第33話 緊急招集
平和な日常ってやつは、いつだって予告なしに終わりを告げるもんだ。
たとえば、そう。宿屋の朝食で、焼きたてのパンにたっぷりバターを塗って、さあ至福の一口目を齧ろうとした、まさにその瞬間みたいに。
ガンガンガンガンガンガンッ!!!
「ぶふぉっ!?」
あまりの音量に、俺は手に持っていたトーストを取り落としそうになった。いや、マジで危なかった。あと数センチでバターを塗った面が床にキスするところだったぞ。
宿屋『月下葡萄亭』の食堂が、一瞬で凍りつく。カチャカチャと鳴っていた食器の音も、馬鹿笑いも、全部消えた。
今の、なに? 鐘の音だ。それも、教会の日曜礼拝みたいな優雅なやつじゃない。もっとこう、錆びついた鉄板をハンマーでぶん殴ったみたいな、品のない、焦燥感を煽り立てるような響き。
非常警報。ギルドからの緊急招集の合図だ。
「おい、聞いたか今の!」
「赤鐘だ! ギルドからの総員招集だぞ!」
「西の森でなんかあったらしい! 煙が見えたって噂だ!」
食堂にいた冒険者たちが、慌ただしく装備を整えて飛び出していく。ガシャガシャと鎧が擦れる音が、妙に耳障りだ。
俺?俺はもちろん、部屋に戻って二度寝を決め込む……わけにはいかないよなぁ、この空気じゃ。
だって、俺も一応はギルドに登録してる冒険者なわけで。Dランクの底辺とはいえ、この「赤鐘」を無視したら罰金、最悪の場合は資格剥奪だ。
せっかく手に入れた「Dランク」という隠れ蓑を、こんなことで失うわけにはいかない。
「……はぁ。行くか、フェデ」
「わふっ!」
足元で骨を齧っていたフェデが、鋭く鳴いて立ち上がる。
こいつはもう、切り替えてる。遊びの時間はおしまいだって顔だ。その琥珀色の瞳が、じっと西の方角を向いているのがわかる。耳がピンと立って、尻尾が下がってる。
……嫌な予感しかしない。
昨日のカレンさんの話。腐った空。世界樹の悲鳴。まさか、もう「あいつら」が来たのか?
***
ギルドへ向かう大通りは、人でごった返していた。普段なら酔っ払いが管を巻いてる時間帯だってのに、今日はみんな血相を変えて走ってる。
空を見上げると、西の方角には分厚い雲がかかっていた。昨日よりも色が濃い。どす黒い紫色が、じわじわと青空を侵食してきてるみたいだ。ギルドの重厚な扉をくぐると、そこはもう戦場みたいな騒ぎだった。
「おい、どうなってんだ!」
「騎士団がやられたって本当か!?」
「西門が封鎖されたぞ!」
怒号。悲鳴。出所不明のデマ。熱気が渦巻いていて、息をするだけで喉が焼けそうだ。汗と鉄と、それから微かな恐怖の匂いが充満してる。
受付のカウンターには、ミリアちゃんが立っていた。いつもの癒やし系の笑顔はない。顔面蒼白で、必死に冒険者たちを捌いている。
「みなさん、静粛に! ギルドマスターから説明がありますから! 押さないで!」
かわいそうに。あとで差し入れでも持って行ってあげよう。甘いお菓子とか。
俺は人混みの隅っこ、観葉植物の陰に隠れるようにして立った。ここなら目立たないはずだ。Dランクらしく、空気になってやり過ごそう。
ドンッ、と床を突く重い音が響いた。一瞬で、喧騒が引く。波が引くみたいに、サーッと静かになった。
階段の上に、ギルドマスターが立っていた。禿げ上がった頭に、古傷だらけの厳つい顔。元S級冒険者のオーラってやつは、伊達じゃない。眼光だけで人を殺せそうだ。
「……集まったな、野郎ども」
低い声が、ビリビリと空気を震わせる。
「単刀直入に言う。非常事態だ」
ゴクリ、と誰かが唾を飲み込む音が聞こえた。俺かもしれない。
「今朝未明、街の西側――世界樹の根が露出している『聖域外縁』エリアで、大規模な霊素異常が確認された」
やっぱりか。俺の背筋を、冷たいものが滑り落ちる。聖域外縁。世界樹の根っこが地面からボコボコ飛び出してる、神聖な場所だ。普段は精霊たちが守ってて、魔物なんて寄り付かないはずの、清浄な土地。
「現場へ調査に向かったセカイジュ騎士団の先遣隊との連絡が、途絶えた」
ざわっ、とホールが揺れる。騎士団が?あのエリート集団が?泣く子も黙るセカイジュ騎士団が、連絡途絶?
「全滅したかどうかは不明だ。だが、最後の通信で『根が……動いている』という報告が入っている。……いいか、ただの魔物じゃない。土地そのものが牙を剥いてる状態だ」
ギルマスは厳しい目で俺たちを見渡した。
「ギルドとして、騎士団本隊が到着するまでの間、生存者の捜索および現状の監視を行う部隊を編成する。……命知らずの志願者を募るが、今回はランク制限を設ける。Cランク以上、それ以下の者は待機だ」
ほっ。俺は胸を撫で下ろした。心臓が元の位置に戻った気がする。
よかった。Dランクで本当によかった。無能の烙印万歳。低ランクの特権、それは「危ない橋を渡らなくていい」ことだ。
俺は心の中でガッツポーズを決めつつ、フェデに「帰って昼寝しような」と目配せを送る。
「……ただし」
ギルマスが言葉を継いだ。嫌な間だ。
「指名招集を行う者が数名いる」
指名?まあ、Aランクとかの手練れだろうな。俺には関係ない話だ。ギルマスが羊皮紙を読み上げる。
「『紅蓮の剣姫』、カレン・ブラッドレイ」
名前を呼ばれたカレンさんが、群衆の中からスッと手を挙げる。
「……いるわよ」
昨日の今日だっていうのに、彼女はもうフル装備だった。顔色はまだ少し悪いけど、その瞳には剣呑な光が戻っている。やっぱりこの人、根っからの戦士なんだな。
「頼むぞ。お前の剣技が必要だ」
「わかってる。……昨日の借りもあるしね」
カレンさんがチラッとこっちを見た気がした。やめて、こっち見ないで。俺はただの背景モブです。石ころです。
ギルマスがリストに目を落とす。
「次。……重装戦士、ボルグ」
「おう!」
「魔導士、レン」
「はい」
順当だ。この街でも指折りの実力者たちが呼ばれていく。うんうん、頑張ってくれ。俺は街の中から精一杯の応援を送るからさ。心の中で旗を振るよ。そろそろ帰ろうかな、と踵を返しかけた、その時だった。
「――最後の一名」
ギルマスの声が、妙に引っかかった。なんだろう、この嫌な予感。背中がムズムズする。
「Dランク冒険者、ルーカス・ヴァレリオ」
…………はい?
えーと。いま、なんて?
ルーカス? ヴァレリオ?
それ、俺の名前じゃん。いやいやいや。ないない。聞き間違いだろ。あるいは同姓同名のすごい奴がこの街にいるとか。それか幻聴? 昨日の疲れが残ってるのかな。
俺はキョロキョロと周りを見回した。みんな、俺を見てる。あわれみの目。不審な目。「なんでDランクが?」っていう至極真っ当な疑いの目。
視線が痛い。物理的に刺さりそうだ。穴が開くってこういうことか。
「……あのー」
俺はおそるおそる手を挙げた。震える声で。
「人違い、じゃないですかね?俺、登録したばっかりのド新人なんですけど。薬草採取くらいしか能がないんですけど。剣とか飾りなんですけど」
必死のアピール。間違ってますよー。事務処理ミスですよー。誰か止めてくれよ。だが、ギルマスは無慈悲に首を横に振った。
「間違いではない。……推薦があったんだ」
「推薦?」
誰だよ。俺みたいな地味な平民を、こんな死地に送り込もうなんて鬼畜な真似をする奴は。悪魔か?ギルマスの視線が、部屋の隅へ動く。
そこには
柱の陰で、ニヤニヤと楽しそうに手を振っている、薄汚いローブの老人がいた。
――ギルベルト!!!
あのクソジジイ! 植物学者のギルベルト博士。王都から来た変人。俺のことを実験動物か何かだと思ってるマッドサイエンティスト!
ギルベルトさんが、飄々(ひょうひょう)とした足取りで歩み出てくる。杖の音がカツカツと響く。
「いやぁ、すまんのう若いの。わしが頼み込んだんじゃよ」
「頼み込んだって……博士、俺を殺す気ですか!?Dランクですよ!?スライムくらいしか倒せませんよ!?」
「カッカするな。お前さんを戦わせようってわけじゃない」
ギルベルトさんは、俺の足元にいるフェデを杖で指した。
「その犬じゃよ」
「……フェデ?」
「うむ。その犬の鼻は、そこらの魔導探知機よりよっぽど優秀じゃろう? 西の森は今、瘴気が濃すぎて方向感覚が狂う。生存者を見つけるには、鼻の利く獣が必要なんじゃ」
「だ、だったら、もっと高ランクのレンジャーとか、犬使いとかいるでしょう!」
「おらんのじゃよ」
ギルベルトさんは、急に真面目な顔になって、声を潜めた。
「……普通の動物じゃ、今の『聖域』には近づけん。瘴気に当てられて、一発で発狂する。訓練された軍用犬でも無理じゃろうな」
「……!」
「だが、お前さんのその犬なら、大丈夫じゃろう?……何しろ、とびきり『育ち』がいいからな」
ギルベルトさんの目が、「わかってて言ってるんだぞ」と語っている。
こいつ……!
フェデがただの犬じゃないってこと、完全に確信犯で利用しようとしてやがる。
ここで「いや、うちの犬も発狂します」なんて言ったら、フェデの沽券に関わるし、何より嘘くさい。フェデは今も、平然としっぽを振ってるんだから。「散歩? 散歩?」って顔して。
「それにのぅ」
ギルベルトさんは、さらに追い討ちをかけてきた。
「お前さん、運がいいじゃろ? ……そういう『悪運』ってのはな、こういう修羅場じゃ実力以上に役に立つもんじゃよ」
「……拒否権は?」
俺は最後のあがきを見せた。ギルマスが、申し訳なさそうに、でもきっぱりと言った。
「緊急時規定により、指名された冒険者に拒否権はない。……頼む、ルーカス。報酬は弾む。街のためだ」
ずるい
そんな「街のため」なんて大義名分を出されたら、断れるわけがないじゃないか。ここで断ったら、俺はこの街にいられなくなる。せっかく見つけた安住の地。美味しいご飯。ふかふかのベッド。マルタさんのおかわり自由なシチュー。それらを全部捨てて、また放浪の旅に出るのか? ……いやだ。それだけは、絶対に嫌だ。
俺は深いため息をついた。肺の中の空気が全部入れ替わるくらいの、長くて重い吐息。
「……わかりましたよ。行けばいいんでしょ、行けば」
「おお! 引受けてくれるか!」
ギルベルトさんが嬉々として手を叩く。杖でひっぱたいてやりたい。
「ただし! 俺は戦いませんからね!あくまでフェデのリード持ち係ですから! 危なくなったら一番に逃げますからね!全力で!」
「うむうむ、それでいい。期待しておるぞ、『リード持ち』くん」
くっそぉ……完全にハメられた。
「よろしく頼むわよ、ルーク」
いつの間にか、カレンさんが隣に来ていた。彼女は俺の肩をバンと叩いて、ニヤリと笑った。その笑顔、ちょっと引きつってるけど、それでもやっぱり綺麗だ。
「あたしの背中は守らなくていいから、自分の命だけ守りなさい。……ま、あんたなら大丈夫だと思うけど」
「買いかぶりすぎですよ……俺、足震えてますもん」
俺は力なく笑い返すしかなかった。
出発の準備は、あっという間だった。ギルドから支給されたポーションやら保存食やらをリュックに詰め込む。
フェデには、特製の革製ハーネスを装着。見た目はちょっと立派な探知犬だ。中身は世界樹の眷属だけど。アストラの鞘を腰に差す。冷たい感触が、手のひらの汗を吸い取ってくれる。
俺の脳内で、精霊たちが騒ぎ出す。
『ルークいよいよだな! 燃やすか?』
ヴァルが嬉しそうだ。戦闘狂め。やめろ。
『警戒を。風向きが悪いです。……西から、淀んだ匂いがします』
フィオの声は硬い。
『私の出番がありそうですね……泥汚れは嫌なのですが』
ラグは相変わらずマイペースだ。
ギルドの前には、選抜された捜索隊が集まっていた。総勢十名と一匹。精鋭揃いの中に、ひとりだけ場違いなDランクが混じってる図は、正直かなりシュールだ。
西門の前に立つと、門番たちが敬礼して道を空ける。その向こうには、鬱蒼とした森が広がっている。
いつもなら緑豊かなはずの森が、今日はなんだか黒ずんで見えた。空の色がおかしい。腐った葡萄みたいな、ドス黒い紫。
「行くぞ、野郎ども!」
カレンさんの号令がかかる。俺たちは、西門へ向かって一歩を踏み出した。
その一歩が、俺のスローライフとの決別の一歩になるなんて、この時の俺はまだ……いや、薄々勘づいてたな。あーあ。行きたくねぇなぁ、ちくしょう。
長い話になりました、すみません。




