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第58話  厨房の雪ウサギ

 寒い。 いや、寒いとかそういう次元の話じゃない。痛いんだよ、空気が。  

 ここはガルドリア王国、セカイジュ騎士団総本部の地下厨房エリア。


 外は初夏の風が吹いてるはずなのに、なんで俺はこんな分厚いコートを着込んで、ガタガタ震えながら廊下を歩いてるんだ?


「……くしゃみ出る。マジで」

『へっくち! さっぶ! なんだここ、冬将軍の別荘かよ!?』


 俺の肩の上、透明化してしがみついてるのは炎の上位精霊ヴァルだ。普段は生意気な赤毛の子狐なのに、寒さで色が褪せてピンク色になりかけてる。  


 「今日の俺の任務は「食材在庫の確認」


 地味だ。最高に地味な雑用だ。本来なら下っ端の見習いがやる仕事だけど、監視役の副団長オスカーが「貴様には騎士団の胃袋を支える現場を知る必要がある」とか、もっともらしい理屈をつけて押し付けてきたのだ。  


 まあ、あの暑苦しい筋肉王子に監視されるよりは、タマネギの数を数えてる方が百倍マシなんだけどさ。


『あらあら。空気が澄んでますね。私は嫌いじゃありませんよ』

『わたくしも。風が止まって、時が凍りついたような静寂……美しいです』


 水精霊ラグと風精霊フィオは涼しい顔だ。俺のふところに入ってる土精霊オルド(現在、漬物石モード)に至っては、『むにゃ……冬眠にはええ季節じゃ……』とか寝言を言ってる。

 

 俺は足を止めた。目の前にあるのは、厨房の最奥に設置された巨大な鉄扉。


 《第一氷室》


 要するに、騎士団員数百人の胃袋を支える肉や魚を保存する、魔導式の巨大冷凍庫だ。そこから、冷気が漏れている。いや、漏れてるなんて生易しいもんじゃない。扉の隙間から、ダイヤモンドダストみたいなキラキラした粉が噴き出してるんだ。


「……おいおい、魔導冷却装置が暴走でもしたか?」

『違うなルーク。この匂いは……』


 ヴァルが鼻をひくつかせた、そのとき。俺の《精霊視》が、扉の向こうにとんでもない質量の「白」を捉えた。機械の故障じゃない。

 もっと、こう……意思のある、懐かしくて、でも今は最高に迷惑な「白」


「嘘だろ……」


 俺は周囲に人がいないことを確認してから、凍りついた重たい鉄のレバーを引いた。ギギギ、と悲鳴を上げて分厚い扉が開く。


 途端に、猛吹雪が顔面に叩きつけられた。


「うおっ!?」


 視界が真っ白になる。そこはもう、厨房の一角じゃなかった。極北だ。南極だ。いや、氷河期のど真ん中だ。  


 棚に並んだ高級ハムも、たるに入ったワインも、天井から吊るされた巨大な牛肉の塊も、全部がカッチカチの氷像になって芸術的な輝きを放っている。

 

 そして、その部屋の中心、霜の降りた木箱の上に、ちょこんと座っている「それ」がいた。  


 真っ白な毛並み。耳の先だけが、透き通るような氷の結晶になっている。  


 雪ウサギだ。  


 いや、ただのウサギじゃない。その周囲だけ重力が狂ったみたいに雪の結晶が舞い踊り、床には美しい幾何学模様の霜が広がっている。


「……フロス?」


 俺が震える声で呼ぶと、ウサギは長い耳をピクリと動かして、ゆっくりとこちらを振り向いた。赤い瞳が、俺を捉える。


『……あら』


 鈴を転がすような、涼やかで上品な声が脳内に響く。


『お久しぶりです、ルーク様。……少し、お痩せになりましたか?』


 氷の上位精霊、フロステア=グラキエル。かつての俺の仲間で、六精霊きってのクールビューティー(中身は過保護な世話焼き)だ。


「痩せたとかどうでもいい! お前、ここで何してんだよ!」

『何、と言われましても。ガルドリアの石壁の中は乾燥して埃っぽいですから。涼みに参りましたの』


 フロスは優雅に前足をめて、ふぅ、と冷たい吐息を漏らす。その吐息が触れた瞬間に、隣にあったリンゴの木箱が一瞬で氷塊になった。  

 やめろ。それ、今日のデザートだぞ。


「涼みすぎだ! ここ、騎士団の食料庫だぞ!? 全部凍らせてどうすんだよ!」

『あら。保存性が高まってよろしいのでは? 腐らせるよりはマシでしょう』

『テメェこの野郎! 俺様が寒いの嫌いだって知っててやってんだろ!』


 ヴァルが俺の肩から飛び出して、フロスに噛みつこうとする。フロスはヒラリとそれをかわすと、空中に氷の足場を作って着地した。


『騒がしいですね、駄犬。少し頭を冷やしてはいかが?』

『ああん!? 誰が犬だコラ! 狐だっつってんだろ!』


 バチバチと火花と氷礫ひょうれきが散る。  

 やめろ。マジでやめろ。ただでさえ騎士団本部は「異常」に対して敏感なんだ。こんなとこで上位精霊同士の喧嘩なんか始めたら、魔力感知センサーが発狂して警報が鳴り響くぞ。


「二人ともストップ! 戻れ、隠蔽ハイドだ!」


 俺が声を張り上げようとした、そのときだった。


 カツ、カツ、カツ


 廊下の向こうから、軽い足音が聞こえた。複数の足音じゃない。一人だ。でも、その足音が近づくにつれて、俺の肌が粟立あわだつような感覚を覚える。  

 物理的な寒さじゃない。もっと根源的な……「質」の高い霊素の気配。


(……やばい。誰か来る)


 しかも、ただの兵士じゃない。この気配の濃さは、隊長クラス……いや、それ以上か?


「隠れろ!」


 俺はとっさにヴァルを首根っこ掴んで懐に放り込み、フロスをひっ掴んで一番奥の巨大なチーズ樽の影に飛び込んだ。  

 息を殺す。心臓が早鐘を打つ。全身の毛穴という毛穴を閉じて、俺の中から溢れ出る霊素を完全にシャットアウトする。

 これ、マジで疲れるんだよな。息を止めて全力疾走してるみたいなもんだ。


 ギィィ……


 開けっ放しだった重い扉が、さらに大きく開かれる音がした。


「あれぇ〜? 開いてる」


 聞こえてきたのは、拍子抜けするくらい間延びした、若い女の声だった。  

 樽の隙間から、そっとのぞき見る。そこに立っていたのは、小柄な少女だった。  

 柔らかそうな栗色の髪をふわふわと揺らし、高価そうな深紫こきむらさきのローブを羽織っている。手には分厚い魔導書、反対の手には……なぜか食べかけのクッキー。  


 見た目は十六、七歳くらいか? 俺と変わらない。でも、彼女の周りに漂っている霊素の色が、尋常じゃなかった。  

 複雑怪奇な幾何学模様を描きながら、めまぐるしく色を変えている。


(……特任魔導騎士、アリス=フェンリードか)


 入団式の名簿で見た名前だ。ソルミリアのフェンリード辺境伯家の三女にして、王立魔導院始まって以来の天才。序列八位の「賢者」枠。

 

 なんでそんな大物が、こんな倉庫に?


「ん〜、やっぱりここだけ寒いなぁ。冷却術式の回路、ショートしちゃったのかな?」


 アリスは独り言を言いながら、パタパタと中に入ってくる。そして、あろうことか、俺たちが隠れている樽の方へまっすぐ近づいてきた。  


 バレたか!?  いや、違う。  

 彼女の視線は、俺たちの頭上――棚の上にある「高級アイスクリームの箱」に釘付けだ。


「あったあった! 新作の『雪解けミルク』! 研究の合間にこれがないと頭回らないんだよね〜」


 ……つまみ食いかよ。天才賢者様が、厨房で盗み食いとは恐れ入る。アリスは嬉しそうにアイスの箱を手に取ると、ふと動きを止めた。  

 翡翠ひすい色の瞳が、スッと細められる。空気が変わった。


「……あれ?」


 彼女は鼻をくんくんと鳴らし、そして、俺たちが隠れている樽のあたりをジッと見つめた。


「なんか……変な感じ。魔力じゃなくて、もっと澄んだ……」


 まずい。この子、勘が鋭いタイプだ。  

 一般的に、精霊ってのは人間を「媒体コンデンサー」にして力を使う。契約者の霊核の質が、そのまま精霊の出力になる。  

 でも、俺は違う。俺自身が巨大な発電所みたいなもんで、精霊たちはそこから勝手にエネルギーを引っ張って現象化してる。  


 だから、俺の周りには常に「未使用の高純度エネルギー」が漂ってるんだ。普通の魔術師なら気づかないレベルだけど、天才クラスになると違和感を持つ。  


 アリスが、杖を構えることなく、スッと右手をかざした。指先に、複雑な魔法陣が一瞬で展開される。  『解析アナライズ』の術式だ。


 しかも、詠唱なしの高速展開。


(見つかる……!)


 俺が覚悟を決めて、飛び出して誤魔化そうとした瞬間。  

 

 ぽん 

 

 俺の腕の中で、雪ウサギのフロスが、小さな氷の粒を指先で弾いた。  

 それは放物線を描いて飛び、部屋の隅にある鉄鍋に当たった。


 カーン!

 澄んだ音が響く。


「ひゃっ!?」


 アリスが可愛らしい悲鳴を上げて飛び上がった。展開しかけた魔法陣が霧散する。


「な、なになに? 今の音……ネズミ? いや、ネズミにしては音が綺麗すぎない?」


 彼女はキョロキョロと周囲を見回し、それから「う〜ん」と首を傾げた。


「……ま、いっか! オバケだったら怖いし!」


 切り替え早っ。アリスはアイスの箱を大事そうに抱えると、「お邪魔しました〜」と小走りで出ていった。  

 扉がバタンと閉まり静寂が戻る。  俺はへなへなと、その場に座り込んだ。


「……死ぬかと思った」

『ルーク様、心拍数が上がっています。深呼吸を』


 フロスが俺の膝に乗り、冷たい鼻先を押し付けてくる。その冷たさが、今は心地いい。


「お前なぁ……あそこで音を立てるなんて、賭けにも程があるぞ」

『あの方の解析術式、なかなかのものでしたから。まともに受ければ、あなたの“隠蔽”のほころびを見つけられたかもしれません。気を逸らすのが最善かと』


 冷静だなお前。でも、助かった。あのアリスって子、噂以上の化け物かもしれない。俺の隠蔽を、見ただけで「違和感」として捉えるなんて。


「……はぁ。とりあえず、出るぞ。ここに長居したら、今度こそ誰かに見つかる」


 俺はフロスを懐に入れると、凍りついた食材たちに「すまん」と心の中で謝りつつ、こっそりと氷室を後にした。  

 廊下に出ると、ムッとするような生温かい空気が俺を包む。さっきまでの極寒が嘘みたいだ。


『主よ。これで五体目だな』


 懐の中で、ヴァルが小声で言った。  

 そう。炎のヴァル、水のラグ、風のフィオ、土のオルド、そして今、氷のフロス。  

 かつての仲間たちが、次々と俺の元に戻ってきている。


 心強い、心強いんだけど……。


「……あと一匹、だな」


 俺は重いため息をついた。雷の上位精霊、アルクゥス=ヴォルトレイ。  

 通称アルク。あいつは六精霊の中でも一番の暴れん坊で、スピード狂で、派手好きだ。  


 ヴァルと張り合うくらいのトラブルメーカー。あいつがこの「規律の鬼」みたいな騎士団本部のどこかに潜んでいるとしたら……


 ドォォォォォン……!


 俺の不安を肯定するように、足元の床が微かに揺れた。  

 地鳴り? いや、違う。地下だ。地下深くから、何かが爆発するような重低音が響いてきたんだ。


「……まさかな」


 俺は顔を引きつらせた。地下、騎士団本部の地下にあるものといったら……巨大な魔導動力炉とか、そういう「エネルギーの塊」がある場所じゃないか?


『あらあら。あの子の気配がしますね』

『ビリビリしますのう。相変わらず元気なことじゃ』


 ラグとオルドが呑気な声を上げる。俺は頭を抱えた。

 スローライフ?なにそれ美味しいの?六体目が揃う感動の再会は、どうやら爆発音と共にやってくるらしい。


「……行くぞ。ボヤ騒ぎになる前に回収しないと、俺の首が飛ぶ」


 俺は走った。廊下の角を曲がり、地下への階段を駆け下りる。その背中には、目に見えない五体の精霊と、目に見えてデカい借金(フェデの食費)と、隠しきれないトラブルの予感が、ずっしりと乗っかっていたのだった。


■ フロス(フロステア=グラキエル)

属性: 氷

仮の姿: 耳の先が氷の結晶になった、白い雪ウサギ。

性格: 常に敬語で話すクールな令嬢タイプ。基本は冷静ですが、身内(特にルーク)には甘く、「ルーク様」と呼んで甲斐甲斐しく世話を焼きます。

正体: 「氷冠の白妃」と呼ばれる氷の上位精霊。熱くなりすぎた霊素を冷やし、暴走を止める「静寂と均衡の調律者」です。すぐに熱くなるヴァル(炎)にとっては頭の上がらない天敵であり、精神安定や状態異常封じを得意とするパーティの理性担当です。


■ アリス(アリス=フェンリード)

種族: 人間(辺境伯家令嬢)

肩書き: 序列8位 / 特任魔導騎士

属性: メインサブ / 解析特化

【霊核スコア】

状態:自然体(無意識の垂れ流し)

Intake(吸収):3,720

Core(容量):3,140

Flux(速度):4,410

【総合】:11,270(ランクA)

紹介: 「わからないなら、調べればいいだけだよー!」と笑う、好奇心旺盛な天才魔導士。 戦闘よりも研究を愛しており、古代魔法の解析や、術式の書き換え(ハッキング)を得意とします。希少な「闇属性」の使い手でもあり、影を使った支援や拘束もこなします。 ルークの「規格外の霊素」にいち早く興味を持ち、遠慮なく距離を詰めてくる危ないお姉さん(?)ポジションです。

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