが、過ぎれば嫌味になるぞ。……それに、運も実力のうちだ」
オスカーはフッと短く鼻を鳴らすと、へたり込んでいるカインの方へ向かった。そして、泥だらけの手を差し伸べる。
「立てるか、カイン。……いい踏み込みだった」
「あ……副団長……!」
カインが泣きそうな顔でその手を取る。白い手袋が泥で汚れるのも構わずに、力強く引き上げる。
……なんだよ、いい上司じゃねぇか。 少しだけ、胸の奥がチクリとした。 俺は力を隠してる。嘘をついてる。 でも、この人は全部さらけ出して、泥をかぶって、部下を守った。
俺が求めてる「スローライフ」のために、この人を利用してる気がして、ほんの少しだけ罪悪感が湧く。
(敵わねぇなぁ、本物の騎士様には)
俺は苦笑いして、足元のフェデの頭をわしゃわしゃと撫でた。
フェデが「わふぅ」と慰めるように鳴く。こいつには全部お見通しか。 地下水路の悪臭は相変わらずだけど、少しだけ空気が澄んだような気がした。
……ま、バレてないならヨシとするか。 そう思っていた俺は、この時まだ気づいていなかった。
去り際、オスカーが俺に向けた視線が、単なる「部下への評価」を超えて、底知れないライバルを見るような鋭さを帯びていたことに。そしてその感情が、やがて取り返しのつかない火種になることにも。
「さあ、戻るぞ。……シャワーを浴びたい」
オスカーが心底嫌そうな顔で自分の鎧を見た。
「ですね。俺、もう鼻が死にそうです」
カインが笑う。俺たちは泥だらけのまま、地上への階段を登り始めた。 とりあえず今は、早く風呂に入りたい。 切実に、それだけだった。




