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第31話  嵐の前の静けさ

 生き返った。 「死の淵から生還した」って感覚だ。  

 たかが風邪。されど風邪。  


 前世のブラック企業時代、這ってでも出社していた俺が、異世界に来てあんなにも無様にダウンするとは。  

 丸二日だぞ? 二日間、天井の木目を数えるだけの虚無の時間。  

 あれは地獄だった。 健康。なんて甘美な響きだろう。

 

 鼻が通るだけで世界が輝いて見えるし、関節がギシギシいわないだけでスキップしたくなる。  

 朝の光が眩しい。空気が美味い。俺は宿屋の窓を開け放ち、グレイウッドの朝の空気を肺いっぱいに吸い込んだ。


「ぷはーーーーっ! 最高かよ!」


 叫ばずにはいられない。

 足元では、俺の復活を祝うように黄金色のもふもふ――愛犬のフェデが、ちぎれんばかりに尻尾を振っている。  

 

 ブンッ、ブンッ、ブンッ。  風圧がすごい。大型扇風機かお前は。


「わふっ!(元気になった?)」

「おうよ。完全復活だ」


 しゃがみ込んで、その温かい頭をわしゃわしゃと撫でる。  

 俺が寝込んでる間、こいつはずっと枕元から離れなかったらしい。夜中に目が覚めた時、暗闇の中で光る琥珀色の瞳がどれだけ心強かったか。  


 マルタさん(宿の女将)が持ってきてくれたお粥も、こいつがふーふー冷ましてくれそうな勢いだったしな。……いや、さすがにそれは食おうとしてただけか?


 まあいい。とにかくだ。  

 

 俺は今、猛烈に感謝している。この健気な相棒と、俺を助けてくれた街の人々に。  

 そして何より、生きているという事実に。


 ふところを探る。革袋の感触。チャリ、と重たい音がした。  

 ここ最近、目立たないように(これ重要)こなし続けた依頼の報酬と、カレンさんに手柄を譲った裏報酬。  

 そこそこ、貯まっている。  

 本来なら老後のスローライフ資金として貯金箱行きなんだが……


「よし、フェデ。行くぞ」

「わふ?」

「今日は祭りだ。パーッといこうぜ」


 俺の言葉に、フェデが首を傾げる。まだ分かってないな。

 俺がこれから、お前のために全財産ぶっ放す覚悟を決めたってことをさ。


 ***


 市場は今日も今日とて、素晴らしい活気に満ちていた。  

 焼きたてのパンの香ばしさ。果実の甘酸っぱい匂い。職人たちが鉄を叩く音。  

 全部が「生」の象徴だ。

 すれ違う人々が、俺の横を歩くフェデを見て目を細める。


「あら、フェデちゃん! ルークさん、治ったのね」

「よかったな! ほら、フェデに林檎やるよ」

「わふぅ(ありがと!)」


 愛想を振りまく相棒。もはや街のアイドルだ。俺より知名度高いんじゃないか?


「フェデの飼い主」っていう肩書きが俺の本体になりつつある気がする。まあ、平和でいいけどさ。


 そんな人気者を連れて、俺たちが向かったのはいつもの肉屋だ。  

 頑固親父ボルドさんの店。


「へいらっしゃ……おう、病み上がりの兄ちゃんか」  


 ボルドさんが、自分の腕ほどもある肉の塊をダンッとまな板に叩きつけて、ニカっと笑う。  

 怖いよその歓迎スタイル。


「おかげさまで復活しましたよ。ボルドさんの肉のおかげかもな」


「へっ、違いねえ! うちは鮮度が違うからな。精のつくもん食わねぇと、その細っこい体じゃもたねぇぞ。……で? 今日はどうする? いつものクズ肉か?」


 クズ肉


 ああ、いつも買ってるやつな。骨の周りの削ぎ落としとか、筋が多い部分とか。安くて美味いから重宝してるんだけど。  

 

 今日は違う。  

 俺はニヤリと笑って、財布から銀色に光るコインをチャリンと指で弾いた。


「いや。今日は奮発するぞ。……この店で一番いいやつをくれ」

「ほう?」


 ボルドさんの目がギラリと光る。職人の目だ。客の値踏みをする目じゃない。「食えるのか?」と問う目だ。


「一番いいやつ、つったな? 後悔すんじゃねえぞ」


 ボルドさんが奥の保冷庫から「どっこいしょ」と担いできたのは、俺の太ももくらいありそうな巨大な骨付き肉だった。  


 見た瞬間、唾液腺が爆発した。  

 赤身の中に、まるで大理石の模様みたいに繊細な脂が走っている。表面はしっとりと濡れていて、魔石の光を浴びてルビーみたいに輝いている。  

 生肉なのに。焼く前なのに「美味い」って確定してる。


 暴力的なまでの説得力。


「『キングバイソン』のロースだ。昨日、Bランクの連中が命がけで狩ってきたばっかの極上品よ。貴族様の宴会に出るレベルだ」

「でっか……これ、いくらっすか?」

「本来なら大銀貨3枚ってとこだが……ま、フェデのやつには前回のお使いで世話になったしな。2枚でいいぜ」


 大銀貨2枚、日本円にして二万円強。  

 俺の全財産の半分が、この一瞬で吹き飛ぶ計算だ。  

 一瞬、理性がブレーキをかけようとした。「その金があれば新しい靴が買えるぞ」「いや、冬用のコート代に……」と。

 

 でもな。俺は足元を見た。  


 フェデが、座ったまま尻尾を床に打ち付けている。  バタン、バタン、バタン、バタン。  リズムが速い。  

 目が釘付けだ。肉塊から視線を外さない。口の端からヨダレが今にも垂れそうになっているのを、必死に「待て」の姿勢で我慢している。  


 ……あー、もう。  その顔見せられたら、勝てるわけないだろ。こいつは俺が転生したときからずっと一緒だ。俺が魔力制御で苦しんでるときも、熱でうなされてるときも、文句ひとつ言わずに寄り添ってくれた。  

 たかが肉だ。安いもんだろ。


「買った! 包んでくれ!」

「まいどありっ!」


 ***


 肉屋からの帰り道、フェデの足取りが軽すぎて残像が見えるレベルだった。  

 早く食いたい。でも俺を置いていくわけにはいかない。その葛藤の結果、俺の周りを衛星みたいにグルグル回りながら進むという奇行に走っている。

 

 目が回らないのかお前は。


 宿に戻り、裏庭の隅っこにあるベンチへ。  

 ここなら人目もないし、ゆっくり食えるだろう。  

 包みを開けると、肉の香りがふわっと広がる。

 ボルドさんが気を利かせて、表面だけ軽く炙ってくれたおかげで、脂の溶ける匂いが凶悪なまでに食欲を刺激してくる。  

 俺の腹も鳴ったけど、今日は我慢だ。これはフェデへの捧げ物だからな。


「ほら、フェデ。今日は特別だぞ」

「わふっ!?」

「全部食っていい。お前のおかげで助かってるからな。……いつもありがとな」


 俺が肉を差し出すと、フェデは一瞬「ほんとにいいの?」って顔で俺を見上げ、それから嬉しそうに目を細めて――  ガブッ!  豪快にかぶりついた。  


 ガツガツ、ムシャムシャ。  


 いい食いっぷりだ。見てるこっちが腹減ってくる。最上位霊獣って言っても、中身は食いしん坊のワンコなんだよなあ。骨ごとバリバリと噛み砕く音を聞きながら、俺はベンチに座ってぼんやりと空を見上げた。


 青い空。白い雲。平和だ。  


 魔王とか世界樹の危機とか、今はちょっと忘れよう。こんなふうに相棒が飯食ってるのを眺める時間こそが、俺が求めていたスローライフの完成形なんじゃないか?

 

 ふと、影の中から赤い子狐がひょっこりと顔を出した。ヴァルだ。

『ルークよ! オレにも! オレにも一口!』

『あら、わたくしは新鮮な魚がいいですわ』

『……贅沢を言うな。ボルド殿がくれたオマケの干し肉で我慢せよ』


 ラグとフィオまで出てきて、俺の周りで大騒ぎ。  

 はいはい、わかってるって。  

 俺は指先に霊素を集めて、干し肉をちぎって分け与える。精霊たちはそれを嬉しそうに受け取って、光に変えて吸収していく。  

 

 騒がしくて、温かい時間


 数分後


 あのでかい肉塊は、きれいにフェデの胃袋へと消えた。  

 フェデは満足げに舌なめずりをして、それから俺の方を見て、大きく息を吸い込んだ。  

 あ、これ。吠えるな。美味かったー!っていう、食後の感謝の遠吠え的なやつだ。まあ、ここなら誰にも迷惑かからないし、いいか。


「わふぅぅぅぅぅぅ――――――――――ん!!!!」


 長く、澄んだ声が響いた。

 普通の犬の遠吠えじゃない。教会の鐘の音みたいに、腹の底じゃなくて魂の奥に響くような、透明感のある美声。  

 ああ、いい声だ……と、俺がのんきに思ったのは最初の一秒だけ。


 ビリビリビリッ!


 空気が、震えた。音波とか振動じゃない。もっと根源的な、「世界そのもの」が震えたような感覚。

 俺の背筋に冷たいものが走る。

 

 反射的に『精霊視』を発動させて、俺はギョッとした。


「……は?」


 視界が一変する。普段なら薄く流れているだけの街の霊素が、フェデの遠吠えに共鳴して、爆発的に活性化していた。  


 フェデから放たれた金色の波紋が、同心円状に広がっていく。  

 それは街を囲んでいた古い結界――魔除けのために先人たちが張った薄い膜――に接触し、そして……融合した。


 カッ!


 見えない光の柱が立ったかと思った。

 ボロボロだった結界の綻びが、フェデの「嬉しい! 美味しい! 大好き!」という超ポジティブな感情エネルギーで強制的に修復され、さらに三倍くらいの厚みに強化されていく。  

 薄いシャボン玉みたいだった結界が、いまや防弾ガラス……いや、要塞の防壁レベルの輝きを放ち始めた。


『あーあ。やっちまったな』


 脳内に、呆れたような声が響く。ヴァルだ。俺の肩の上で、やれやれと首を振っている。


『ルークよ、お前の犬っころ、嬉しさ余って世界樹の加護を垂れ流しやがったぞ』

「……嘘だろ?」

  『嘘じゃねえよ。見ろよあれ。ただの魔除けが、今や上級聖域サンクチュアリ並みの強度になってんぞ』


 ヴァルが指差す先。街の上空を、金色のオーロラみたいな膜が覆っていた。一般人には見えないだろうが、魔力持ちが見たら腰を抜かす光景だ。  

 ただ肉食って喜んだだけで、これかよ。最上位霊獣の「喜び」って、世界へのバフ(強化魔法)になるのか……?


「……これ、バレないか? 大丈夫か?」

『ま、一般人には気づかねえだろ。精霊の波長だしな。ただ……』


 ヴァルの言葉を遮るように、宿の裏口から従業員のおばちゃんが出てきた。俺たちがいるのには気づかず、大きく伸びをしている。


「あれぇ? なんか今日、すっごく空気が美味しいわねえ。昨日までの肩こりが嘘みたいに軽くなったわ!」

「……」

『……まあ、こういう「なんとなく調子いい」現象は起きるわな』


 おばちゃんは鼻歌交じりで洗濯物を干し始めた。

 さらに、街の方からもざわめきが聞こえてくる。


「おい、見たか!? 今、空に金色の光が走らなかったか!?」

「縁起がいいぞ! きっと世界樹様のお導きだ!」

「婆ちゃんの腰痛が治った! 奇跡じゃ!」


 ……あかん。  


 ガッツリ影響出てる。俺は頭を抱えた。  

 これ絶対、「グレイウッドの奇跡」とか言って噂になるやつだ。ただでさえギルベルトさんとかネリスさんにマークされてるのに、また燃料投下しちまった。


「わふっ?(どうしたの?)」


 当の本人(本犬)は、きょとんとした顔で首を傾げている。自分が街ひとつを聖域化した自覚なんてゼロだ。「肉うまかったね!」くらいの感想しかない顔だ。  


 ……まあ、いいか。フェデに悪気はないし。それに、街が安全になるなら、悪いことじゃない。魔物もこれなら寄り付かないだろうし。


 ***


 案の定、翌日からのグレイウッドは、ちょっとした騒ぎになった。  

 いや、「パニック」じゃない。「フィーバー」だ。ギルドに行くと、冒険者たちが暇そうにたむろしている。


「おい聞いたか? 街の外の魔物が一匹もいねえんだよ」

「ああ。スライム一匹寄り付かねえ。狩りになんねえよ」

「でもよ、なんかここにいるだけで古傷が治っていくんだ。不思議だよなぁ」


 そんな会話を聞き流しながら、俺は掲示板の前に立つ。ギルドの隅では、ギルベルト爺さんが頭を抱えてブツブツ言っていた。


「……ありえん。昨夜の一瞬で、この地域の霊素純度が限界突破しておる……。世界樹の直下に匹敵する数値じゃ。なぜだ……何が起きた……」


 その横で、事務官のネリスさんが無表情に羊皮紙にペンを走らせている。俺と目が合うと、スッと眼鏡を押し上げた。  

 ……怖っ。完全に「犯人はお前だ」って顔してる。俺はそそくさと目を逸らして、依頼書を適当に剥がした。


「……平和だなぁ」


 俺は呟く。誰も傷つかない。みんな健康になる。魔物は寄ってこない。

 

 これこそが、俺の求めていたスローライフの完成形じゃないか?  多少、学者たちに怪しまれてるけど、実害はないし。  

 このまま、この街で、フェデと一緒にのんびりと……。


『奇跡の安全地帯』誰が呼んだか知らないが、そんな二つ名まで定着し始めているグレイウッド。だが、俺はまだ知らなかった。  


 あまりにも眩しい光は、遠くの闇を刺激するってことを。  

 そして、この都合のいい「奇跡」が、本当の意味での「嵐の前の静けさ」でしかないことを。

 風が吹いた。西から――ガルドリア王国の方角から吹いてくる風。それが頬を撫でた瞬間、俺の肩に乗っていた(見えない)フィオが、小さく身震いをしたのが分かった。


『……ルーク殿 風が、泣いております』


 俺は空を見上げた。抜けるように青い空。黄金色の結界が守る平和な街。  

 だけど、そのずっと向こう。

 西の空の果てに、赤黒い滲みのような雲が、小さく、けれど確実に広がり始めている気がした。


「……ま、なるようになるか」


 俺は努めて明るく呟いて、足元のフェデの頭を撫でた。フェデもまた、いつもの能天気な顔を消して、じっと西の空を見つめていた。その瞳の奥に、星のような鋭い光を宿して。


 平穏な日常。美味しいご飯。ふかふかのベッド。それを守るためなら、もう少しだけ、働いてやってもいいかな。  


 ……なんてな。  


 俺は依頼書をポケットにねじ込んで、賑わう街の中へと歩き出した。  

 すぐそこまで迫っている「終わり」の足音に、気づかないふりをして。




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