表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

41/69

第41話  懐かしい光

 その願いが、精霊王の神通力かなにかで通じてくれればよかったのだが。 現実は、そう甘くはなかった。

 

 背中に突き刺さる視線の熱量が、秒ごとに跳ね上がっていくのがわかる。  

 俺は平静を装って歩いているつもりだった。あくまで「たまたま通りがかった凄腕の庭師が、ちょっと伸びすぎた枝を剪定せんていして帰るところですよ」という空気を、全身からかもし出しているつもりだった。  

 だが、背後の気配はそれを許してくれそうにない。

 

 静まり返った森の中。 浄化されたばかりの青い燐光りんこうが舞う幻想的な空間で、俺の足音だけがカサッ、カサッと響く。  


 足元のフェデが不安そうに俺を見上げ、「るっきー、早くずらかったほうがよくない? 後ろの視線、熱すぎて焦げそうだよ」と尻尾で合図を送ってくる。  

 俺も同感だ。今すぐダッシュで逃げたい。 でも、ここで走ったら「やましいことがある不審者」確定だ。

 いや、すでに十分不審者なんだけど、そこはなんというか、大人の余裕みたいなもので誤魔化したい。

 あと十歩。 あと十歩で、茂みの向こうへ消えられる。  

 そうすれば、死角を利用して風の精霊術を一気に発動し、物理的に距離を取れる。いける。いけるぞ。スローライフへの帰還ルートは見えた。  

 俺は勝利を確信し、最後の一歩を踏み出そうとした。


 その時だ。


「――待っ、て……!」


 空気を切り裂くような、凛とした、けれど悲痛な響きを含んだ声。  

 俺の足が、意思に反してピクリと止まってしまう。  

 なんてこった。呼び止められてしまった。 しかも、その声の主は間違いなく勇者エリシアだ。


(……聞こえない。俺は何も聞こえていない。これは風の音だ)


 俺は心の中で念仏のように唱え、強引に足を動かそうとした。  

 幻聴だ。あれは森の精霊のいたずらだ。  

 決して、国の英雄が、正体不明の不審者にすがるような声を出したわけじゃない。  

 俺はフードをさらに深く引き下げ、猫背気味にスピードアップする。


「お願い……待って……! あなたは……!」


 声が近づく。 ってでも追いかけてきそうな気迫だ。  

 まずい。これは非常にまずい。 振り返って「人違いです」と言うべきか? いや、喋ったら声でバレるかもしれない。  

 じゃあ「私は森の妖精です」設定で押し通すか? 無理があるだろ、成人男性の体格で。


 俺が逡巡しゅんじゅんしている間に、さらに背後の気配が強まる。 視線だけじゃない。 何かこう、魂レベルで共鳴しようとしてくるような、強烈な引力を感じる。  

 彼女の中にある「勇者の霊核」が、俺の中にある「精霊王の核」に反応しているんだ。同じ工房で作られた兄弟機が、互いの存在を感知して呼び合うみたいに。


(……勘弁してくれよ)


 これ以上ここにいたら、引力に負けて振り返ってしまう。  

 俺は覚悟を決めた。 物理的に逃げるしかない。 それも、ただ走るんじゃなく、二度と追いつこうと思わせないくらい圧倒的な速度で、神秘的に、かつ不自然に消える。

 それが、彼女のためでもあり、俺のスローライフのためでもある。


(フィオ、頼む。全速力だ)

『御意。……少し、派手に参りますよ』


 風の上位精霊フィオの涼やかな声が脳内に響く。  

 次の瞬間。ヒュウウウッ……!  地下空洞であるはずのこの場所に、あり得ないはずのつむじ風が巻き起こった。  

 舞い散っていた青い光の粒子が、風に巻き上げられて螺旋らせんを描く。 視界が白く染まるほどの光と風の奔流。  

 それが俺とフェデの体を優しく、しかし強引に包み込んだ。


「――あ」


 背後で、エリシアの息を呑む声がした。 俺の体は重力を失い、風の一部となって空へ溶ける。  

 転移魔法じゃない。俺自身が「風」になる感覚。 振り返ることはしなかった。  

 ただ、最後に一瞬だけ感じた彼女の視線が、どこまでも寂しそうで、熱っぽくて、俺の胸の奥をチクリと刺したことだけを覚えていた。


 ***


 勇者エリシア・リュミエルは、伸ばした指先がくうを掴む感触に、呆然と立ち尽くしていた。

 いない。 つい先ほどまでそこに立っていた、ボロボロのローブを纏った背中。 それが、陽炎かげろうのように揺らぎ、光の粒となって霧散してしまった。  

 魔法の詠唱も、魔方陣の展開もなかった。 ただ、風が彼を愛し、彼を連れ去りたがったかのように、世界そのものが彼を隠してしまった。


「……行っちゃった……」


 力が抜け、エリシアはその場に崩れ落ちた。 泥だらけの膝が地面につく。  

 けれど、不思議と絶望感はなかった。 代わりに胸を満たしていたのは、温かく、懐かしい光の余韻。

 彼が去り際に残していった風が、優しく頬を撫でていく。  

 その風に含まれていた濃密な霊素が、エリシアの枯渇していた霊核レイコンに染み渡り、傷ついた身体を内側から癒やしていくのがわかった。  

 ただの回復魔法ではない。 もっと根源的な、生命そのものを分け与えられたような感覚。  

 それはまるで、幼い頃に母に抱かれたときのような、あるいは――もっと遥か昔、魂がまだ形になる前の記憶にある、絶対的な安心感。


「エリシア様! ご無事ですか!?」


 部下の騎士たちが駆け寄ってくる足音で、エリシアは現実に引き戻された。 カレンが血相を変えてエリシアの肩を支える。


「無茶しすぎよ、あんた……! 死ぬ気!?」

「……カレン……」

「まったく、生きててよかったわよ。……あいつもな」


 カレンが複雑そうな顔で、誰もいなくなった空間を見やった。

 彼女にも見えていたのだ。あの不可解で、神々しいまでの撤退劇が。

 騎士たちがざわめき始める。


「おい、今の見たか?」

「あの暴走根が一撃で……いや、一撃ですらなかったぞ」

「鞘で触れただけに見えたが……」

「まさか、上位精霊の化身か? 人の形をしていたが……」


 混乱と畏怖が入り混じる中、エリシアは自分の胸元をぎゅっと握りしめた。  

 心臓の鼓動が、まだ早い。 恐怖のせいではない。あの背中を見た瞬間に感じた、強烈な既視感デジャヴのせいだ。


(……あのかたは、誰?)


 光の大精霊セラフィードが、かつて夢の中で語ってくれた御伽噺おとぎばなし


『勇者は剣。切り拓く者』  『けれど、それを支える根源ねっこがおられるの。誰も知らない、けれど誰よりも世界を愛した、優しい王様が』


 エリシアの脳裏に、先ほどの少年の背中と、神話に語られる「古代の王」の姿が重なる。  

 馬鹿げていると笑われるかもしれない。 精霊王なんて、数百年前の伝説上の存在だ。今さら現れるはずがない。  

 けれど、あの背中から漂っていた悲哀と、世界樹を「治療」したときの手つきの優しさは、ただの人間のものではなかった。


「……探さなきゃ」

 小さく、けれど強い決意を込めて呟く。 カレンが怪訝そうに眉を寄せる。


「は? 探すって、あいつをか? 無理よ、あんなデタラメな逃げ方する奴、追えるわけないでしょ」

「いいえ、います」


 エリシアは、泥に汚れた顔を上げ、まっすぐに虚空を見つめた。  

 そのみどりの瞳には、かつてないほど強い光が宿っていた。


「この世界のどこかに、彼は確かにいる。……私たちが知らなかっただけで、ずっと見守ってくれていたのかもしれない」


 もし彼が、世界樹の遣わした守護者なのだとしたら。 あるいは、伝説の王その人なのだとしたら。 勇者として、ではなく。一人の人間として、彼に会いたい。  

 お礼を言いたい。 そして何より――あのフードの下にある瞳が、どんな色をしているのかを知りたくてたまらなかった。


 静まり返った聖域で、青く輝く世界樹の根が、祝福するように静かな光を放ち続けていた。  

 それはまるで、新たな物語の幕開けを告げる、夜明けの灯火ともしびのようだった。  

 エリシアは胸の奥で誓う。必ず見つけ出すと。たとえ彼が風のように逃げようとも、この光の導きがある限り、いつか必ず追いついてみせると。


 ***


「……ふぅー、あっぶねぇー……!」


 聖域からかなり離れた、森の奥深く。  

 風魔法による超高速移動(とういうか、風の精霊フィオに無理やり拉致されて運ばれた状態)を解き、俺は木の根元にへたり込んだ。  


 心臓が早鐘を打っている。 全力疾走したからじゃない。精神的な摩耗だ。


「聞いたかフェデ? 『待って』って言われたぞ。完全にホラー映画のラストみたいな響きだったぞ」

「わふん(モテモテだね)」

「違うわ! あれは『おいコラ不審者、署まで来い』のトーンだ!」


 俺はガシガシと頭を掻いた。 やってしまった感がある。  

 いや、あれしかなかったんだ。あのまま戦わせていたらエリシアは死んでいたし、世界樹の根も腐り落ちていただろう。  


 結果オーライだ。そう思いたい。 でも、最後に感じたあの視線。  

 すがるような、熱烈な眼差し。

 あれは、「通りすがりの親切な人」に向けるものじゃなかった。もっとこう……生き別れの親とか、崇拝する神様とか、そういう重たいものを見る目だった気がする。


『ルーク殿、見事な撤退でした』  


 フィオが緑色の小鳥の姿に戻り、枝の上で羽繕はづくろいをしている。


『風に乗って姿を消す。まさに伝説にある精霊王の去り際そのものでしたね。エリシア殿も、さぞ神秘的に感じたことでしょう』


「……フィオ、お前わざとやっただろ」  


 あんなキラキラしたエフェクト付きで消える必要あったか? 余計に印象に残してどうするんだ。

 俺はもっとこう、泥臭く走って逃げるつもりだったのに。


『それにしても』  


 炎の子狐姿に戻ったヴァルが、あくびをしながら出てくる。

『あの、なかなかやるじゃねぇか。最後、ルークの気配に気づいてたぜ』

「……やめてくれ。そういうフラグは一番いらないんだ」


 俺はため息をつき、フードを脱いだ。 森の空気は澄んでいる。  

 遠くからはもう、あの不快な魔素の臭いはしない。 ひとまず、仕事は終わった。  

 世界樹の悲鳴も止まったし、勇者も死なずに済んだ。  

 俺の正体がバレたかどうかは……まあ、顔は見せてないし、なんとかなるだろう。

 俺はただのDランク冒険者。今日はたまたま散歩に来て、たまたま凄いことが起きた現場から、たまたま逃げ出した一般市民A。


 ずらかったのはマズかったかもしれないが、カレンさんが上手くごまかしてくれるだろう。

 うん、そういうことにしておこう。


「よし、帰るぞフェデ。腹減った」

「わう!(肉!)」

「ああ、今日は特大のを食おう。経費だ経費。……どこに請求すればいいか分からんけど、世界樹にツケとくか」


 俺たちは立ち上がる。 足取りは軽い。 これで一件落着だと、本気で信じていた。

 グレイウッドに帰って、マルタさんのシチューを食べて、泥のように眠れば、明日はまた平和な一日が始まるはずだ。

 まさか、その背中に刻まれた「計測不能」の烙印と、今の「庭師の奇跡」がパズルのピースのように組み合わさり、王都の騎士団本部ですでに『最重要確保対象』として書類が作成され始めていることなど、知る由もなく。


 風が、西から東へと吹き抜けていく。 それは来るべき嵐の前触れのように、俺の髪を優しく、けれど強く揺らしていった。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ