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第56話  ノルンの報告書

 朝から胃が痛い。きりきりと、雑巾みたいに絞られてる感じがする。  

 原因は明白、食堂の長テーブル、その斜め向かいに鎮座する「氷の彫像」みたいな男のせいだ。

 

 副団長オスカー。  

 この要塞の規律そのものみたいな彼は、優雅にナイフを動かしながら、視線だけで俺を串刺しにしている。昨日の夜、俺がカインに余計なアドバイスをした件。あれが相当、彼のプライドに触れたらしい。

 

 無言の圧がすごい。スープの味がしない。足元ではフェデが「肉くれ」と俺の太ももに頭突きをかましてくる。お前はいいよな、空気読まなくて。


「……ふあぁ、おはよ~ございま~す」


 殺伐とした朝食タイムに、気の抜けた声が降ってきた。とろけた蜂蜜みたいな甘ったるい声。  

 隣の席に、するりと滑り込んできたのは同期のノルンだ。教会から派遣されてきた「特別候補生」


 淡い金色の髪をゆるい三つ編みにして、背中には立派な狐の尻尾。眠そうに目をこする仕草は小動物そのもので、とてもじゃないが騎士団の過酷な訓練についていけるようには見えない。  

 まあ、俺も人のこと言えないけど。


「おはよ、ノルン。よく眠れたか?」

「……んぅ……ルークさん、おはよぉございますぅ……」


 とろぉん、とした薄青の瞳。こいつはいつもこうだ。マイペースで、省エネで、どこか掴みどころがない。  

 でも、俺は知っている。こいつの霊核スコア(総合値)は7,060。Cランク上位からBランクに届くレベルの優秀な支援術師だ。この眠そうな顔の下で、頭の回転はめちゃくちゃ速い。


「あ、そうだ。ルークさん」

「ん?」

「ちょっと手、出してください」


 ノルンは朝食のサラダをもぐもぐしながら、世間話のついでみたいに言った。

 俺が素直に右手を出すと、彼女は懐から小さな水晶片を取り出した。チェーンがついた、ペンデュラムみたいな形。教会の神官がよく使う簡易診断具だ。


「……ん。これ、教会の定期健診みたいなものでしてぇ。異常がないか、記録とらなきゃなんですよぉ」


 へらっと笑いながら、彼女は水晶を俺の手のひらに乗せる。  


 瞬間 ピシッ  

 水晶に触れた肌が、静電気みたいに爆ぜた。


「!」

 ノルンの眠そうな目が、一瞬だけカッ!と見開かれた。  

 やばい。 俺は反射的に霊素レイソの流れを止めようとした。指輪ジャマー・リングで抑え込んでいるとはいえ、俺の中身は「精霊王の核」だ。無防備に触らせれば、人間用の規格なんて紙くずみたいに突破しちまう。


(……抑えろ、閉じろ、ただのDランクになれ!)


 心の中で念じる。だが、ノルンの持っていた水晶は、教会特製の「感度高め」なやつだったらしい。  

 水晶の中で、光が暴れた。白じゃない。虹色だ。あらゆる属性の色が混ざり合い、とんでもない速度で回転し、そして――ふっ、と。  


 真っ白に飽和して、光が消えた。  

 

 計測不能エラー。グレイウッドのギルドで起きた現象と同じだ。


「…………へぇ」


 ノルンが、ぽつりと漏らした。その声には、眠気なんて欠片もなかった。  

 彼女は水晶を手のひらで包み込み、周囲に見えないように隠す。でも、俺には見えてしまった。彼女の細い指が、微かに震えているのを。


(……見たな?)


 彼女の視線が、俺を射抜く。さっきまでの「とろぉん」とした甘い目じゃない。解剖学者が未知の生物を見つけたときのような、冷徹で、観察的な目。  

 彼女の唇が動く。音には出さず、形だけで。  


『そ・う・だ・ん・ち・ょ・う・ご・え(総団長超え)』  

 

 ギクリとした。  アウストレア総団長のスコアは15,150(Sランク)

 俺の隠し持ってるスコアは28,910(Sランク上位~規格外)


 ……バレた。完全にバレた。  

 教会の推薦枠ってことは、こういう「異常者」を見つけるのも仕事のうちかよ! 油断した。こいつ、ただの眠り姫じゃねぇ。教会の「目」だ。


「……何をしている」


 最悪のタイミングで、最悪の声が降ってきた。食堂の入り口に軍服の襟をこれでもかと正し、朝から完璧に仕上がっている副団長オスカーが立っていた。  

 その目は、獲物を狙う鷹のように鋭い。昨日の夜の件もあって、俺への警戒レベルがマックスになっているのが肌でわかる。


「ノルン。貴様、今何を隠した?」


 オスカーがカツカツと足音を立てて近づいてくる。俺の心臓が早鐘を打つ。終わった。ノルンが「こいつの数値、バケモノです」って報告書を出せば、俺の隠蔽生活はここでジ・エンドだ。スローライフどころか、ライフそのものが危うい。

 オスカーが俺たちのテーブルの前に立つ。ノルンは、ゆっくりと顔を上げた。  


 その表情は――


「ふあぁ……。あ、副団長ぉ。おはよーございますぅ」


 いつもの、締まりのないあくび顔だった。水晶をポケットに無造作に突っ込み、彼女は食後のハーブティーをすする。


「報告書用のデータとってただけですよぉ。ルークさんの健康診断ですぅ」

「診断だと? ……結果を見せろ」

「えー。個人情報ですよぉ? 乙女の秘密より大事なものですけどぉ」

「ふざけるな。私は貴様らの監督責任者だ。……ルークの中に、何か“異常”があったのではないか?」


 オスカーの勘が鋭すぎる。昨日のカインへの指導、そして模擬戦、彼の頭の中で、点と点が繋がりかけている。  

 俺は冷や汗を止められない。頼む、ノルン見逃してくれ。昨日の夕飯のデザート、お前にあげた恩を思い出してくれ!

 ノルンは、とろんとした目で俺をちらりと見て、それからオスカーに向かってにっこりと笑った。


「異常? んー、そうですねぇ……」


 溜めるな。怖いから溜めるな。


「血圧がちょっと低いくらいで、あとはみーんな『フツー』でしたよ? 霊核スコアも、書類通りのDランク相当。むしろ田舎育ち特有の、無駄に頑丈なだけの数値でしたぁ」

「……なに?」


 オスカーの眉が跳ね上がる。


「本当か。嘘をついていたら、ただでは済まんぞ」

「教会の診断具は嘘つけませんよぉ。……ねぇ、ルークさん?」


 ノルンがテーブルの下で、俺の足をコンと蹴った。話を合わせろという合図だ。俺は必死に顔を作った。精一杯の、間抜けな新人候補生の顔を。


「あ、ああ! そうなんです副団長。俺、昔から体が丈夫なだけが取り柄でして! 魔力とか全然で、すぐ詰まっちゃうんですよね~」


「……チッ」


 オスカーは舌打ちした。彼は疑っている。昨日の俺の動き、カインへの的確すぎる助言。あれが「ただのDランク」にできるはずがないと、本能で感じ取っている。  


 だが、証拠がない。  

 教会の正規診断具が「シロ」だと判定したなら、それを覆す材料を彼は持っていないのだ。


「……いいだろう。だが、私は誤魔化されんぞ。ルーク、貴様が隠しているボロが出るその時まで、監視は緩めん」


 捨て台詞を残して、オスカーは踵を返した。マントを翻して去っていく背中には、「絶対に尻尾を掴んでやる」という執念が渦巻いていた、怖ぇよ。

 食堂に、再び平和(仮)な空気が戻ってくる。俺は深く、深ーく息を吐き出した。


「……助かった。ありがとな、ノルン」

「んー? なんのことですかぁ?」


 ノルンはとぼけて、サラダの残りをフォークで突き刺した。だが、その目は笑っていなかった。彼女は咀嚼しながら、誰にも聞こえないような小声で、早口に呟く。


「……『教会への報告』、書き換えときますねぇ。ルークさんは、ただのDランク。ちょっと勘が鋭いだけの、凡人ってことで」

「え……いいのか?」

「教会のお偉いさんに報告したら、間違いなく『アレ』されますからねぇ。解剖とか、実験とか。……そんなの見たくないですしぃ」


 彼女はふわりと笑った。それは、ただの親切心なのか。それとも、もっと別の計算があるのか。わからない。でも、一つだけ確かなことがある。  

 この眠そうな狐娘は、俺の「秘密」を握った共犯者になったってことだ。ノルンは立ち上がると、俺の耳元に顔を寄せて、とろけるような声で囁いた。


「貸し、ひとつですよ? ……田舎のバケモノさん?」


 心臓が止まるかと思った。彼女はそれだけ言って、ひらひらと手を振りながら食堂を出ていった。狐の尻尾が、ご機嫌そうに左右に揺れている。


 ……マジかよ、助かった。  


 助かったけど――弱みを握られた。しかも、得体の知れない教会のスパイに。

 足元で、肉を食べ終わったフェデが「わふっ(どんまい)」と気の抜けたあくびをした。


「お前はいいよな、悩みなくて……」  


 フェデの頭をもふもふと撫でながら、俺は前途多難すぎる騎士団生活に、本日二度目の深いため息をついたのだった。スローライフ、遠すぎだろ。


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