第34話 勇者の到着
帰りてぇ。
もうね、心の底から、内臓の奥の奥から湧き上がってくるのよ、この感情が。
西門の前は、なんていうか、煮詰まりすぎたスープみたいな空気だった。焦げ付く寸前の緊張感。重苦しい沈黙。みんな、口数は少ないし、武器を握る手にはじっとりと脂汗がにじんでいるのがわかる。そりゃそうだ。これから行くのはピクニックじゃなくて、あのセカイジュ騎士団の先遣隊が音信不通になった「死地」なんだから。
「……なぁ、フェデ。今からでも腹痛ってことにしないか?」
「わふ」
足元でフェデが「往生際が悪いぞ」って顔をする。
くっそ、わかってるよ。わかってるけどさぁ。俺、Dランクだぞ? モブだぞ?なんでこんなAランクとかBランクの猛者たちに混じって、最前線に放り込まれなきゃなんないんだよ。
後ろの方でニヤニヤしてるギルベルトの爺さん、絶対あとでツケを払わせてやる。高い酒の一本くらいじゃ許さねぇからな。
隣にいるカレンさんが、前衛の冒険者たちに鋭い指示を飛ばしてる。
「隊列崩さないで!森に入ったら視界が悪くなるわ。声掛け合って、絶対に孤立しないように!」
「おう!」
頼もしいねぇ、紅蓮の剣姫。あんたがリーダーで本当によかったよ。俺は最後尾で、フェデのリードを握りしめて震えてるだけで許してほしい。
本気で
「……おい、ルーク。顔色が死んでるぞ」
カレンさんが横目で見てくる。いや、あんたが元気すぎんだよ。
「そりゃ死にますよ。俺、朝ごはんのトースト、一口も食べてないんですよ?空腹は恐怖を増幅させるんです」
「食い意地張ってんなぁ。……ほら、これでも齧っときな」
投げ渡されたのは、硬そうな携帯食のビスケット。
……まあ、ありがたいけどさ。これじゃないんだよなぁ、俺が求めてるのは。マルタさんの焼きたてパンと、とろけるバターのハーモニーなんだよ。
そのときだった。
キィィィィィィィン――!!
耳をつんざくような、高く鋭い鳴き声が空から降ってきた。
飛竜の濁った咆哮じゃない。もっと硬質で、ガラスを爪で弾いたような、研ぎ澄まされた音色。
同時に、強烈なプレッシャーが頭上から叩きつけられる。砂煙が舞い上がり、俺たちは思わず腕で顔を覆った。
「な、なんだ!?」
「上を見ろ! ……白いのが突っ込んでくるぞ!」
誰かが叫んだ。俺も恐る恐る空を見上げる。西の腐った空――そのどす黒い雲を、まるで白い刃物で切り裂くように、一筋の閃光が降下してくるのが見えた。
速い。自由落下の速度じゃない。風そのものを味方につけて、加速してる。その後ろから、必死に羽ばたく数体の飛竜が追いかけてきているが、まるで速度が違う。王と兵隊くらいの差があるぞ。
『……ほう』
懐の中で、風の精霊フィオが感嘆の声を漏らした。 『あれはゼファ・アルジェリオン……天空の貴公子ですか。これほど立派な個体は、数百年ぶりに見ました』
バサァァァッ!!
巨大な翼が広げられ、空気が爆ぜる音がした。西門の広場、その中心に舞い降りたのは、息を呑むほど美しい「猛禽」だった。
デカい。翼を広げたら小型の飛竜くらいはある。でも、野暮ったい鱗なんてない。全身が雪のような純白の羽毛に覆われていて、翼の先端だけが、夜明けの空みたいな蒼色に染まってる。
鷲だ
ただの鷲じゃない。全身から淡い光の粒子を撒き散らす、高位の存在。
「……上位霊獣、ゼファ・アルジェリオン」
誰かが震える声でその名を呼んだ。天空の守護騎士とも呼ばれる、風と光の眷属。野生じゃめったにお目にかかれない激レア種だ。
その鷲が、誇り高く首を巡らせ、金色の瞳で俺たちを一瞥する。
その背中から、さらりと。本当に、光がこぼれるみたいに。一人の少女が、飛び降りた。
着地の音さえしない。風が彼女の足を支えたみたいに、ふわりと地面に立つ。その瞬間、広場の空気が変わった気がした。さっきまでの、泥臭くて汗臭い、煮詰まったスープみたいな空気が、一瞬で浄化されたみたいな。
白金の髪。太陽の光を吸い込んで、自分から発光してるんじゃないかってくらい、きらきらしてる。
身につけているのは、白を基調にした豪奢な軽鎧。その上から羽織ったマントには、鮮やかな世界樹の刺繍。背中には、彼女の身長ほどもありそうな大剣――いや、あれは『聖剣』か。鞘に収まっているのに、漏れ出る霊素が半端じゃない。
そして何より、その瞳。深い森の緑を溶かしたような、エメラルドの瞳。その目が、真っ直ぐに俺たちを見据えていた。
「――お待たせいたしました」
鈴を転がしたような、でも凛として芯の通った声。彼女は胸に手を当てて、優雅に一礼した。
「セカイジュ騎士団、筆頭騎士。……エリシア・リュミエル・フェルシア、ただいま到着いたしました」
数秒の沈黙。みんな、あまりの眩しさと、伝説上の生き物を従えた姿に、呆気に取られてたんだと思う。遅れて到着した部下の騎士たちが、飛竜から降りて慌ただしく整列するが、誰もそっちを見てない。
誰かがポツリと言った。
「……勇者、さま?」
その一言が、導火線になった。
「うおおおおおおおおッ!!」
「勇者様だ! 本物の勇者様が来たぞ!」
「すげぇ、あれが空の王者『イルナヴェル』か!」
爆発的な歓声。さっきまで死にそうな顔をしてた冒険者たちが、一気に色めき立つ。そりゃそうだ。この国の英雄。世界樹に選ばれた、たった一人の希望。絶望的な戦場に、最強の切り札が届いたんだ。テンションも上がるってもんだろう。
……だけど
俺の足元で、フェデが小さく反応した。
「……ふん」
鼻を鳴らしただけだ。でも、その一瞬。勇者の背後に控えていた巨大な白鷲――イルナヴェルが、ギョッとしたように首を巡らせた。
鋭い金色の瞳が、群衆の中にいる俺たちの方を向く。いや、正確にはフェデを見ている。 あの大鷲、翼をピクリと震わせて、一歩だけ後ずさったか?
……おいおい。上位霊獣が、ただの犬(に見えるはずのフェデ)にビビったのか?
「わふ(ご挨拶だな)」
フェデが尻尾をパタンと振る。すると不思議なことに、イルナヴェルは敬意を表するように、スッと頭を下げて視線を逸らした。
……やっぱりか。フェデ、お前、こんなところで霊獣業界の序列見せつけるのやめてくれない?
目立つから。マジで。
カレンさんが興奮気味に俺の肩を叩く。「見た!? あれがゼファ・アルジェリオンよ! あたしも図鑑でしか見たことないわ……あんな綺麗なのね」
「あ、はい。すごいっすね。焼き鳥にしたら何人前ですかね」
「あんたねぇ……!」
俺は適当に相槌を打ちつつ、勇者エリシアを観察した。
……痛いな。
なんというか、見てて痛々しい。
俺の目は、ちょっと特殊だ。前世の精霊王としての名残なのか、『精霊視』ってやつができる。霊素の流れが、色とか光になって見えるんだ。だから、見えちまう。彼女の周りを取り巻く、あの過剰なまでの光の渦が。
あれは、「才能」なんて生易しいもんじゃない。世界中の期待と、責任と、重圧。そういうのが全部、霊素って形になって、彼女の小さな体にのしかかってる。ダムが決壊する寸前の水圧みたいに、彼女の霊核は悲鳴を上げてるように見えた。
ギリギリだ。糸一本で張り詰めてる。
あんな細い肩で。まだ十代そこそこの、俺と変わらないくらいの華奢な体で。 世界なんていう、途方もない重荷を、全部背負わされてるのか。
(……無茶苦茶だろ、こんなの)
俺は思わず、眉をひそめた。周りの連中は「希望の光」だなんて拝んでるけど、俺には「今にも折れそうなガラス細工」にしか見えない。世界樹のやつ、何考えてんだ。こんな女の子一人に、全部押し付ける気か?俺に「精霊王やってくれ」って言ってきたときも思ったけど、あの大樹様、人使いが荒すぎるんだよ。
『ルークよ』
懐の中で、ヴァルがこっそり囁いてきた。
『……あの娘、強いぜ。俺の炎でも、焼き尽くせるか怪しいな』
「物騒なこと言うなよ」
『だが、危うい。……燃えすぎて、芯まで炭になっちまいそうだ』
ヴァルも同じことを感じてるのか。そうなんだよな。強すぎる光ってのは、自分自身をも焼いちまうことがある。彼女の笑顔は完璧だ。民衆に手を振って、安心させるように微笑んでる。でも、その瞳の奥が、笑ってない。
任務。使命。義務。
そういう冷たいもので塗り固められてる。
「……みなさん、ご安心ください」
エリシアの声が、広場に響く。よく通る、綺麗な声だ。
「イルと共に、空から道を切り拓きます。西の森の異常は、必ず私が鎮めます。世界樹の加護にかけて」
完璧な台詞。 まるで台本を読んでるみたいだ。誰も疑わない。みんな、その言葉に酔いしれてる。
ギルベルトさんが、杖をつきながらエリシアの前に進み出た。
「おお、来てくだすったか勇者殿。お待ちしておりましたぞ」
「ギルベルト博士ですね。報告は受けております。……状況は?」
「芳しくありませぬ。瘴気の濃度は上がる一方じゃ」
「わかりました。では、直ちに出発しましょう。……一刻の猶予もありません」
彼女は迷わない。休息もとらず、王都から飛んできたばかりだっていうのに、すぐに最前線へ向かおうとしてる。生き急いでるみたいだ。 あるいは、止まることが怖いのか。
カレンさんが、俺の背中をバシッと叩いた。
「ほら、ルーク。ぼさっとしてないで、あたしたちも行くわよ。勇者様とあの上位霊獣が先行してくれるなら、だいぶ楽になるはずだから」
「あ、はい……」
俺はため息を飲み込んで、フェデのリードを引き寄せた。目立たないように。空気のように。勇者一行の後ろに紛れて、こっそりついていこう。そう思って、一歩下がったときだった。
ふと。エリシアが、振り返った。いや、正確には、彼女の隣にいた白鷲が、何かを訴えるように短く鳴いたんだ。
「……イル?」
相棒の反応に、エリシアも視線を巡らせる。 そして、彼女のエメラルドの瞳が、俺たちを見つけた。
「……!」
彼女の目が、ほんの少し見開かれた。
一瞬だ。瞬きするくらいの、わずかな時間。でも、確かに目が合った。
彼女の視線は、フェデを見て、それからリードを持ってる俺の顔へと上がってきた。怪訝そうな。何かを探るような目
俺の心臓がドクンと跳ねる。やばい。バレた?いや、まさか。俺は今、完璧に霊素を隠蔽してるはずだ。Dランクの一般人に見えてるはずだ。でも、彼女は世界樹の加護を受けた勇者だ。それに、あの上位霊獣。何か「違和感」を感じ取られたか?
俺はとっさに、愛想笑いを浮かべて頭を下げた。へこへこと。小市民らしく。
「勇者様とでっかい鳥すげー」って顔をして。フェデも空気を読んで、「わふっ(ただの犬です)」と尻尾を振る。演技派め。
エリシアは、一瞬だけ眉をひそめたけど、すぐに視線を外した。気のせいだと思ったのか、それとも今はそれどころじゃないと判断したのか。彼女は踵を返して、森の方へ歩き出した。
「総員、前進!」
号令がかかる。俺は冷や汗を拭った。
……怖えぇ。 あんな直感の鋭そうなコンビと、一緒に旅なんかできるかよ。
「……行くぞ、フェデ。絶対、俺のそばを離れるなよ」
フェデの頭を撫でて、俺も歩き出す。勇者の背中と、空を舞う白鷲の姿が、遠くに見える。その光が、腐った空の下で、やけに悲しく輝いて見えた。
「……あんな細い体で、全部背負ってるのかよ」
誰にも聞こえない声で呟いて、俺は重い足を踏み出した。西の空が、ゴロゴロと低い唸り声を上げている。
世界樹の悲鳴が、近づいてくる。スローライフ終了の鐘が、ガンガンと頭の中で鳴り響いていた。
ようやく勇者様が登場しました。
【勇者と霊獣の基礎知識】
■ 勇者エリシア(エリシア・リュミエル・フェルシア)
種族: エルフ
所属: セカイジュ騎士団・筆頭騎士(序列1位)
属性: 光+風
概要: 世界樹に選ばれ、「光の大精霊セラフィード」と契約を果たした現世代最強の英雄。
強さ: 霊核スコアは驚異の 24,350(Sランク)。単独で小国の軍隊を壊滅させる火力を持ちますが、ルーク(手加減なし)と比較すると……?
性格: 真面目で責任感が強く、常に「皆を守らなければ」と気を張っているタイプ。完璧超人に見えますが、内面は普通の女の子らしい一面も。
■ イルナヴァル(種族名:ゼファ・アルジェリオン)
分類: 鷲型・上位霊獣
愛称: イル
概要: 勇者エリシアの相棒である、天空の守護獣。翼を広げると小型ドラゴン並みのサイズがあり、風と光を操ってエリシアの飛行・空中機動をサポートします。
実力: 通常の騎士団一個小隊よりも強い「空の王者」ですが、フェデ(最上位)の前では借りてきた猫(鳥)のようになります。
■ 霊獣
定義: 精霊や世界樹の加護を受け、知能と魔力を獲得した動物たちの総称。魔獣とは対極の存在です。
関係: 人間と意思疎通ができ、騎士のパートナーとして共に戦います。
ランク:
一般霊獣: 賢い動物レベル。希少。
上位霊獣: 固有の名と強力な魔法を持つ。国宝級の戦力。
最上位霊獣: (※フェデはここ) 世界樹の化身クラス。神話級。
【霊獣図鑑(種別ガイド)】
この世界で騎士たちのパートナーとなる「霊獣」には、大きく分けて6つの系統が存在します。それぞれの特徴と、進化の頂点にある「上位霊獣」の名をご紹介します。
■ 獅子型
特性: 攻撃・守護
一般種: レグナ・レオン
上位種: アスト・レグナス(王冠を戴く守護獅子)
解説: 圧倒的なパワーと威圧感を持つ、王者の風格漂う霊獣。前線で敵をねじ伏せ、味方を守る「動く城壁」です。王族や騎士団長クラスが好んで契約します。
■ 鷲型
特性: 索敵・空制圧
一般種: アルジエイル
上位種: ゼファ・アルジェリオン(風と光の天空騎士)
解説: 遥か上空から戦場を見渡す「空の目」。風の精霊術を操り、急降下攻撃や味方への情報支援を行います。
■ 犬型
特性: 忠誠・支援・癒やし
一般種: ファルニッシュ
上位種: アルファ・ファルニッシュ(群れを導く守護犬)
最上位: フェデリオ(※ルークの相棒・唯一無二の規格外)
解説: 最も人間に寄り添い、主人の精神安定や危険察知を助けるパートナー。……ですが、フェデに関しては「犬の皮を被った神獣」なので、この枠に収まりません。
■ 馬型
特性: 機動・スピード
一般種: エンバーホース
上位種: シルフ・アステリオン(空を駆ける軍馬)
解説: 風を纏って戦場を駆け抜ける韋駄天。上位種になると空を走ることさえ可能になります。長距離移動や伝令、騎馬突撃の要です。
■ 狼型
特性: 連携・魔術補助
一般種: フェルヴォルフ
上位種: ルーン・フェルガルド(月と影の魔術狼)
解説: 高い知能を持ち、集団戦術や魔法の連携を得意とします。魔導士や斥候と相性が良く、影に潜んで主をサポートするクールな仕事人です。
■ 虎型
特性: 隠密・狩猟
一般種: ティグル・ファング
上位種: ヴァルガ・ティグレス(雷と影の狩猟王)
解説: 気配を消して忍び寄り、雷のごとき瞬発力で敵の喉笛を食いちぎる暗殺者。単独行動を好み、誇り高い性格をしています。




