第61話 休日、城下町視察
休み、やすみ。
ああ、なんて甘美な響きなんだろう。この三文字だけで白飯が食える。いや、食わなくていい。今はただ、泥のように眠らせてくれ。
入団してからこっち、俺の網膜に焼き付いていたのは、愛想のない石壁と、男汁全開の訓練場と、視界の暴力みたいなマッチョ先輩たちの暑苦しい笑顔だけだった。
だから今日くらい、人間としての尊厳を取り戻させてほしい。
布団という名の聖域。ここから出たら死ぬ。俺はそういう病気にかかっている。
足元にはフェデの温かい腹毛。最高だ。このモフモフに顔を埋めて、日が落ちるまで意識を飛ばす。それが俺の選んだ今日の冒険だ。文句あるか。魔王が来たって俺は動かないぞ。テコでもな。
――ガンッ!!
そんな鋼鉄の決意は、蹴り飛ばされたドアの悲鳴と共にあっさり死んだ。
「起床ッ! 総員、外出準備!」
は? 飛び起きて枕を盾にする俺の前に、仁王立ちする人影ひとつ。
逆光で顔が見えない。でも分かる。この無駄にいい姿勢。休日だっていうのに、首元までキッチリとボタンを留めたシャツ。定規で引いたみたいに鋭いプレスの入ったズボン。
第二王子にして副団長。そして俺の平穏を食い荒らす天敵(監視役)。オスカー=ヴァルド・ガルドリアン様のお出ましだ。
「……あのさぁ、副団長。今日、オフですよね? 俺の記憶が確かなら、カレンダーの数字が赤かった気がするんですけど」
「オフだ。だからこそ貴様の監視が必要なのだ」
オスカーは腕組みをして、ふん、と鼻を鳴らした。
「貴様のような規格外を、休日に野放しにしてみろ。昼寝の寝返りひとつで兵舎が半壊するかもしれん」
「しませんよ! 俺をなんだと思ってるんすか!」
「歩く災害」
即答かよ。ひどいな。まあ、否定しきれない実績があるのが辛いとこだけど。
で、監視って何するんです? 狭い部屋で一日中、男二人で睨めっこ? 地獄かよ。それなら俺は意地でも寝ますけど。
「外出するぞ。支度をしろ」
「……は?」
「貴様らはまだ王都の構造を把握していない。有事の際、路地裏ひとつ頭に入っていないようでは市民を守れん。よってこれより、城下町の『視察』を行う」
視察ぅ? それ、世間一般では「街ブラ」って言うんじゃねぇの? 俺がポカンとしていると、オスカーの背後からひょっこりと顔を出した奴らがいた。
「へへっ、そういうことだぜルーク! たまには息抜きしようぜ!」
「んむぅ……ルーク君、おいしいお店教えてくださぁい……」
ニカッと白い歯を見せるカインと、相変わらず夢の中に半分片足を突っ込んでるノルン。 なるほどね。
どうやら俺の愛しい休日は、開始五秒で「副団長と行く! 地獄の強制遠足」に書き換えられちまったらしい。
はぁ、マジかよ。勘弁してくれ。
***
ガルドリアの王都、ヴァルドンガルド。鉄と石で組み上げられた無骨な軍事都市だけど、坂道を下って外郭の市場エリアまで来ると、意外なほど活気があった。
肉を焼く煙。鼻をくすぐるスパイスの匂い。商人のダミ声。行き交う人々は兵士が多いけど、みんな非番なのか表情は緩んでる。
「わふっ! わふぅ!」
俺の足元では、フェデが尻尾をちぎれんばかりにブン回して、あちこちの屋台に熱視線を送っていた。わかるよフェデ、いい匂いだもんな。朝飯食ったばっかりだけどな。俺の財布が泣いてるぞ。
「おい、列を乱すな。ヴァレリオ、その犬の手綱をしっかり握っておけ」
オスカーが眉間に深い皺を寄せて指示を飛ばす。
彼、私服なのに歩き方が完全に「軍人のそれ」なんだよな。背筋がピンとしすぎてて、周りの人たちが「お、偉い人が来た」って感じで勝手にモーゼみたいに道を空けちゃう。
目立つってば。
「副団長、もうちょっとリラックスしましょうよ。せっかくの休みなんですから」
「街の視察だと言ったはずだ。有事の際、どの路地が避難経路になり得るか、常にシミュレーションを……」
「あー! うまそー! ルーク、あれ食おうぜ!」
カインがオスカーの高尚な講釈をぶった切って指差したのは、串焼きの屋台だった。
巨大な脂身たっぷりの肉が、炭火の上でジュウジュウと音を立てて暴れている。タレの焦げる匂いが、暴力的なほど食欲をそそるやつだ。
『特大ボアの串焼き』。一本で大銅貨三枚。安い。
「いいな。フェデの分も買うか」
「わふっ!(肉!)」
「待て」
財布を取り出そうとした俺の手を、オスカーがガシッと掴んで止めた。
その視線は、串焼き肉に釘付けになっている。いや、食いたいわけじゃなさそうだ。むしろ、新種の魔獣でも見るような目で凝視してる。
「……なんだ、その黒い物体は」
「え、串焼きですけど」
「衛生状態はどうなっている? 直火とはいえ、屋外で、しかも素手で調理しているなど……王家検疫を通していない肉を摂取するなど自殺行為だ」
うわあ。出たよ、深窓の王子様ムーブ。 こちとら落ちたもんでも「三秒以内ならセーフ」ってルールで生きてきた冒険者だぞ。
『ケッ、軟弱な王子サマだぜ。肉なんて焼けばだいたい大丈夫なんだよ!』
懐の中で、透明化した炎の精霊ヴァルが呆れたように毒づく。お前は黙ってろ、熱いから。
「オスカーさん、おいしいですよぉ? ほら、あーん」
ノルンがいつの間にか買ってきた串を、とろんとした目でオスカーの口元に差し出した。この子、怖いものなしかよ。副団長だぞ?
「ば、馬鹿者! 私は職務中であり……むぐっ!?」
抗議しようと口を開けた瞬間、ノルンが絶妙なタイミングで肉を突っ込んだ。
オスカーの目がカッと見開かれる。
咀嚼。
ごくん。
「…………」
沈黙
カインと俺が固唾を飲んで見守る中、オスカーは口元のタレをハンカチで上品に拭い、ボソッと言った。
「……悪くない」
「でしょー! お兄さん、追加で四本!」
「おい待て、私は許可して……むぐっ!」
二本目が突っ込まれた。もう抵抗しないんかい。口の端にタレをつけたまま、もぐもぐと巨大な肉を頬張る第二王子の姿。なんかこう、見てはいけないものを見ている背徳感があるけど……不思議と、嫌な感じはしない。
「よし、俺らも食うぞ。おっちゃん、追加で!」
俺たちも串を受け取る。カインは「あちちッ」とか言いながら即かぶりつき、ノルンも幸せそうにハフハフしてる。
俺も一口。
……うん、美味い。ちょっと味が濃いけど、労働の後の体にはこれくらいが丁度いい。こっそり懐にちぎった肉を落としてやると、ヴァルたちが無言で貪り食う気配がした。で、問題は、この人だ。
「…………」
オスカーが、渡された三本目の串焼きを凝視したまま固まっている。まるで、未知の魔道具の解析でもしてるみたいな目つきだ。
「……副団長? 食わないんすか?」
「……いや。これは、どうやって食べるのだ?」
「へ?」
「食器がない。ナイフも、フォークも。……このまま口に運べというのか? タレが垂れる危険性が極めて高いが」
マジかよ。王子様育ちってのは聞いてたけど、屋台メシ食ったことないのか。
「あのですね。こうやって、串を持って、ガブッていくんすよ。タレがついたら、あとで拭けばいいんです」
俺が見本を見せる。オスカーは眉間に深いシワを寄せ、決死の覚悟みたいな顔で串を持ち上げた。
戦術の授業で「前衛を捨て石にする」なんて冷徹な判断をした男が、たかが串焼き一本に冷や汗をかいている。
「……ふっ、くくっ」
カインがこらえきれずに吹き出した。
「なっ、貴様! 上官を笑うとは何事だ!」
「いや、すんません! だって副団長、顔! 顔が魔王と戦う前みたいになってますって!」
「うるさい! ええい、ままよ!」
オスカーが、やけくそ気味に肉にかぶりついた。その瞬間、予想通りというか、お約束というか。 たっぷりと絡んでいたタレが、口の端からぽたりと垂れて、彼の顎についた。
「あっ」
オスカーが硬直する。王族としてあるまじき失態、とか思ってんのかな。ハンカチを取り出そうと彼が慌てた、そのときだ。
「わふっ!」
俺の足元から飛び出した黄金色の影――フェデが、オスカーの膝に前足をかけ、その顎についたタレを、ペロリと舐め取った。
「うおっ!?」
オスカーが素っ頓狂な声を上げてのけぞる。
「き、貴様っ……! 無礼だぞ!」
でも、フェデはお構いなしだ。「もっとくれ」とばかりに尻尾をブンブン振って、オスカーの手にある串を見つめてる。
あのフェデが。最上位霊獣であり、ルーク以外には懐かないはずの、あのフェデが。
「……ははっ! フェデのやつ、副団長のことが気に入ったみたいっすね」
俺が言うと、オスカーは目を丸くして、それから困ったようにフェデを見下ろした。
その顔には、いつもの険しさがない。ただの、でかい犬に懐かれて戸惑ってる、ひとりの青年の顔だった。
「……バルザード(私の相棒)ですら、私にこんな風に甘えたりはしないぞ。……こいつは、おまえに似て図々しいな」
憎まれ口を叩きながらも、オスカーの手は、恐る恐るフェデの頭に伸びていた。黄金の毛並みに、指が触れる。フェデが気持ちよさそうに目を細める。
「……柔らかいな」
ポツリと、オスカーが呟いた。その声を聞いて、カインもノルンも、そして懐の中の精霊たちも、なんだかほっこりした空気になる。
カインがニカっと笑って、自分の串の残りを差し出した。
「ほら副団長、もっと食ってくださいよ! ここ、タレがうまいんすから!」
「ば、馬鹿者! 食べかけを寄こすな!」
「あ、じゃあ私のもあげますぅ〜」
「ノルンまで! ええい、服につく!」
わあわあと騒ぐ同期たち。それに揉みくちゃにされながら、オスカーが、ふっと笑った。嘲笑でも、冷笑でもない。
年相応の、呆れたような、でも楽しそうな笑顔。
「……まったく。貴様らは、緊張感が足りん」
そう言いながら、彼は口についたタレを指でぬぐって、また肉にかぶりついた。今度は、迷いなく。
***
夕暮れ時。茜色に染まる王都の坂道を、俺たちは砦に向かって歩いていた。
お腹はいっぱいだし、ノルンはお土産のクッキー抱えて幸せそうだし、カインはオスカーに剣術の質問攻めをしてる。
俺は、少し後ろを歩きながら、その背中を眺めていた。悪い人じゃないんだよな、やっぱり。
ただ、背負ってるものが重すぎて、真面目すぎて、自分を追い込んじゃうだけで。
『……ルーク殿』
風のフィオが、小声で囁く。
『風向きが……少し、変わりましたね』
『ああ。……今のアイツなら、多少の無茶ぶりにも耐えられそうだぜ』
雷のアルクも、珍しくオスカーを認めるような口ぶりだ。俺もそう思う。こうやって、たまには肩の力を抜いて、笑い合える時間があれば。
あの冷たい「監視役」の仮面の下にある、本当の彼と、わかり合える日が来るかもしれない。
「おい、ルーク」
前を行くオスカーが、ふと立ち止まって振り返った。夕陽を背負ったその顔は、逆光でよく見えなかったけど、声は穏やかだった。
「……悪くない休日だった。礼を言う」
「へいへい。また行きましょうよ、副団長」
俺は軽く手を振って応える。フェデが「わふっ」と鳴いて、オスカーの足元に擦り寄った。
この平穏が、ずっと続けばいい。俺は本気でそう願った。
これから先に待っている、過酷な運命なんて、まだ何も知らないフリをして。
王都の鐘が、カランコロンと鳴り響く。影が長く伸びて、夜の気配を連れてくるまで、あと少し。
「……帰るぞ。明日は本部内の魔導研究棟へ行く。お使いの任務だ」
オスカーが立ち上がり、いつもの副団長の顔に戻る。
魔導棟
ああ、嫌な予感しかしない。そこにいるのは、先日、厨房でみかけた、天才にして変人魔導騎士、アリス=フェンリードだったか。
俺の「隠蔽」が、また一枚剥がされそうな気がするんだよなぁ。




