第47話 俗物的な動機
詰んだ。 もう、完膚なきまでに詰んでる。将棋で言えば王将が盤の外までデコピンで弾き飛ばされたくらいの詰みっぷりだ。
宿屋の一室。テーブルの上に置かれたのは、赤い封蝋がされた一通の手紙。
そして目の前には、セカイジュ騎士団ソルミリア支部長、アウリック・グレイラン。五十代後半のロマンスグレーが似合うイケおじだが、その目は笑ってない。
いや、正確には「逃がさんぞ」という狩人の光を宿してる。突きつけられた選択肢は、慈悲のかけらもない二択だった。
『A:国家反逆罪に準ずる危険因子として、地下牢での無期限拘束。および、連れている霊獣の没収』 『B:セカイジュ騎士団へ入団し、厳重な監視付きの「特別候補生」として世界のために馬車馬のように働く』
……は?
どっちを選んでも地獄かよ。Aは論外として、Bだって実質的には「死ぬまで働け」と言われてるようなもんだ。スローライフ? なにそれおいしいの? そんな夢はもう、昨日の夕飯と一緒に消化されちまったらしい。
「……あのですね、支部長閣下」
おれはひきつった笑みを浮かべて、精一杯の抵抗を試みる。
「これ、Cはないんですか? たとえば『今回は見なかったことにして、彼を野に放つ』みたいな、平和的解決策とか」
「ないな」
即答だった。食い気味だった。アウリックさんは優雅に足を組み替え、窓の外へと視線を流す。そこには武装した騎士たちがズラリと並んでる気配がする。
逃げ場、ゼロ
「ルーカス殿。君の能力は、すでに個人の自由意志で扱える範疇を超えている。王都本部、ならびに総団長アウストレア閣下の判断だ。世界樹の根を鎮めたあの力……野放しにはできん」
ぐうの音も出ない。そりゃそうだ。おれだって自分が権力者なら、正体不明の爆弾男なんて即刻確保するわ。
でもさあ、おれの自由は? 朝起きて、二度寝して、昼過ぎにパンをかじるあの至福の時間は?
足元では、事態の深刻さを欠片も理解してない巨大な毛玉――フェデが、のんきに「くぅ~ん」と鳴いておれの膝に顎を乗せてくる。
この温かさだけが救いだ。もし地下牢なんてことになったら、このもふもふともお別れ? 冗談じゃない。それだけは絶対に阻止しなきゃいけない。
「……分かりましたよ。入ればいいんでしょ、入れば」
おれは深いため息をついた。肺の中の空気が全部抜けて、代わりに絶望がみっちり詰まっていく感じだ。
「でも言っときますけどね、おれ、協調性ないし、朝弱いし、集団行動とか一番苦手なタイプなんですよ! 騎士団なんて体育会系の極みでしょ? 毎朝ランニングとか、泥まみれで剣を振るとか、そういうのはおれの肌に合わないというか……!」
「ほう。世界を守る名誉よりも、朝寝坊が大事だと?」
「そりゃあもう。布団のぬくもりは正義ですよ」
おれが開き直って答えると、アウリックさんは呆れたように片眉を上げた。 だが、怒る様子はない。むしろ「想定通り」と言わんばかりに、後ろに控えていた副官へ視線を流す。
鉄仮面のように無表情だった副官が一歩前に出てきた。手にはまた別の、分厚い書類の束が抱えられてる。
「ルーカス殿。貴殿の懸念は理解した。確かに騎士団の規律は厳しい。だが、入団に伴う『福利厚生』について説明がまだだったな」
「……ふくり、こうせい?」
ファンタジー世界にあるまじき単語に、おれの耳がピクリと動く。どうせあれだろ。
「名誉ある地位」とか「国を守る誇り」とか、腹の足しにもならない精神論を並べるつもりだろ。騙されないぞ。おれは俗物なんだ。心なんてこれっぽっちも動かないからな。
副官は書類をめくり、事務的な口調で読み上げ始めた。
「まず、王都本部の騎士寮についてですが。候補生であっても完全個室が与えられます。広さは十二畳相当、家具付き。南向きで日当たり良好。冷暖房完備で、清掃は専門の業者が入るため、貴殿がやる必要はありません」
「……個室? 掃除なし?」
おや。いきなり話が違うぞ。大部屋のタコ部屋生活を想像してたんだが。前世、独身アパートで埃と戦っていた記憶が蘇る。掃除しなくていい部屋。それは人類の夢ではないか。
「次に食事だ。本部の食堂は大陸でも指折りの料理人を雇っている。朝、昼、晩、すべて無料。メニューは日替わりで五十種類以上から選べる。当然、おかわりも自由だ」
ごくり、と喉が鳴った。五十種類。しかも無料。ここ数日、パンとシチューのローテーションだったおれの胃袋が反応する。
マルタさんのシチューも捨てがたいが、王都の一流シェフによる食べ放題というのは、破壊力が凄まじい。
「さらに、施設内には天然温泉を引き込んだ大浴場がある。サウナ付きだ。二十四時間、好きな時に入れる」
温泉。サウナ。おれの脳内で「拒否」の文字がぐらりと揺らいだ。前世の社畜時代、夢にまで見た癒しの空間がそこにあるのか。
足を伸ばして入れる風呂……しかもサウナ付き? いや、でも待て。食い物と風呂で釣られるなんて安すぎる。おれはもっと高尚な自由を求めてるんだ。
「……条件は悪くないですけどね。でも、おれにはこいつがいるんですよ」
おれは膝の上のフェデを撫でながら言った。最大の懸念事項だ。
「このデカい図体を見てください。寮に霊獣を連れ込むなんて、普通はダメでしょう? それにこいつ、燃費が悪すぎて……」
そう、こいつは本当によく食う。最近なんて稼ぎの八割がフェデの食費に消えていた。骨付き肉を十本単位で平らげるし、デザートまで要求してくる。
このままじゃおれ、フェデを養うために冒険者稼業で過労死するんじゃないかと本気で心配してたのだ。
すると、アウリックさんがニヤリと笑った気がした。そして、最後にして最強の切り札を切ってきたのだ。
「問題ない。セカイジュ騎士団には『霊獣運用規定』がある。正規の手続きを経れば、同居は認められる。それに……」
アウリックさんは溜めて、言った。
「貴殿のような『特務扱い』の場合、霊獣にかかる食費、医療費、装備メンテナンス費は――すべて騎士団の経費で落ちる」
「…………はい?」
時が止まった。経費。今、彼は魔法の言葉を口にした。
全額、経費。
「えっと、つまり……フェデがどれだけ食っても、おれの財布は痛まないってことですか?」
「限度はあるが、基本的に常識の範囲内であれば青天井だ。最高級の骨付き肉だろうが、魔獣肉のステーキだろうが、申請書一枚で支給される」
ガタンッ! おれは勢いよく椅子から立ち上がっていた。脳裏をよぎるのは、自転車操業の極貧ライフからの脱出。
金に困らず、うまい飯を食い、広い風呂に入って寝る。それこそがスローライフの本質ではないか?
場所が森の中の小屋か、騎士団の個室かの違いでしかない。むしろ、自分で狩りをしなくていい分、騎士団の方が楽なんじゃないか?
「わふっ?」
フェデが首を傾げた。「肉」という単語に反応したのか、尻尾がバタンバタンと床を叩き始める。その瞳は明らかにこう言ってる。
『るっきー! ここ! ここにする! 肉! 食べ放題!』
売られた。 飼い犬(霊獣)にあっさり売られたぞおれの自由!でも待て。天秤にかけるまでもない。おれのプライド? そんなもん、とっくにトラックに轢かれて異世界に来る前に置いてきたわ!
おれはアウリック支部長に向き直り、満面の笑みを浮かべた。
さっきまでの不承不承な態度はどこへやら。背筋を伸ばし、清々しいほどの掌返しを見せつける。
「アウリック支部長。おれの考えが浅はかでした」
「ほう?」
「世界を守る。なんて素晴らしい響きでしょう。おれはずっと、何かの役に立ちたいと思ってたんです。フェデもやる気満々ですし、こんな好条件……じゃなくて、名誉ある任務を断る理由がありません」
おれが言い切ると、アウリックさんは「ふっ」と鼻で笑った。
「……食費か」
「すべては食費のためです。あ、いや、世界平和のためです」
言い直したが、もう遅い。アウリックさんの目は完全に「こいつ、安い男だ」と語っていた。だが構うものか。安くて結構。こちとら背に腹は代えられないんだ。フェデのエンゲル係数から解放されるなら、魂だって多少は安売りしてやる。
「よかろう。交渉成立だ」
アウリックさんが顎をしゃくると、副官が入団同意書とペンを差し出してくる。
おれは迷いなくサラサラと署名した。フェデも横から肉球をインクに浸し、ペタンと手形を押す。これで契約完了だ。おれたちは晴れて、明日から国家公務員になる。
「出発は明日の早朝だ。王都までは騎士団の馬車を用意させてある。荷物をまとめておけ」
「馬車ですか。徒歩じゃないなら助かります」
「VIP待遇だと思え。……逃げられんように、な」
アウリックさんは意味深に言い残し、部下たちを連れて部屋を出て行った。重厚な扉が閉まる音が、おれの冒険者生活(Dランク)の終わりを告げる号砲のように響いた。
部屋に残されたのは、おれとフェデ、そして契約書の控えだけ。静寂が戻ると同時に、隠れていた精霊たちがふわりと実体化した。
「……ルークよ。お前、本当にそれでいいのか?」
呆れ顔のヴァルが、赤い尻尾を揺らしながら聞いてくる。フィオも緑の羽を繕いながら、ため息交じりに呟いた。
「風が呆れています。まさか、肉のために自由を売り渡すとは」
「なんとでも言え。お前らだって、魔素だまりで空腹のフェデが暴れるのを見たくないだろう?」
おれはベッドにダイブし、天井を見上げた。
騎士団か。
正直、不安がないと言えば嘘になる。あそこには「本物」のエリートたちがうようよいるはずだ。
勇者エリシアみたいな、キラキラした人たちの中で、おれみたいなやる気のない偽物がやっていけるんだろうか。
でもまあ。横を見ると、フェデが安心しきった顔で丸くなり、もう寝息を立てていた。こいつが腹一杯食えて、安心して眠れる場所があるなら。それだけで、選ぶ価値はある。
「……ま、なんとかなるだろ」
おれはいつもの口癖を呟き、目を閉じた。スローライフは一時中断。明日からは「給料泥棒」を目指して、全力でサボりつつ働いてやろう。俗物的な動機上等。それがおれ、ルーカス・ヴァレリオの生き方なのだから。
窓の外では、夜明けを待つグレイウッドの街が、静かに眠っていた。おれがこの街を出るまで、あと数時間。




