第60話 座学での逆転
眠い、 限界だ。マジで目が開かない。誰だよ、瞼の裏に強力な接着剤塗ったやつ。
ここは騎士団本部の講義室。無機質な石の箱。 響くのはコツコツっていうチョークの音と、教官の念仏みたいな低い声だけ。そこに窓からポカポカした初夏の風が入ってくるわけよ。……寝ろって言われてるようなもんだろ。
「……というわけで、対集団戦における方陣の展開速度は、魔導部隊の詠唱時間に依存する。ここ、テストに出すぞ」
教壇に立っているのは、戦術教官。 眉間に深いしわを刻んだ、いかにも「現場叩き上げ」って感じの古参騎士だ。
声が低周波治療器みたいに俺の脳を揺らしてくる。
『ふあぁ……。退屈だぜ、ルーク。燃やしちゃおうぜ、あの黒板』
机の上、透明化した炎の精霊が大あくびしてる。赤い尻尾が鼻先を撫でてくる。くすぐったいって。
『こらヴァル。ルーク殿がお勉強中ですよ。……ま、カビの生えた理論ですけど』
窓枠のフィオまで毒づくし。頼むから静かにしてくれ。脳内サラウンドで喋られると集中力が死ぬ。
昨日、地下でアルクを回収して六精霊フルコンプしたのはいいけどさ。今の俺の服の中、満員電車ナメてんのかってレベルの過密状態なんだよ。
懐に狐、フードに鳥、ポッケに人魚とトカゲ、膝にウサギ、足元に漬物石。
重い。物理的に肩凝るわ精神すり減るわで、もう限界。
「……姿勢。崩れているぞ」
横から、絶対零度の声。 隣の席。定規飲み込んだみたいに背筋ピンッ!ってしてる男。 第二王子で副団長。おまけに俺の監視役、オスカー様だ。
「……あ、うす」
「あくびを噛み殺すな。気が緩んでいる」
「……教室、っすよねここ」
「戦場だ。知識の欠落は部下の死に繋がる。刻め」
うわぁ、めんどくせぇ……。 いや正論なんだけどさ。24時間そのテンションで生きてんの? 息詰まらない?
前のカイン見てみろよ、完全に白目剥いて魂ログアウトしてるぞ。ノルンなんか教科書で要塞作って爆睡かましてるし。
「では、応用だ」
教官が、黒板にデカい地図を貼り出した。 教室の空気がピリッとする。
「想定状況。場所は西方『風鳴りの峡谷』。味方は歩兵小隊五十。敵はオーク・ジェネラル率いる群れ、約五百。……十倍差だ」
ざわっ、と空気が揺れる。十倍。しかも統率されたオーク。無理ゲーじゃん。すり潰されて終わりだろそんなの。
「退路は背後の吊り橋のみ。だが、切断には時間がかかる。敵は目前。……さて、指揮官としてどう動く? 答えられる者は」
教官の目がギョロリと巡回する。 みんなが目を逸らす中、スッ、と迷いなく挙がった手があった。 ……オスカーだ。
「許可する。ガルドリアン」
「はッ」
オスカーが立つ。声がいい。無駄にいい。
「定石ならば遅滞戦闘。峡谷入口に重装兵を展開。後方から魔導士二名で土魔法の障壁を張り、足止めを」
「ふむ。だが敵は五百。数分で破られるぞ」
「承知の上です。目的は勝利ではなく、本隊を逃がす『時間稼ぎ』。……前衛二十名は、遺憾ながら捨て石とします」
教室が静まり返った。 捨て石。つまり、半分の味方を見殺しにして、残りを救うって判断。
「彼らが命を賭して時間を稼ぐ間に、橋を渡りきり、対岸から落とす。これで進軍は止まり、三十名の命と、後方の村々は守られます」
迷いがない。 冷酷に見えるけど、軍事的にはたぶん百点満点の答えだ。 犠牲を最小限に抑えて、確実に目的を果たす。王族らしい、「切る判断」
「……見事だ」
教官が重々しく頷く。
「指揮官にとって最も辛いのは、誰を死なせるかを選ぶことだ。その覚悟が決まっている。……座れ、ガルドリアン」
オスカーが音もなく着席する。 チラリと、俺の方を見た。 どうだ、と言わんばかりの瞳。
俺は「すごーい」と小さく拍手しておいた。いや、皮肉じゃなくてマジで。俺にはそんな決断、胃が痛くなって無理だもん。
「さて。……では、他に意見のある者は?」
教官が再び教室を見渡す。 正解が出た後だ。誰も手を挙げない。挙げない、はずだったんだけど。
『ケッ。つまんねぇ答え。みみっちいぜ』
俺の制服の内ポケット、心臓の真上あたりで、昨日回収したばかりの雷精霊アルクが毒づいた。 おい、暴れるな。
『もっと派手に行こうぜ旦那ァ! なぁ!』
バチッ! アルクの尻尾から、不意打ちの電撃が俺の脇腹を直撃した。
「あぐッ!?」
痛みに反応して、俺の体がビクッと跳ねる。勢いで右手が垂直に挙がってしまった。 シーン……。 教室の空気が凍りつく。
「ほう。ヴァレリオ候補生か」
教官の目が、獲物を見つけた猛禽類みたいに光った。
隣のオスカーが、信じられないものを見る目で俺を見上げている。「貴様、私の案に異論があるとでも?」という顔だ。
違うんです。俺の意思じゃないんです。懐にいるトカゲのせいです。
「……えっと、その」
立ち上がるしかない。 どうする? 「トイレ行きたいです」って言うか? いや、この雰囲気でそれは処刑レベルだ。
俺は冷や汗をダラダラ流しながら、黒板の地図を見た。 その瞬間、視界がカチリと切り替わる。《精霊視》
『風が……あそこ、強い吹き下ろしがありますよ』
『火種があれば、面白くなりそうだぜ?』
精霊たちが勝手なことを囁いてくる。フィオとヴァルだ。 ……はぁ。もういいや。どうせDランクの戯言だ。適当に言って座ろう。
「あー……副団長の案は、すごく堅実で素晴らしいと思います。はい」
「……ならば?」
「でも、俺なら……戦いません」
教室がざわつく。オスカーが眉をひそめた。
「逃げるというのか? 背を見せれば、追いつかれて全滅だぞ」
「いえ、そうじゃなくて。……ここです」
俺は、峡谷の側面にある、なんてことのない岩場を指した。
「この谷、地形的に上から下へ、ものすごい風が吹いてますよね? この季節なら特に」
「……ふむ。確かに、そこは難所として知られているが」
「なら、盾を構えて耐えるのは損です。……俺なら、魔導士に攻撃魔法じゃなくて、ただの『火種』を作らせます。場所はここ。風の入り口」
「火種? そんな小さな火で何ができる」
「燃やすんじゃありません。……温めるんです」
俺はニッと笑った。
「冷たい風の中に、急激に熱い空気の塊を作れば、どうなります?」
教官の目が、カッと見開かれた。オスカーも、ハッとした顔をする。
「上昇気流……!」
「はい。入り口で空気を爆発的に膨張させれば、谷底を流れる風が一瞬だけ乱れて、真空に近い渦ができます。……そこに、オークの群れが突っ込んでくる」
精霊たちが、嬉しそうに騒ぎ出す。
『そうそう! そこをわたしがドーンと押すの!』とフィオ。
「狭い谷間で気圧が狂えば、オークたちは酸欠と強風で立っていられなくなります。ドミノ倒しみたいに転がって、勝手に自滅する。……その隙に、全員で橋を渡って、ゆっくり縄を切ればいい」
俺は肩をすくめた。
「これなら、剣を振るう必要もない。誰も死なない。……あと、鎧の修理費も浮きますしね」
沈黙。 さっきとは違う、重たい沈黙が教室を支配した。
これは「戦術」じゃない。 軍隊の動かし方じゃなくて、自然現象(災害)の引き起こし方だ。
普通の騎士は、「自分たちの持っている魔力」でどう戦うかを考える。でも俺は、「そこにある世界の力」をどう借りるかを考える。視点が、根本的に違うんだ。
「……気象条件を利用した、殲滅戦……だと?」
教官が、呻くように言った。 オスカーは、呆然と地図を見つめている。彼の中にある「正攻法」の図式が、ガラガラと崩れ去っているのがわかった。
「……計算、できるのか? そんな不確定な要素を」
オスカーが、絞り出すように問うてくる。
「不確定じゃないですよ」
俺は軽く答えた。精霊らが、そこにいるから。俺にとっては、友人に「ちょっと手伝って」って頼むのと変わらない。
「……あー、でも、机上の空論っすかね! ハハハ、やっぱり副団長の案が堅実ですって! 俺のはただの思いつきなんで!」
空気がヤバい(主に俺への注目度が)と感じて、俺は慌てて道化に戻った。 へらへら笑って着席する。
教官はしばらく俺を凝視していたが、やがてふぅーっと長い息を吐いた。
「……座学では、発想の柔軟さを評価しよう。……だがヴァレリオ。実戦でそれをやるなら、風を読む確かな目が要るぞ」
「肝に銘じますー」
授業終了のベルが鳴る。 どっと空気が緩み、候補生たちが昼食へと走り出す。俺も弁当(フェデの分も確保しなきゃ)のために席を立った。
ふと、隣を見る。 オスカーはまだ、座ったまま動かなかった。その拳が、白くなるほど強く握りしめられているのを、俺は見逃さなかった。
(……やっちゃったかな)
彼にとって、戦術は「犠牲の上に成り立つ計算」だった。
それを俺が、「犠牲ゼロの魔法」みたいなアイデアで上書きしてしまった。プライドの高い彼のことだ。これを「面白い」と受け取るか、「屈辱」と受け取るか。
『ルーク、あいつ、すごい顔してるぞ』
ヴァルが心配そうに言う。
『……妬いていますね。焦げ臭いくらいに』
俺は心の中で頭を抱えた。 仲良くやりたいだけなんだけどな、俺は。
でも、精霊王(俺)の「当たり前」は、この世界の人たちにとっては「規格外」すぎるらしい。
「……副団長、飯行かないんすか? 今日の定食、ハンバーグらしいですよ」
努めて明るく声をかけてみる。 オスカーは、ゆっくりと顔を上げた。その瞳には、今まで見たことのない、暗くて熱い色が宿っていた。
「……先に行け。少し、考えることがある」
拒絶。 俺は「ういース」と軽く手を上げて、教室を出た。 背中で感じる視線が痛い。
これが、友情の始まりになればいいんだけど。どうにも、不穏な火種を撒いちゃった気がしてならないんだよなぁ。




