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第54話  模擬戦(候補生 vs 副団長)

 砂煙が、まだ喉の奥でざらついている。目の前には、斜めにずり落ちた城壁。俺がうっかり木剣の素振りで「斬っちゃった」やつだ。断面がつるっとしてて、逆に芸術的ですらある。いや、現実逃避してる場合じゃない。  


 静寂


 痛いほどの沈黙が、訓練場を支配している。 カインは白目を剥いて気絶したままだし、ノルンは立ったまま寝てる。

 そして、副団長オスカー・ヴァルド・ガルドリアン様は、幽霊でも見たような顔で、俺の手にある無傷の木剣を凝視していた。


「……ルーカス」


 低く、地を這うような声。俺はビクリと肩を跳ねさせた。やばい。これ絶対、怒られるやつだ。いや、怒られるだけで済めば御の字か? 器物破損で請求書が回ってきたら、フェデの食費どころか俺の腎臓まで売らなきゃならなくなる。


「は、はいっ!」

「……貴様、さきほどの……あれはなんだ?」

「えっと、その……手元が狂いまして」

「狂って城壁を断つか、貴様は」


 ごもっともです。オスカーは深く息を吐き出すと、ギラついた瞳を俺に向けた。そこにあるのは単なる怒りじゃない。「理解不能なもの」を見たときの焦燥と、武人としての強烈な対抗心だ。


「場所を変える。第二練兵場へ来い」


 ***


 連れてこられたのは、分厚い魔導障壁に囲まれた屋内アリーナだった。オスカーは訓練用の刃引きされた鉄剣を抜き、切っ先を俺に向けた。


「手加減は無用だ。……いや、貴様に手加減などという器用な真似はできんのだったな」


 副団長が皮肉っぽく鼻を鳴らす。  

 あ、これ相当根に持ってるな。


 さっきの「素振りで城壁崩壊事件」を、俺が力の制御もできない未熟者だからやらかしたと思ってるらしい。  

 うん、まあ、それでいい。「実はあれでも全力でブレーキ踏んでました」なんて言ったら、それこそ化け物扱い確定だ。


「貴様のそのデタラメな出力……私が『技』でねじ伏せてやる。調子に乗るなよ、新人」

「お、お手柔らかにお願いします……ほんとに」


 俺はへっぴり腰で剣を構えた。心臓がバクバク言ってるのは、恐怖からじゃない。「どうやって負けるか」という難題に対するプレッシャーのせいだ。


 オスカーが、ふぅ、と息を吐く。  


 その瞬間、彼を中心にして空気が歪んだ。


(……来るな)


 精霊視なんて大層なものを使わなくてもわかる。オスカーの身体の周囲で、赤い粒子が渦を巻いている。炎の霊素だ。

 

 彼が契約している「炎の上位精霊」からの支援バフ。本来なら、人間の身体能力なんてたかが知れてるけど、精霊契約を結んだ騎士は違う。外部の霊素を借り受けて、筋肉の反応速度や瞬発力を数倍に跳ね上げることができる。

 

 特にオスカーの霊核スコアはAランク相当。一般の騎士とはエンジンの排気量が違う。


「――参るッ!」


 ドンッ、と敷石が鳴った。速い。カインなら、瞬きする間に喉元を突かれているレベルの踏み込みだ。  

 炎を纏った剣が、俺の左肩口めがけて振り下ろされる。 赤い軌跡が残像になって見えるほどの剣速。

   

 ――だけど。悲しいかな、俺の目には、それがひどくゆっくりに見えてしまう。


(あ、これ重心が右に乗ってるから、次は横薙ぎに来るな)


 精霊王のコアを宿しちゃってる俺の動体視力は、ハエが止まって見えるレベルで世界をスロー再生している。

 

 オスカーの剣筋には、ご丁寧に「ここを通りますよ」っていう霊素の道筋ラインまで見えちゃってる始末だ。

 避けるのは簡単だ。半歩下がればいい。なんなら、あくびしながらでもかわせる。


 でも、それじゃダメなんだ。  


 副団長は今、プライドをかけて俺を叩きのめそうとしている。ここで俺が涼しい顔で「ひょいっ」とかわしてみろ。彼の顔に泥を塗るどころか、セメントで塗り固めて海に沈めるようなもんだ。


 負けなきゃいけない。それも、実力差を見せつけられて、無様に、圧倒的に。  


「さすが副団長! 一生ついていきます!」って言えるような負け方をしなきゃいけないんだ。

 ガキン!  


 俺は剣を受け止める――ふりをして、衝撃を逃がす。まともに受けたら、俺の出力が高すぎてオスカーの剣が折れるからだ。  

 まるで爆弾処理だ。触れるか触れないかのギリギリで、彼の猛攻をいなし続ける。


「どうした! 防戦一方か!」

 

 オスカーが吠える。その額には青筋が浮いている。


「避けるな! 打ち込んでこい!」

「い、いやぁ、副団長の剣が速すぎて!」

「嘘をつけ!!」


 バレてる!?  いや、まだだ。まだ決定的な証拠はないはずだ。  

 オスカーの剣速が上がる。炎の霊素が密度を増し、剣身が熱を帯びて陽炎を揺らめかせる。 (……きれいな剣だなぁ)  


 ふと、そんなことを思った。  

 迷いがない。王族としての誇り、上に立つ者の責任、そういう重たいものを全部背負って、まっすぐに振るわれる剣だ。  

 そのひたむきさは、嫌いじゃない。だからこそ、傷つけたくない。


 オスカーが大きく踏み込んだ。大上段からの全力の一撃。  

 隙だらけだ。普通なら、ここで胴を払えば終わる。あるいは、手首を返して剣を落とすこともできる。

 

 俺の目には、彼ががら空きの胴体を「どうぞ打ってください」と差し出しているようにしか見えない。  

 でも、打てない。俺は、その「勝ち確定の隙」を見逃すことにした。そして、あえて無様に、後ろへ転ぶタイミングを計る。  


 ここだ!!



「うわぁっ!?」


 俺は、何もない平らな地面に足を引っかけたフリをして、派手に尻餅をついた。同時に、木剣を手から離して、ゴロゴロと転がす。  

 これ以上ないくらいの「敗北」の絵面だ。オスカーの剣が、俺の眉間でピタリと止まる。


「……あ、あぶなかったー」  


 俺は引きつった笑みを浮かべて、両手を上げた。  

 完璧な演技だ。これで丸く収まる。


「まいりました! いやぁ、やっぱり副団長の気迫には勝てませんね。足がすくんで、コケちゃいましたよ。ははは」


 ――沈黙。  

 オスカーは、剣を引かなかった。見下ろしてくる青銀の瞳が、凍りついたように揺れていない。  

 あれ?もしかして、演技が下手すぎた?


 オスカーの視線は、俺の顔ではなく、俺の右足に向けられていた。

 さっき、俺が「踏み込まなかった」右足だ。もしあそこで踏み込んでいれば、彼の剣が届くより先に、俺の木剣が彼の脇腹を捉えていた。

 

 彼は達人だ。だからこそ、見えてしまったんだ。俺が「勝てるルート」を捨てて、「負けるルート」を選んだ瞬間を。


 オスカーの手が震えている。恐怖じゃない、屈辱だ。剣を握る籠手が、ギリギリと音を立てるほど強く握りしめられている。


「……貴様」  


 絞り出すような声だった。


「私を……哀れんだのか?」

「えっ」

「手加減されたことなど、剣を合わせればわかる! 貴様には見えていたはずだ。私の致命的な隙が! そこを打てば勝てたと、わかっていたはずだ!」


 オスカーが剣を放り捨てた。カラン、と乾いた音が、静まり返った訓練場に響く。彼は、俺の胸倉を掴み上げんばかりの勢いで詰め寄ってきたが、寸前で止まった。  

 その顔は、怒りで真っ赤になり、そして悔しさで歪んでいた。


「子供扱い……か」  


 彼は自嘲気味に呟いた。


「王族であるこの私が、どこの馬の骨とも知れぬ新人に、気を使われ、勝ちを譲られたというのか……ッ!」

「ち、違います! 俺は本当に実力不足で……!」


「黙れ!!」


 一喝 


 俺は口をつぐんだ。何を言っても、今の彼には「強者の余裕」という名の猛毒にしかならない。  

 オスカーは、はぁ、はぁ、と荒い息を吐き、乱れた前髪をかき上げた。  

 その瞳にあった光が、すっと暗く沈むのを見た。それは、誇り高い騎士の顔じゃなかった。もっとドロドロとした、劣等感という名の沼に沈んでいく男の顔だった。


「……興が削がれた」  


 オスカーは冷たく吐き捨てると、きびすを返した。


「今日の訓練はここまでだ。……解散!」


 彼は一度も振り返らず、足早に練兵場を出て行った。その背中が、朝よりもずっと小さく、そして拒絶の壁を纏っているように見えた。  


 残された俺は、砂まみれの尻を叩いて立ち上がる。


「……やっちまった」


 俺は頭を抱えた。スローライフのために目立たないように振る舞おうとした結果、上司のプライドを粉々に砕いて、とんでもない地雷を踏み抜いてしまった。

 

 これ、地下牢行きより精神的にキツいんじゃないか? 空を見上げると、王都の分厚い雲の隙間から、世界樹の梢がちらりと見えた。

 

 あのデカい樹が「がんばれー」と笑っているような気がして、俺は本気でため息をついた。




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