第52話 フェデ、要塞を制圧する
ガルドリア王国の朝は早い。いや、早すぎる。
まだ太陽が顔を出すか出さないかという時間帯から、王都の北側にそびえる巨大な岩塊――セカイジュ騎士団総本部《世界樹守護聖堂砦(セント・アルボル要塞)》には、腹の底に響くような怒号と金属音が轟いていた。
ここは「北西の盾」と呼ばれるガルドリア王国の心臓部だ。
ここの空気は鉄と乾いた土、そして張り詰めた殺気で構成されている。
すれ違う騎士たちは全員、兜の奥から鋭い眼光を放ち、私語一つない。廊下の角を曲がるたびに「貴様、何者だ」と無言で問われているような圧迫感がある。
そんな胃の痛くなるような場所で、俺ことルーカス・ヴァレリオの「特務候補生」としての生活が始まったわけだ。
「……なぁ、フェデ。ここ、俺たち完全に場違いじゃないか?」
俺は早朝の基礎訓練のため、要塞の中央にある《蒼騎広場》の端に立っていた。隣では、同じく候補生として放り込まれた同期のカインが「うぅ……吐きそうだ……」と青ざめ、狐獣人のノルンは立ったまま「ふわぁ」と欠伸をしている。
そして俺の足元には、相棒のフェデリオ。茶色とも金色ともつかないフサフサのロングコートに、つぶらな琥珀色の瞳。ダラリと垂れ下がった舌。どこからどう見ても、平和な田舎で愛されているゴールデンレトリバー(超大型)である。
この殺伐とした要塞のド真ん中で、あろうことかフェデは「ここ、石が冷たくて気持ちいい」とばかりに寝転がっていた。
その時だった。カシャン、と何かが落ちる音がした。見れば、休憩に入ったばかりとおぼしき重装騎士の一団が、こちらを凝視していた。その中の一人が、持っていた水筒を取り落としたのだ。
彼らの目は、地面で無防備に腹を晒しているフェデに釘付けになっている。
「……なんだ、あの犬は、ファルニッシュか?」
誰かが呟いた。敵意ではない。困惑と、ほんの少しの――渇望? ザワザワと、鋼鉄の規律にさざ波が広がる。
ガルドリアの騎士たちは、日々、西の魔王領から流れてくる瘴気や魔獣と戦っている。彼らの精神は張り詰めた弦のように限界ギリギリだ。そこへ突如として投下された、圧倒的質量の「もふもふ」
フェデが、わざとらしく尻尾をブン、と振った。風圧すら感じるその一振り。朝日に照らされた黄金色の毛並みが、神々しく波打つ。さらにフェデは、騎士たちに向けて小首をかしげ、「くぅん」と甘えた声を上げた。
あざとい。最上位霊獣のプライドはどうした。
「……触っても、いいのか?」
一人の若い騎士が、恐る恐る手を伸ばした。俺が止める間もなかった。フェデは「よきにはからえ」と言わんばかりに鼻先を突き出し、騎士の無骨な篭手に押し付けたのだ。
ずふぅ。そんな効果音が聞こえそうなほど、鉄の指がフェデの毛並みに埋もれた。
「っ……!?」
騎士が息を呑む。その瞬間、彼の顔から歴戦の戦士の仮面が剥がれ落ちた。
「や、柔らかい……! なんだこれ、絹か? いや、雲か!?」
「おい、ズルいぞ! 俺にも触らせろ!」
「待て、順番だ! 列を作れ! 小隊長から順に触るぞ!」
決壊は一瞬だった。さっきまで「死ぬことこそ名誉」みたいな顔をして殺気立っていた騎士たちが、武器を放り出してフェデの周りに殺到する。我先にと手を伸ばし、その極上の毛並みに触れ、骨抜きにされていく。
「あぁ……瘴気が抜けていくようだ……」
「この腹……人をダメにする弾力だ……吸ってもいいか? 吸うぞ?」
もはや地獄絵図ならぬ天国絵図。要塞の一角が、物理的な攻撃を一切受けることなく制圧されていた。
フェデは騎士たちに揉みくちゃにされながら、俺の方を見てニヤリと――いや、気のせいだと思いたいが、確かにドヤ顔をした。
『るっきー、チョロい』
そんな声が聞こえた気がして、俺は天を仰ぐ。
こいつ、自分が「癒やしの最終兵器」だって自覚してやってやがる。しかし、俺の胃痛はここで終わらなかった。
「――何をしている、貴様らッ!!」
その弛緩しきった空気を、雷のような怒声が切り裂いた。 ビクリ、と騎士たちの肩が跳ねる。蜘蛛の子を散らすように飛び退き、直立不動の姿勢を取るまで、わずか2秒。
広場の入り口に立っていたのは、蒼銀の鎧を完璧に着こなした青年。整った顔立ちは冷徹で、青銀の瞳には隠しきれない苛立ちが燃えている。
ガルドリア王国第二王子にして、この騎士団の副団長。オスカー=ヴァルド・ガルドリアン――俺の「監視役」だ。
「神聖な訓練場を、なんと心得る! 恥を知れ!」
オスカーが歩み寄ってくる。その足取りは堂々としていて、纏う空気が違う。王族特有の覇気というか、近寄りがたいオーラが肌を刺す。
そして、彼の傍らには一頭の獣がいた。黄金のたてがみを揺らす、巨大な獅子。上位霊獣 名前は確かバルザード。
オスカーと契約を結ぶ、「王の威光」を象徴する霊獣だ。その双眸は理知的で、かつて戦場で多くの魔族を葬ってきたであろう風格が漂っている。フェデより一回り大きく、ただそこにいるだけで周囲の空気が重くなる。
「特務候補生、ルーカス・ヴァレリオだな。貴様か、規律を乱したのは」
「あ、いや、その……うちの犬が、皆様にご挨拶を……」
「挨拶だと? 戦場に愛玩動物を持ち込むなど、言語道断」
オスカーは吐き捨てるように言うと、冷ややかな視線でフェデを見下ろした。フェデはまだ地面に寝そべったままだ。騎士たちに撫でられた余韻で、だらしない顔で舌を出している。
「ここは世界を守る盾の庭だ。軟弱な甘えなど必要ない。……バルザード」
彼が短く名を呼ぶ。黄金の獅子が、ゆっくりと前に出る。喉の奥から、地響きのような唸り声が漏れる。
「その犬に教えてやれ。ここがどういう場所か。真の霊獣とは、どういうものかを」
オスカーの命令は明確だった。威圧だ。上位霊獣の覇気で、新入りの駄犬を脅して躾けるつもりだ。
俺は慌ててフェデを庇おうとした。
「待ってください副団長! こいつはただの――」
だが、遅かった。バルザードが、フェデの目の前に立つ。王者の威圧。空気がビリビリと震える。カインなんかもう白目を剥いている。フェデは、のそりと起き上がった。そして、目の前の獅子を見上げる。
……わふ?(遊ぶ?)
短く、気の抜けた声。その瞬間だった。
ビクリと、黄金の獅子の巨体が、跳ねた。
攻撃ではない。恐怖だ。バルザードの瞳孔が極限まで収縮し、耳がペタリと後ろに倒れる。そして、あろうことか―― じり、じり、と。あの「百獣の王」が、後ずさりをしたのだ。
「……バルザード?」
オスカーが眉をひそめる。
「どうした。行け。その犬に格の違いを……」
命令が聞こえていないのか、バルザードは視線をフェデから逸らそうとしない。いや、逸らせないのだ。
人間には分からない。けれど、霊獣同士には「格」が見えてしまう。フェデは世界樹直系の最上位霊獣。霊獣界のヒエラルキーで言えば、神話級の存在だ。
いくら上位霊獣といえど、本能レベルで逆らえる相手じゃない。捕食者が、さらに上位の「理解できないナニカ」に出会ってしまった時の反応だ。
フェデが、トテッと一歩近づく。バルザードが、ビクッとして二歩下がる。フェデが尻尾を振る。バルザードが小さく「キャイン」と鳴いて、オスカーの背後に隠れようとする。
静寂
訓練場に、痛いほどの沈黙が落ちる。 あの勇敢な上位霊獣が。ガルドリアの武力の象徴とも言える王家の獅子が。ぽっと出の犬に怯えて平伏している。
「な……」
オスカーの端正な顔が、信じられないものを見るように歪んだ。彼の誇り。王族としての象徴。誰よりも強く、気高い相棒であるはずのバルザードが。ただの犬っころ相手に、怯えている?
「……私のバルザードが……気圧された、だと……?」
その声は上擦っていた。自分の半身とも言える相棒の醜態。その事実は、彼の高いプライドに深々とヒビを入れたようだった。
まずい。これは非常にまずい。俺は冷や汗をダラダラ流しながら、必死に言い訳を探す。フェデの正体を隠さなきゃいけないし、副団長のメンツも守らなきゃいけない。
「あー……えっと! あれです! 田舎の犬って、距離感がバカなんですよ!」
「……は?」
「礼儀を知らないからグイグイ行っちゃって……バルザード様、そんな無作法な田舎者にびっくりしちゃったのかな? ほら、高貴な方って、野生児が苦手だったりするじゃないですか!」
無理がある。自分でも分かってる。だが、オスカーはあまりのショックに、そのふざけた言い訳を否定する気力すら湧かないようだった。
彼は呆然と、自分の足元で震える「百獣の王」を見つめている。
「……ただの無作法に……王家の獅子が……?」
フェデはといえば、もう獅子には興味を失ったのか、再び騎士たちのほうへ戻り、「続きを撫でろ」と催促している。
要塞の訓練場は、完全に制圧された。武力ではなく、圧倒的な「格」と「愛嬌」によって。
オスカーはふらりとよろめき、バルザードをカードに戻すと、俺を睨みつけた。その目には、憤怒と、理解できないものへの根源的な恐怖が混じっている。
「……興が削がれた。全員、訓練に戻れ! ルーカス、貴様は特別メニューだ。私が直々にしごいてやる」
捨て台詞を残して去っていく背中は、登場時の威厳が嘘のように小さく見えた。
俺は天を仰ぐ。
……目立ちたくないって、言ったよな? なぁ、神様、世界樹様。
俺の平穏な騎士団生活は、入団初日にして粉々に砕け散っていた。
■ バルザード(アスト・レグナス《バルザード》)
種族: 獅子型・上位霊獣
呼び名: バル
契約者: オスカー(騎士団副団長)
紹介: 「王冠を戴く守護獅子」の異名を持つ、威風堂々とした黄金の獅子。 巨大な盾を操るオスカーと共に前線に立ち、物理攻撃も魔法も弾き返す「動く城壁」として、兵士たちから絶大な信頼を集めています。 非常に誇り高い性格で、主君であるオスカーに忠誠を誓っていますが、それは彼が「王族としての誇り」を持っているからこそ。もし主がその矜持を捨てて道を踏み外せば、彼がどう動くかは誰にも分かりません。
能力: たてがみに霊素を循環させ、広範囲の防御結界を展開する「盾鬣解放」を得意とします。また、その咆哮は味方の士気を高め、敵を怯ませる「王の威圧」としての効果を持ちます。




