表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

42/71

第42話  エリシアの訪問

 グレイウッドの朝はムカつくくらい爽やかだった。

 空は突き抜けるような青。小鳥はさえずり、パン屋からは焼きたての小麦の匂い。  

 宿屋『月下葡萄亭』のテラス席で、俺、ルーカス・ヴァレリオは特製シチューをすすりながら、しみじみと平和を噛み締めていた。


「んー……! うっま!」


 これだよ。俺が求めていたのは。 一昨日の地獄みたいな西の森の異常?勇者エリシアの危機? 全部、悪い夢だったに違いない。  

 だって今の俺は、ただのDランク冒険者。世界を救う義務もなければ、魔王と戦う予定もない。あるのは「今日の昼飯どうしようかな」っていう、最高に贅沢な悩みだけだ。


「わふぅ(肉食いたい)」

「ダメだぞフェデ。一昨日の夜、特大ステーキ食っただろ。今日は節約だ」


 足元で寝転がっている相棒――最上位霊獣にして、今はただの食いしん坊なゴールデンレトリバー――フェデの頭を、足先でつんつんする。  

 フェデは「ケチ」と言いたげに鼻を鳴らしたが、すぐに道行く人を眺めて尻尾を振り始めた。

 平和だ。完璧だ。 一昨日の現場では顔も隠してたし、声も変えてた。去り際なんて風のように消え去ったからな。誰がどう見ても「通りすがりの謎の実力者」だ。

 まさか、この街でだらけてる新人冒険者と同一人物だなんて、誰も思うまい。


(勝ったな。俺のスローライフ、第二章開幕ってことで)


 勝利を確信して、二杯目のコーヒーを注文しようと手を挙げた、その時だった。


「きゃああああああっ! 勇者様よぉぉぉっ!!」

「こっち向いてー! エリシア様ーっ!」


 通りがいきなり爆発した。 いや、物理的にじゃなくて、音量的に。  

 鼓膜が破れるかと思うほどの黄色い歓声と野太い怒号が、メインストリートの向こうから津波みたいに押し寄せてくる。


「……は?」

 俺の手が空中で固まる。 勇者? エリシア? なんで? 一昨日の今日だぞ? 怪我の治療とか、報告書の作成とかで忙しいんじゃないの?


「おい聞いたか? 勇者様、まだこの街にいたらしいぞ!」

「視察だってよ! 一昨日の事件を解決した『謎の英雄』を探してるって噂だ!」


 隣の席の冒険者たちの会話が、鋭利な刃物になって俺の心臓に突き刺さった。  

 視察? 違う、それは建前だ。 犯人探しだ。 あの生真面目な勇者様のことだ、「名も名乗らずに去るなんて、お礼も言えてない!」とか考えて、血眼になって探してるに決まってる。


(やっべぇ……!)


 俺は瞬時に椅子から滑り落ちるようにして、姿勢を低くした。

 逃げるか? いや、今このタイミングで動いたら逆に目立つ。「あいつ怪しい!」って指さされる未来しか見えない。  

 じゃあ隠れるか? テーブルの下? 無理だ、フェデがデカすぎて尻尾がはみ出る。

 どうする。どうする俺。  思考をフル回転させている間に、パレードの列は近づいてくる。  


 人混みの壁が割れ、その中心を歩いてくる人物の姿が見えた。

 白金の髪。 朝日を浴びて輝く、純白の軽装鎧。 背中には、彼女の華奢な体には不釣り合いなほど巨大な聖剣。

 エリシア・リュミエル・フェルシア。 一昨日の泥だらけの姿とは打って変わって、完璧に整えられた「勇者」の姿だ。でも、そのみどりの瞳は笑っていない。


 鋭く、獲物を探す鷹のように、沿道の人々の顔を一人ひとり確認している。

 目が、合いそうだ。 俺はとっさに帽子を目深にかぶり直し、フェデの背中に顔を埋めるようにして気配を消した。  


 俺は石ころ。俺は雑草。ただの背景A。 前世でつちかった「会議中に絶対に指名されないためのステルス技術」を、今こそ発動する時だ。

 エリシアの列が近づいてくる。 距離、十メートル。五メートル。 よし、いける。彼女の視線は反対側の建物を向いている。このまま何事もなく通り過ぎて――


 キィィィィン……


 不意に。 耳鳴りみたいな、高く澄んだ音が響いた。 俺のふところの中で。そして、彼女の背中で。 腰に差していた『木の棒(に見せかけた星霊剣アストラ)』が、鞘の中でカタカタと震え出したのだ。


(ばっ、馬鹿野郎! なんで今反応すんだよ!)


 俺は心の中で絶叫しながら、必死に剣のつかを押さえ込んだ。

 そりゃそうだ、アストラと彼女の聖剣は、どっちも世界樹の枝から作られた兄弟みたいなもんだ。近くにいれば共鳴するなんて、そんなベタな設定、忘れてた俺が悪いけど!

 

 でも空気読めよ! 今は感動の再会シーンじゃないんだよ!

 ピタリ、と。 俺の目の前で、エリシアの足が止まった。


「……?」


 彼女が振り返る。 その翠の瞳が、俺のいるテラス席の方を――正確には、俺の懐あたりを射抜いた。 心臓がドカンと跳ねる。  

 バレたか?  いや、まだだ。音の出処を探ってるだけだ。まだ俺だと確信したわけじゃない。

 エリシアが、人混みをかき分けるようにして歩み寄ってくる。  

 周囲の喧騒が遠のく。 彼女が近づくにつれて、俺の剣の震えも大きくなる。やめろ、暴れるな。  

 あと三歩。二歩。 目の前に、白銀の鎧が立つ。いい匂いがするけど、それどころじゃない。圧がすごい。肌がピリピリする。


「……あなた」


 鈴を転がしたような、でも芯の通った凛とした声。 エリシアが、俺の顔を覗き込んでくる。逃げ場はない。  

 ここで視線を逸らせば、「怪しい奴」確定だ。なら、やるしかない。一世一代の、大芝居を。


 俺はゆっくりと顔を上げた。 顔面の筋肉を総動員して、最高に間抜けで、平和ボケした「善良な市民」の笑顔を作って。


「あ、どうも勇者様。いやあ、いい天気ですねえ〜」


 声が裏返らないように注意しながら、あくまで世間話のトーンで。  

 へらっと笑いながら、手元のコーヒーカップを持ち上げてみせる。  


 どうだ。この緊張感のかけらもない挨拶。  

 一昨日の戦場で、魔素を切り裂いて現れた「謎の男」とは、似ても似つかないだろう?

 エリシアが、きょとんとした顔をする。 そりゃそうだ。いきなり天気の話をされて、反応に困らないわけがない。  


 彼女は俺の顔をまじまじと見つめ、それから足元のフェデに視線を落とし、また俺に戻した。


「……えっと。天気、ですか?」

「ええ、最高っすよ。こんな日は、犬と散歩に限りますねえ。なぁポチ?」

「わふん(ポチじゃねぇ)」


 フェデも空気を読んで、情けない声で鳴いてみせる。お腹を出して「撫でて〜」と甘えるポーズは完璧だ。お前、役者になれるぞ。  

 エリシアの視線が、わずかに揺らぐ。 彼女の中で、「一昨日の圧倒的な気配」と「目の前のへらへらした兄ちゃん」が一致しないのだ。

 

 よし、いける。このまま押し切れ。

 だが、彼女の視線は鋭い。 俺の目を見据えたまま、一歩踏み込んでくる。


「その剣……」

「へ? ああ、これですか?」


 俺は腰の剣をポンと叩いた。ボロ布でぐるぐる巻きにしてあるから、中身は見えないはずだ。

「じいちゃんの形見なんですよ。錆びついちゃって抜けないんですけど、お守り代わりにね。……あ、もしかして邪魔でした? すいません、すぐに隠しますんで!」


「……いいえ」


 エリシアは首を横に振った。 でも、その目はまだ俺を疑っている。  

 聖剣の共鳴。それに、俺から微かに漏れ出ているかもしれない霊素の匂い。  

 彼女の野生の勘が、「こいつは何か隠してる」と警鐘を鳴らしているのが分かる。


 長い沈黙。俺の背中を、冷や汗が滝のように流れる。  

 頼む、行ってくれ。これ以上見つめられたら、ボロが出る。


「……そう、ですよね」


 やがて、エリシアはふっと力を抜いた。寂しげに微笑み、一礼する。


「驚かせてごめんなさい。……人違い、だったみたいです」


 その声には、少しだけ落胆の色が混じっていた。 彼女はもう一度だけ俺とフェデを見て、それからきびすを返した。  

 遠ざかっていく白金の背中。 騎士たちが慌てて彼女を追いかけ、パレードが再び動き出す。


「…………ふぅぅぅぅ」


 完全に姿が見えなくなった瞬間、俺はその場に突っ伏した。 テーブルに額を押し付けて、荒い息を吐く。  

 死ぬかと思った。魔王と戦うより心臓に悪いわ、これ。


「ご、誤魔化せた……よな? 完璧だったよな?」

「わふ(ギリギリだったね)」


 フェデが慰めるように俺の手を舐める。

 俺は震える手で冷めたコーヒーを飲み干した。

 大丈夫。疑われたかもしれないけど、確証は持たれてないはずだ。Dランク冒険者が、あんな化け物じみた聖域の暴走を鎮圧できるなんて、普通は思わない。


 ――そう、普通なら。


 俺は知らなかった。 去り際のエリシアが、人混みに消える直前、もう一度だけ振り返って俺を見ていたことを。  

 そして、その隣にいた騎士に、小声でこう囁いていたことを。


「……あの方の経歴、調べておいて。特に、ここ数日の行動を」


 俺のスローライフを守るための必死の演技は、皮肉にも彼女の「勘」をより強く刺激してしまったらしい。  

 そして何より。 王都ではそんな生優しいレベルではない、国家規模の包囲網が完成しつつあるとも知らず。 俺は「勝った!」と勘違いしたまま、能天気にフェデの頭を撫で回していたのだった。


 ――だが、俺は知らなかった。 この一部始終を、カフェのテラス席からじっと観察していた者たちがいたことに。


「……見たか、ネリス君」

「はい。勇者の聖剣が共鳴しました。間違いありません」


 分厚い本を広げた老学者ギルベルトと、涼しい顔で紅茶を啜る事務官ネリス。  

 二人の目は、逃げるように去っていく俺の背中に釘付けだった。


「ふぉっふぉ。とぼけた顔をしておるが、隠しきれておらんのう。……あれだけの器、騎士団がいつまでも野放しにしておくわけがない」


 ギルベルトは楽しげに髭を撫で、ネリスは手元の手帳にさらさらと何かを書き込んだ。『対象ルーク。勇者エリシアとの接触において、高度な精神隠蔽を確認』


 俺の知らないところで、外堀は完全に埋められていたのだ。  

 グレイウッドの空はまだ青いが、西からは確かな嵐の気配が、俺の「スローライフ」に向かって牙を剥き始めていた。

 

 王都から放たれた『赤』色の悪魔が、すぐそこまで迫っていることを、この時の俺はまだ知る由もなかったのだ。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ