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第49話  王都ヴァルドンガルドへ

 最高級の馬車ってやつは、揺れないらしい。  

 そんな話を聞いたことがあったが、まさか自分がその真偽を確かめる立場になるとは思わなかった。

 

 革張りのシートは人をダメにするほど柔らかく、車輪には路面の凹凸を殺すための魔導サスペンションなる高級品が組み込まれているという。おかげで、窓の外の景色が後ろへすっ飛んでいく速度のわりに、尻に伝わる振動はゆりかごレベルに優しい。

 

 まさにVIP待遇。あるいは、逃亡防止のための甘い檻。


「……なぁ、フェデ。お前、寛ぎすぎじゃないか?」  


 俺が呆れ半分で声をかけると、向かいの席を独占して腹を出し、豪快に爆睡していた巨大な毛玉――世界樹最上位霊獣フェデリオが、ぴくりと耳を動かした。


「わふぅ……(だってお腹いっぱいだし)」  


 寝言のように鼻を鳴らし、また幸せそうに寝息を立てる。グレイウッドを出発する直前、街の人々から餞別として貰った干し肉やら焼き菓子やらを詰め込んだ結果がこれだ。緊張感のかけらもない。


 まあ、こいつが平和そうならそれでいいんだけどさ。


 俺、ルーカス・ヴァレリオは今、隣国ガルドリアの王都ヴァルドンガルドへとドナドナされている。  名目はセカイジュ騎士団への「特別入団」および「王都本営への出頭」。実態は、規格外の霊素出力を隠しきれなくなった爆弾の処理に近い。

 

 窓のカーテンを少しだけめくってみる。ガラス越しに見えるのは、街道を挟んで前後左右をガチガチに固める騎馬隊の姿だ。

 ソルネリア支部の精鋭たちが、まるで国賓でも護送するかのように整然と隊列を組んでいる。彼らの背中からは「絶対に逃がさない」「何があっても王都へ届ける」という、鋼鉄のような意志がにじみ出ていた。


「……はぁ」   


 深く、重い溜め息が出る。

 

 スローライフ。俺が転生した時に望んだ、たったひとつの願い。  

 美味しいご飯を食べて、ふかふかのベッドで寝て、日向ぼっこをして暮らす。そんなささやかな夢は、たった一ヶ月足らずで粉砕された。いや、粉砕されたというか、自ら「食費と風呂」という俗欲に負けて売り渡したというか。

 

 でも仕方ないだろ。フェデの食費、マジで馬鹿にならないんだよ。あいつ、牛一頭分くらい平気で食う勢いだし。経費で落ちるなら、魂だって多少は売るさ。


『ルーク様。何を湿気た顔をしておられるのですか』  


 不意に、虚空から涼やかな声が響いた。俺の肩のあたりで空気がゆらりと歪み、そこだけ光の屈折率が変わったかのように、小さな人魚の姿が浮かび上がる。


 水の上位精霊ラグナだ。もちろん、外部には見えないように光学迷彩めいた処理をしている。


『これから向かうは王都。人の世の中心です。ルークさまの偉大さを知らしめるには、辺境は狭すぎましたよ』

「偉大さとかいらないから。俺はただ、目立たず平穏に生きたいだけなんだってば」

『ふん。今さら何を言ってやがる』  


 今度は反対側の空気が熱を帯び、赤い子狐姿のヴァルスが実体化(ステルス中)して俺の膝に乗ってきた。尻尾の先がゆらゆらと青白く燃えている。


  『王都だろうが何だろうが、喧嘩売ってくる奴がいれば燃やせばいいだろ。ガルドリアってのは武骨な国だって聞くぜ? 燃やし甲斐がありそうだ』

「燃やすな。絶対にな。入団早々に放火魔として牢屋行きとか笑えないから」

『……風が、騒いでおります』  

 窓枠に止まった緑の小鳥――シルフィオが、静かに嘴を開いた。その瞳は、流れていく景色のはるか先、地平線の彼方を見据えているようだった。


『西へ進むほど、霊素レイソの流れが変わっていきます。ソルミリアの柔らかな風とは違う……もっと硬質で、張り詰めた気配。王都ヴァルドンガルドは、戦いの匂いがする土地です』

「……戦いの匂い、か」  


 フィオの言葉に、俺は再び窓の外へ視線を戻す。

 馬車はいつの間にか、のどかな田園風景を抜け、少しずつ荒々しい地形へと入っていた。  

 遠くに見えていた山脈が近づき、道の両脇には針葉樹の森が広がっている。この先には国境があり、その向こう側がガルドリア王国だ。  


 魔王領に近い「北西の盾」と呼ばれる国。 俺がこれから身を置くことになる場所。スローライフとは真逆の、鉄と規律と魔素との戦いの最前線。

 ふと、視界の端に巨大な影が映り込んだ。影、という表現は正しくないかもしれない。それは光そのものでありながら、あまりに巨大すぎて、遠近感を狂わせる背景の一部になっていた。

 

 世界樹ユグド・アルボル  


 この世界の中心にそびえ立ち、全ての命を循環させる大樹。

 

 グレイウッドからも見えていたが、西へ近づくにつれて、その存在感は桁違いに増している。雲を突き抜ける幹の太さは山脈をも凌駕し、空を覆う枝葉はそれ自体がひとつの天空のようだ。  

 普通の人間が見れば、ただの壮大なランドマークだろう。けれど、俺の目――精霊王の核を持つ『器』としての目には、違うものが見えていた。


 ドクン、と胸の奥が跳ねる。  


 世界樹の幹を走る霊素の奔流が、俺の鼓動と共鳴した気がした。遠く霞む大樹の輪郭が、一瞬だけ、微かに発光したように見えたのだ。それは警告の赤でも、拒絶の黒でもなく。

 

 淡く、優しく、どこか懐かしい……翡翠色と黄金が混ざったような光。


『おかえり』    

 耳ではなく、魂の直接的な部分に、そんな言葉が落ちてきた気がした。声の主はわからない。世界樹そのものなのか、それとも、もっと古い記憶の残滓なのか。

 

 ただ、その光はまるで、放蕩息子が久しぶりに実家の近くまで帰ってきたのを喜ぶ母親のような、あるいは待ちくたびれた友人のような、むず痒いほどの親愛に満ちていて。


「……歓迎されてんのか、これ」  


 俺は苦笑交じりに呟いた。

 

 逃がさないよ、という執念深い愛のような気もするけれど。転生したあの時、世界樹は俺に頼んだ「世界を守ってくれ」と。俺はそれを適当に流して、のんびり生きることを選んだはずだった。  

 でも結局、こうして導かれるように王都へ、世界樹の膝元へと運ばれている。運命ってやつが本当にあるなら、随分と強引で、手回しのいい脚本家がついているらしい。


「わふ?」


 寝返りを打ったフェデが、薄目を開けて俺を見上げた。琥珀色の瞳が、「どうしたの?」と問いかけてくる。  

 俺は自然と手を伸ばし、その温かい毛並みを撫でた。もふもふとした感触。体温。心臓の音。  

 懐には、世界樹の枝から作られた鞘に収まった星霊剣アストラがある。古びて錆びついたように見える鉄の棒だが、その重みだけは確かだ。  


 一人じゃない。フェデがいる。精霊たちがいる。  


 たとえ監視付きの騎士団生活だとしても、こいつらが一緒なら、まあ悪いようにはならないだろう。飯は美味いらしいし、風呂も広いらしいし。  

 それに、俺が本気で「嫌だ」と言えば、世界樹だろうが騎士団だろうが、全力で逃げ出す力くらいはあるつもりだ。今はただ、流れに乗ってみるのも悪くないと思っただけ。

 

 そう、あくまで俺の意志で選んだ道だ。……食費のためだけど。


「……まあ、なんとかなるか」    


 俺は小さく息を吐き出し、背もたれに体重を預けた。窓の外では、陽が傾き始めている。  

 東の空にはまだ青さが残っているが、進行方向である西の空は、茜色と紫が混じり合う複雑なグラデーションに染まりつつあった。黄昏の気配。そのさらに向こう、魔王領から漂う不穏な空気も、今はまだ遠い。  

 馬車は車輪を軋ませることなく、滑るように街道を駆けていく。目指すは黒鉄の軍事都市。そこで待つのは、鬼のような教官か、それとも運命的な出会いか。  


 少なくとも、退屈だけはしそうにない。


 俺はアストラの柄を一度だけ強く握り直し、目を閉じた。まぶたの裏に焼き付いた世界樹の残光が、これから始まる日々の道標のように、チカチカと瞬いていた。



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