第37話 届かない剣
光だった。視界を埋め尽くすほどの、まばゆい純白の閃光。それが、薄暗い地下空洞を何度も、何度も焼き払っていた。
「はぁぁぁぁッ!!」
裂帛の気合いと共に、勇者エリシア・リュミエルの聖剣が閃く。
速い。とにかく速い。聖剣から伸びた光の刃が、襲い来る触手を豆腐みたいにスパスパと切り落としていく。残像すら残さない踏み込み。的確な剣閃。教科書に載せたいくらい完璧な「対魔物戦闘」の手本だ。
後方で見守る騎士たちが「おお……っ!」と歓声を上げるのも無理はない。希望そのものに見えるだろうさ。あんなに細い背中で、あんなに禍々しい化け物を圧倒してるんだから。
――だけど。俺の目は、見てしまった。その希望の光が生み出す「影」の濃さを。
「……嘘、でしょ」
隣でカレンさんが呻いた。その声は震えていた。
エリシアが斬り飛ばした根。それが地面に落ちるよりも早く、切断面がボコボコと不気味に泡立ったかと思うと、次の瞬間にはもう元通りに繋がっている。
再生じゃない。増殖だ。斬れば斬るほど、傷口から新しい根が生え、枝分かれし、倍の数になって襲いかかってくる。
ヒドラの首かよ。いや、それ以上だ。
「くっ……! 鎮まりなさい! どうして……どうして終わらないのっ!?」
エリシアの悲痛な叫びが響く。彼女は強い。間違いなく、この場の誰よりも強い。
けれど、相性が最悪だ。あの聖剣は「悪を断つ」剣だ。魔王軍の幹部とか、強固な鎧を持った敵には滅法強いだろう。だが、相手は「暴走した自然」だ。形のない沼を剣で切り裂こうとしてるようなもんだ。手応えはあるのに、決定打にならない。
焦りが、彼女の剣を大振りにさせる。一撃の威力を上げれば上げるほど、周囲に撒き散らされる「毒」の量が増えていくことに、彼女は気づいていない。
『ルーク、あれはまずいぜ』
懐の中で、炎の精霊ヴァルがボソリと呟いた。
ああ、わかってる。斬られた根の断面から噴き出しているのは、ただの体液じゃない。濃縮された魔素のガスだ。
換気のない地下空洞で、エリシアが派手に暴れれば暴れるほど、その毒ガスが充満していく。彼女の周りだけは聖剣の加護で空気が澄んでいるから、本人は気づかない。皮肉にも自分が必死に戦えば戦うほど、後ろの仲間が毒ガス室に閉じ込められていく。
「ゴホッ、ガハッ……!」
「目が、焼ける……!」
恐れていたことが起きた。後方の騎士団員たちが、次々と喉を掻きむしって膝をつき始めた。
鎧の隙間から入り込んだ瘴気が、肺を焼き、神経を麻痺させていく。見えない毒が、物理的な防御をすり抜けて彼らを蝕んでいるのだ。
「しっかりしなさい! 隊列を崩すな! 風上に退避ッ!」
カレンさんの怒鳴り声が響く。彼女は片手で口元を覆いながら、もう片方の手で大剣を振るい、這い寄ってくる小型の根を切り払っている。
Aランク冒険者の意地。いや、これは「姉御肌」としての責任感か。 その背中には、すでに動けなくなった冒険者が二人、重なるように倒れていた。守ってるんだ。自分の肺も悲鳴を上げているはずなのに、一歩も退かずに。
「……カレンさん」
俺は思わず声をかけそうになった。彼女の顔色は、土気色を通り越して青白かった。足が震えている。それでも、彼女の目は死んでいない。かっこいいよ。あんた、本当にかっこいい。でも、限界だ。人間が気合いだけでどうにかできる状況じゃない。
ズズズンッ……!
地響きと共に、中央の親玉――あの大蛇みたいな根塊が、さらに膨れ上がった。地下の霊脈から、無理やり魔力を吸い上げたんだ。周囲の壁からも、天井からも、血管みたいな根が一斉に剥がれ落ち、エリシア目掛けて殺到する。
全方位攻撃。逃げ場なんてない。
「私は……負けないっ!」
エリシアが聖剣を掲げる。光が収束する。最大出力の閃光を放つつもりだ。
やめろ。俺は心の中で叫んだ。それは悪手だ。
今、ここでそんな極大魔法を使えば、衝撃で天井が崩落する。そうなれば、後ろで倒れている騎士たちは生き埋めだ。 彼女も、わかっているはずだ。でも、もうそれしか選択肢がないところまで、追い詰められている。
――届かない
俺は冷めた頭で、その光景を見ていた。 彼女の剣は、鋭くて、美しくて、強大だけど。この「世界樹の病」の核心には、絶対に届かない。
だって、あれは敵じゃないからだ。痛がって暴れているだけの、巨大な子供(迷子)みたいなもんだからだ。 泣き叫ぶ子供を、ナイフで黙らせることはできない。必要なのは「断罪」じゃない。「鎮静」だ。
「くぅっ……!」
エリシアが光を放つ直前、足元の泥から突き出した根が、彼女の体勢を崩した。
照準がブレる。放たれた光刃は天井を掠め、岩盤を溶かしてパラパラと瓦礫を降らせただけで終わった。
致命的な隙
ドォォォンッ!
横合いから殴りつけた太い触手が、彼女の華奢な体をボールみたいに弾き飛ばした。受け身も取れず、泥の中に叩きつけられる勇者。綺麗な白金の鎧が汚れ、聖剣が手から離れて転がった。
「エリシア様!!」
誰かの絶叫が響く。でも、誰も動けない。毒ガスと触手の壁に阻まれて、助けに行くことすらできない。エリシアが、震える手で泥を掴む。 顔を上げた。
額から血が流れて、片目を赤く染めている。それでも、彼女は聖剣へと手を伸ばした。諦めていない。 まだ戦おうとしている。
「……まだ、です。私が……守らなきゃ……」
痛々しい。見ていられない。彼女の霊核から、悲鳴みたいな音が聞こえる気がした。
もういいよ。十分だ。あんたはよくやったよ。これ以上やったら、あんた自身が壊れちまう。
親玉の根が、鎌首をもたげた。その先端がパカリと開き、無数の棘が生えた捕食口が露わになる。狙いは一つ。目の前で弱っている、最高に美味しそうなエネルギーの塊――勇者だ。
詰み(チェックメイト)だ。誰の目にも明らかだった。
騎士たちの顔に絶望が浮かぶ。カレンさんが、悔しそうに唇を噛み切って血を流している。
世界の希望が、今ここで潰えようとしている。
「……はぁ」
俺は深いため息をついた。今日まで、必死に隠してきた。
Dランクの凡人として、平穏に生きたかった。目立ちたくない。責任なんて負いたくない。美味しいものを食べて、暖かい布団で寝ていたい。それが俺の望みだ。でもさ。こんなもん見せられて、黙って見過ごせるほど、俺は人間できてないんだよ。
『行くんですか、我が王』
風の精霊フィオが、静かに問う。
「……ああ。スローライフは延期だ」
俺は懐から、ボロボロの布に包んだ『棒』を取り出した。
星霊剣アストラ。鞘のままでいい。ただの、世界樹の枝で作った頑丈な鞘。それで十分だ。
「フェデ」
「わふ(準備OK)」
足元の相棒が、短く答える。その全身から、黄金色の粒子が立ち上り始めていた。結界の準備完了。俺たちの周りだけ、時間が止まったみたいに静かになる。
カレンさんが、泥だらけの顔を上げて俺を見た。その目に、驚愕の色が浮かぶ。
俺が踏み出した一歩が、ただの歩行じゃないことに気づいたのかもしれない。
「あんた……何、する気……?」
震える声。俺はフードを目深にかぶり直して、小さく笑った。
「掃除ですよ。……ちょっとばかし、庭の手入れがなってないみたいだからな」
右足に力を込める。体内で圧縮していた霊素のバルブを、ほんの少しだけ緩めた。
ドクン
空気が変わる。澱んだ瘴気が、俺を中心に渦を巻いて逃げていく。
待ってろよ、勇者様。あんたの剣が届かなくても。騎士団の手が届かなくても。
俺の剣なら、届く。巨大な捕食口が、エリシアを飲み込もうと迫る。
その刹那。俺は地面を蹴った。




