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第29話  ギルベルトの確信

 翌朝のことじゃ。  

 空は憎たらしいほどに晴れ渡っていた。小鳥がチュンチュン鳴いてやがる。

 

 あまりにも平和すぎて、昨日の夜に街中の鼻をへし折る勢いで漂っていたドブ臭さが、まるで悪い夢だったんじゃないかと錯覚しそうになるわい。


 だが、夢じゃない。現実はいつだって、研究者の予想の斜め上を全力疾走していくもんだ。


 わし、ギルベルトは、老体に鞭打ってマンホールの蓋を開けた。重い。腰にくる。なんで還暦過ぎた植物学者が、朝飯も食わずに下水掃除の検分なんてせにゃならんのだ。

 

 ブツブツ文句を垂れながら、錆びついた梯子を一段ずつ降りていく。後ろから、事務官のネリス嬢もついてくる。彼女もまた、いつもの鉄仮面みたいな無表情を崩してはいないが、その足取りにはわずかな緊張が混じっていた。


「……おいおい」


 降り立った瞬間、わしの喉から乾いた音が漏れた。臭くない、いや、無臭じゃない。湿った土の匂いと、わずかにオゾンめいた清涼感。まるで雨上がりの高原か、あるいは聖域の洞窟にでも迷い込んだような空気だ。  

 ここ、下水だよな? 昨日までヘドロと汚物がマリアージュしてた、あの地獄への入り口だよな?


「……ギルベルト殿。これはいったい」

「見ればわかるじゃろ、ネリス君。異常事態じゃよ」


 懐中魔導灯ランタンを掲げる。  

 照らし出された光景を見て、わしはその場にへたり込んだ。腰が抜けたわけじゃない。膝が、勝手に「敬意」を表して地面に着地しちまっただけだ。


「ありえん……」


 そこにあったのは、薄汚い水路じゃなかった。

 神殿だ。  


 いや、言い過ぎか?でも、そう表現するしかないほどの「清浄」がそこにあった。


 ボロボロで継ぎ目だらけだったはずの石畳が、ない。  

 代わりに、どこまでも滑らかで、継ぎ目のない『一枚岩』の床が奥へと続いていた。  

 壁面もそうだ。カビだらけの煉瓦だった場所が、磨き上げられた大理石のようにツルツルに光っている。ランタンの光を反射して、地下道全体がぼんやりと明るい。


「……ネリス君、ちょっとそこを触ってみてくれんか」

「はい……冷たいですね。それに、硬い。爪を立てても傷ひとつ付きません」

「そうじゃろうな。これは魔法で表面をコーティングしたもんじゃない。物質そのものの構造が、分子レベルで組み替えられておる」


 わしは震える指で、壁を撫で回した。 土の粒子が、互いに手を繋ぎ直して、隙間なく整列させられたような状態だ。


「土属性の……共振か?」


 わしは独りごちる。声が、やけに響く。物質にはそれぞれ、固有の揺らぎがある。それを読み取り、干渉し、崩すのが『破壊』の魔法だ。

 

 だが、これは逆だ。崩したあと、もっと強固な形で『再構築』してやがる。


「破壊と再生を一瞬で? しかも、これほどの規模でか?」

「ギルベルト殿。この硬度……王都の地下シェルターに使われているミスリル強化壁に近いかもしれません」

「はっ、笑えんわ! 田舎の下水が王都より頑丈になってどうするんじゃ!」


 この水路の補修工事だけで、王国の予算が何年分浮いた? 


 三百年分か?  


 いや、そもそも現代の技術じゃ、こんな『継ぎ目のない完全構造物』なんて作れん。  


 ドワーフの国宝級職人が一生かけて磨くレベルの仕事を、あいつは一晩で、しかも『掃除のついで』にやってのけたってのか?


「……計測器の針はどうなっておる?」

「動きません。右端に張り付いたままです」


 ネリスが差し出した魔導計を見る。

 強度測定不能。魔素干渉痕、測定限界突破


「……やはり、あやつか」


 脳裏に浮かぶのは、あの飄々とした青年の顔だ。  


 ルーカス・ヴァレリオ。どこにでもいそうな、のんびり屋のDランク冒険者


「土の上位精霊の加護があるのは間違いない。だがな、ネリス君。精霊術とは『お願い』して力を借りるもんなんじゃよ」

契約コントラクトによる対価交換、ですね」

「そうじゃ。だが、ここの壁に耳を当ててみろ」


 わしは壁をコンコンと叩いた。


「聞こえるか? 石の声が」

「……いえ、私には」

「わしには聞こえる。……違う。『お願い』されたんじゃない。これは、『命令』された形跡じゃ」

『整え』『固まれ』『流れろ』


 絶対的な王の号令に、土の精霊エレメントたちが歓喜して従った痕跡。  

 強制干渉。それも、精霊の意志をねじ伏せるんじゃなく、精霊のほうから「喜んで!」とひれ伏すような、圧倒的な格の違い。


「化け物め……」


 寒気がした。恐怖じゃない。畏怖だ。  


 こんな存在が、田舎街の宿屋でシチュー食って「うまーい」とか言ってるんだぞ?  

 冗談にもほどがある。世界樹の根元で昼寝してるドラゴンを起こさないように歩くようなもんだ。


「報告はどうする、ネリス君」

「事実を、ありのままに。……と言いたいところですが」


 ネリスが眼鏡の位置を直す。その指先が震えているのを、わしは見逃さなかった。


「これをそのまま報告すれば、騎士団本部はパニックになります。最悪の場合、総団長命令で『即時拘束』あるいは『排除』の部隊が動くでしょう」

「そうじゃろうな。そして、もし騎士団があやつを敵に回したら……どうなると思う?」


 わしは、カチカチに固められた壁をコツンと杖で叩いた。


「この水路を一瞬で『固めた』ように、王都の城壁を一瞬で『砂』に変えることだってできるはずじゃ。そんな爆弾を、無知な貴族どもがつつき回してみろ」

「……国が、終わりますね」

「うむ。地図からソルミリアが消えるわい」


 二人の間に、重たい沈黙が流れた。  


 わしらは顔を見合わせ、同時にため息をつく。共犯者になるしかない。この「世界の危機」を先送りするために。


「……監視だ。絶対に、刺激しちゃいかん」


 ***


 宿に戻ったわしは、誰にも見られないように部屋の鍵をかけた。  

 羊皮紙を広げる。インク壺の蓋を開ける。  

 宛先は、王都ソルネリア、宮廷魔導長マグナ、およびセカイジュ騎士団総団長アウストレア・ラインハルト。


「書くぞ、ネリス君。文面のチェックを頼む」

「はい。……しかし、何と書くおつもりで?」

「事実を少しだけマイルドに包んで、全力で『触るな』と警告するんじゃ」


 震える手を押さえつけ、わしはペンを走らせた。


『――報告。グレイウッドにて確認された対象、ルーカス・ヴァレリオについて』


 書きながら、口に出して読み上げる。


「『当該人物の霊核能力は、計測エラーではなく、測定限界突破と断定する。昨夜、都市インフラの一部において、土属性の極大干渉による構造変異を確認』……どうじゃ?」

「……具体的すぎませんか? 『インフラの変質』程度に留めては」

「いや、甘い。ここで脅しておかんと、上層部のバカどもは『優秀な土木作業員』程度にしか思わんかもしれん」


 インクが紙に滲む。わしの冷や汗も、一滴落ちた。


「『その術式構成は、現存する魔導体系のいずれにも属さない。強いて言うなら、“ことわり”そのものへの直接介入である』」


 書きながら、喉が渇く。これを読んだマグナの婆さんが、眼鏡を落として絶句する顔が目に浮かぶようだ。


「『評価:Sランク級……否、それ以上。戦略級の“特異点”である可能性が極めて高い』」

「……博士。そこまで書くと、騎士団が総出で来ませんか?」

「そこじゃよ。だから、こう続ける」


 わしはニヤリと笑って、続きを書きなぐった。


「『推奨事項:接触は慎重を期されたし。強引な勧誘、敵対行動は、国家存亡に関わるリスクあり。本職ギルベルト、および事務官ネリスによる“監視継続”を提案する』」

「……つまり、『私たちが責任を持って見張るから、手出し無用』と?」

「そういうことじゃ。あやつは、今のところ『無害』じゃからな。……動機はともかくとして」

 

 そう、一番重要なのはそこだ。あやつが悪意を持っていないこと。むしろ、その行動原理が拍子抜けするほどに人間臭いこと。


「最後の一文じゃ。『……あくまで、彼が“冒険者ごっこ”に飽きるその時まで』」

「個人的な願望が入っていますね」

「うるさいわい。頼むから飽きないでくれよ、という切実な祈りじゃ」


 封をした手紙に、魔力で封蝋をする。重い。たった一枚の手紙が、鉛の板みたいに重く感じる。


「……ふぅ」


 大きく息を吐き出して、椅子に背中を預ける。  

 窓の外では、何も知らない街の人々が、水が綺麗になったことを喜んで騒いでいる声が聞こえる。 「水神様の奇跡だ!」なんて言ってる奴もいる。  

 半分正解で、半分間違いだ。神様なんかじゃない。もっと、こう……人懐っこくて、でも怒らせたら世界が終わる、隣人の兄ちゃんだ。


 コンコン。

 

 ノックの音。心臓が跳ねた。



「ギルベルトさーん? 朝ごはん、どうしますー?」


 宿の女将の声だ。わしは胸を撫で下ろす。

「……ネリス君、飯にするか」

「ええ。胃が痛いですが」

「わしもじゃ。だが、腹が減る」


 極度の緊張のせいか、胃がキリキリと痛むのに、猛烈に空腹だ。

 恐怖と食欲はセットなのかもしれん。


「……今行く! パンと、あとスープをくれ! 特大でな!」


 わしは手紙を懐の隠しポケットにねじ込み、立ち上がった。  

 さて。朝飯の席で、あのとぼけた顔の青年に会ったら、どんな顔をしてやろうか。


「……博士。窓の外」


 ネリスが小声で言った。視線の先を見る、中庭だ。


「い~い湯だった~な、アハハン♪」


 間抜けな鼻歌。風呂上がりらしく、濡れた髪をタオルで拭きながら、あのデカいフェデと一緒に歩いてくる青年。  


 ルークじゃ。


「さーてフェデ、今日も稼ぐか! 朝飯なに食う?」

「わふっ!」

「お、肉か? 朝から重いねぇ。まあいいか、昨日の臨時収入(……という名の自作自演)があるしな!」


 ……自作自演、と言いおったか今。やっぱり、全部あやつの仕業か。それも、金のためか。食費のためか。


「……はは。笑えてくるのう」


 わしは窓枠に手をついて、乾いた笑いを漏らした。  

 世界を揺るがす力が、犬のエサ代のために使われた。  


 なんという無駄遣い。なんという贅沢。  

 でもな。あやつの周りの空気は、いつだって穏やかじゃ。  


 精霊たちが、あやつの周りで楽しそうに舞っておるのが、わしには視える。

 植物学者の特権じゃよ、うっすらとだけどな。  

 あれは、恐怖で従わされているんじゃない。  

 心から、あやつを慕っておるんじゃよ。


「ネリス君。あやつの観察、案外悪くないかもしれんぞ」

「……どうしてですか?」

「見てみろ。あんなに幸せそうな顔で笑う『魔王』なんて、歴史上どこにもおらんじゃろ」


 ネリスもつられて外を見た。彼女の鉄仮面のような表情が、ほんの少しだけ緩んだ気がした。


「……そうですね。オムレツが食べたいそうです」

「なんじゃそれは」

「聞こえました。『マルタさんのオムレツがいい』と」

「……ふっ。よし、わしらもオムレツにするか」


 わしは杖をつき直して、部屋を出た。逃がしはせんぞ、ルーカス。  

 お主がその規格外の力で、この世界をどうひっかき回すのか。この老いぼれの目が黒いうちは、特等席で見物させてもらうからのう。


「……やれやれ。長生きはするもんじゃないわい」


 独りごちて、廊下を歩く。

 

 向こうから、フェデの楽しげな鳴き声と、ルークの間抜けな笑い声が近づいてくる。  


 スローライフの崩壊カウントダウンは、もう止まらん。わしらがその、最初の目撃者になるんじゃ。




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