第46話 拒否権のない選択肢
詰んだ。もう、笑っちゃうくらい完膚なきまでに詰んでる。
将棋で言えば「王手」をかけられた上に盤面をひっくり返され、ついでに駒を全部没収されて「負けです、あと罰金も払え」と言われているような状況だ。
俺が愛してやまない宿屋《月下葡萄亭》の二階、一番奥の個室。
本来なら、窓から差し込む朝日を浴びて「あ〜あ、今日も平和だな〜」なんて大あくびをかまして、一階から漂ってくるパンの焼ける匂いに腹を鳴らす時間だ。
なのに、現実はどうだ。 窓の外。 カーテンを指一本分だけ開けて覗けば、そこには絶望しかない。
朝日にギラギラ輝く白銀の鎧。 それも一人や二人じゃない。宿屋を取り囲むように、セカイジュ騎士団の兵士たちがずらりと整列している。完全包囲だ。アリ一匹逃がさないっていう殺意高めの気迫が、窓ガラス越しにびりびりと伝わってくる。
過剰戦力にも程があるだろ。 この宿、善良な市民の憩いの場なんだけど? 営業妨害で訴えたら勝てるかな。いや、相手は国家権力だから無理か。
部屋の中には、俺の目の前にあるテーブルの上に、一通の手紙。
赤い封蝋で厳重に閉じられた、いかにも「重要書類です、読まないと人生終わります」と主張しまくっている分厚い羊皮紙が鎮座している。
差出人の名前は、アウストレア・ラインハルト。 この大陸の騎士団を束ねるトップ、総団長様からの直筆お便りだそうだ。ファンレターならどれほど嬉しかったか。
「……はぁ」
何度目かわからないため息が、床に落ちる。
向かいに座っているフェデは、この緊迫した空気が読めているのかいないのか、俺の足元で「くぅ〜ん」と甘えた声を出しながら腹を出して寝ている。
こいつの図太さが羨ましい。いや、こいつが可愛すぎて目立ったせいでもあるんだけどな! 可愛いから許すけど!
『ルークよ、さっさと開けちまおうぜ。燃やしてから読むか?』
虚空から赤い子狐がぽん、と湧いて出る。炎の上位精霊ヴァルだ。こいつも事の重大さを分かってない。手紙を燃やしたら読めないだろうが。
「……静かにしてろって言ったろ。騎士団にバレたらどうすんだ」
『へっ、この程度の結界ならオレの声なんざ漏れやしねぇよ。それより、外の連中、やる気満々だぜ? ちょっと脅かしてやろうか? 』
「やめろ。絶対やめろ。お前がくしゃみしただけで街半分が消し炭になるんだよ」
俺はヴァルの頭を指でぐりぐりと押し込み、視線を手紙に戻す。 昨晩、ソルミリア支部長のアウリックさんが置いていったこの手紙。
『明日の朝までに返答を聞く』 そう言い残して、彼は部下と共に一階で待機している。つまり、この手紙の内容が、俺への最後通牒ってわけだ。
意を決して、封蝋を割る。 ペリッ、という乾いた音が、やけに大きく響いた。
中から出てきたのは、分厚い羊皮紙が一枚。 そこに書かれていた文字は、驚くほど達筆で、かつ、読んだだけで書いた人間の頑固さが伝わってくるような、角張った筆跡だった。
『親愛なる“規格外”の冒険者、ルーカス・ヴァレリオ殿へ』
書き出しからしてもう嫌味だ。規格外ってなんだよ。俺はDランクだぞ。善良なモブだぞ。
『単刀直入に告げる。貴殿の存在は、現在の世界秩序において看過できない“特異点”であると判断した。グレイウッドにおける一連の事象――計測器の破壊、暴走根の鎮圧、そして異常なまでの霊素干渉能力。これらは一個人が管理するには余りある力だ』
……全部バレてる。ネリスさんの調査能力、高すぎない? あの無表情眼鏡お姉さん、事務官の皮を被ったスパイか何かなのか。水路で撒いたと思ったのに、きっちり報告されてたわけだ。
俺の涙ぐましい隠蔽工作、全否定。
『よって、我々セカイジュ騎士団は貴殿に対し、以下の二つの選択肢を提示する』
ごくり、と喉が鳴る。 選択肢。RPGならここで運命の分岐点だ。
だが、そこに書かれていたのは、選択肢と呼ぶにはあまりに慈悲のない、究極の二択だった。
『選択肢1: 国家指定の“特別危険因子”として身柄を拘束。生涯を地下牢獄、もしくは厳重な監視施設にて過ごすこと。なお、同行している霊獣(個体名:フェデリオ)に関しては、希少生物保護の観点から騎士団が没収し、別途管理する』
は? 地下牢? 没収?ふざけるな。
俺の手がわなわなと震える。
俺は何も悪いことしてないぞ。ただ、ちょっと規格外の力を持って転生しちゃって、ちょっと計測器を壊しちゃって、ちょっと暴走した根っこを鞘で殴っただけだ。人助けじゃん!
それに、フェデを没収だと?こいつと引き離されるなんて、それだけは絶対に無理だ。俺のスローライフの癒やし成分がゼロになってしまうし、何よりフェデが悲しむ。
『選択肢2: セカイジュ騎士団へ入団し、我々の監視・管理下において、その力を正しく世界のために行使すること。この場合、貴殿の身分と生活は保証され、霊獣との同行も許可する』
……なるほどね。要するに、「檻に入るか、首輪をつけて働くか」選べってことか。
どっちを選んでも、俺の夢見ていた「のんびり自由気ままなスローライフ」は消滅確定。さようなら、昼まで寝ていられる平和な日々。こんにちは、規律と訓練と魔物討伐のブラックな日々。
「……無茶苦茶だ……」
俺は頭を抱えて机に突っ伏した。世界樹さんよぉ、話が違うじゃないか。「貴方が貴方の意志で生きること」が世界を癒やすとか言ってなかったか?これのどこに俺の意志があるんだよ。完全に強制イベントじゃないか。
『ルークさま、どうするのです?』
今度は、窓際の空気中の水分が集まって、小さな人魚の姿をとる。水の上位精霊ラグだ。
彼女は涼しげな顔で手紙を覗き込み、ふぅむ、と小さく息を吐いた。
『この文面……行間から『拒否権はない』という圧を感じますね。アウストレアという男、なかなかに強引な性格とお見受けします』
「……ああ、そうだな。強引すぎるだろ」
『ですが、地下牢というのは感心しません。湿気が多いのは良いですが、主の健康には悪そうです』
「そっちの心配かよ」
さらに、天井付近で緑色の小鳥が旋回する。風の上位精霊フィオだ。
『風が告げております。この宿の周囲だけでなく、街の外縁、主要な街道、裏道に至るまで、騎士団の“目”が配置されていると。逃亡成功率は……限りなくゼロに近いかと』
「……マジで?」
『はい。それに、もし強引に突破しようとすれば、我々が本気を出さざるを得ません。そうなれば、この愛すべきグレイウッドの街は……地図から消えることになりますね』
さらっと恐ろしいことを言うな。つまり、逃げるという選択肢もない。
戦う気もない。そんなことしたら、俺は本当に「魔王」扱いされて、世界中から追われる身になる。それこそスローライフどころの話じゃない。
俺はちらりと、足元で寝ているフェデを見た。 こいつは、俺が転生したときからずっと一緒だ。俺にとって家族みたいなもんだ。
選択肢1を選べば、俺は一生牢屋の中で、フェデとも会えなくなる。
選択肢2なら……少なくとも、一緒にはいられる。監視付きで、自由はなくて、働かされるけど。
「……くそっ」
答えは決まっているようなものだ。フェデを守るためだ。それに、俺自身も地下牢でカビ臭いパンをかじる生活なんて御免だ。
でも、悔しい。なんで俺が。ただのんびり暮らしたいだけなのに。前世で死ぬほど働いた分、今世では怠惰を貪る権利があるはずなのに。
コンコン。
その時、部屋のドアがノックされた。 返事をする間もなく、ドアが開く。 入ってきたのは、灰金色の髪をオールバックにした初老の騎士――アウリック・グレイラン支部長だ。
彼は部屋に入るなり、俺の前の椅子に座り込んだ。まるでそこが自分の席であるかのように自然な動作で。その背後には、隙のない動きで二人の護衛騎士が控えている。
「おはよう、ルーカス殿。よく眠れたかね?」
嫌味なほど爽やかな笑顔だ。俺はジト目で彼を睨む。
「……おかげさまで、悪夢を見ましたよ。赤い手紙に追いかけ回される夢をね」
「それは奇遇だ。私も若い頃、上官からの召集令状にうなされたものだよ」
アウリックさんは、机の上の羊皮紙に視線を落とす。
「で、結論は出たかな? 総団長はお待ちかねだ」
俺は、ぐっと拳を握りしめた。 ここで「嫌です」と言えば、後ろの騎士たちが剣を抜く。フェデが唸り、精霊たちが暴れ、街が吹き飛ぶ。
……そんなの、ダメに決まってる。
俺は深呼吸をして、諦めの表情でアウリックさんを見据えた。
「……その前に、確認したいことがあります」
「なんだ?」
「選択肢2を選んだ場合……俺の生活は、具体的にどうなるんですか。監視下ってことは、牢屋じゃないにしても、自由はないんですよね?」
せめて、少しでも条件を良くしたい。 そんな俺のささやかな、そして必死な抵抗に対し、アウリックさんの後ろに控えていた副官らしき若い騎士が、ふっと表情を緩めた。
まるで、駄々をこねる子供をあやすような、妙に優しい顔で。そして彼は、懐から新たな書類を取り出しながら、俺の人生を決定づけることになる「ある提案」を口にしようとしていた。




