第28話 詰まりの原因と解消
くっさ 。
いや、まじで臭い。
鼻が曲がるとかそういう可愛いレベルじゃなくて、鼻の奥の粘膜が「あ、もう無理っす。閉店します」ってシャッター降ろしてストライキ起こすレベルの悪臭だ。
腐った卵と、夏場の生ゴミと、あと何だかわからないドロドロした怨念みたいなのをミキサーにかけて、さらに一週間常温で放置したみたいな臭い。
地下水路の最奥
いくつかのパイプが合流するその場所は、地獄の釜の蓋が開いたような有様だった。
「……うわぁ」
おれは思わず口元を袖で覆ったけど、正直、気休めにもならない。
足元のフェデも、「くぅ〜ん……」って情けない声を出して、おれの足の裏側に鼻先を隠してる。最上位霊獣でも臭いものは臭いらしい。
わかるよ、帰りてぇよな。おれだって今すぐ回れ右して、宿のふかふかのベッドにダイブしたい。
目の前に鎮座しているのは、巨大な黒い壁。いや、壁に見えるほどの「肉塊」か。ヘドロと汚水が混ざり合って生まれた巨大スライムだ。
ただの汚れじゃない。都市から排出される微量な魔素を長期間吸い続け、肥大化しすぎて動けなくなった成れの果て。
そいつが、水路の出口となる土管を、みっちりと塞いでいた。コルク栓みたいに。おかげで上流側の水位が上がって、腐った水が溢れそうになってる。
『主よ、これは酷いな!』
脳内に元気すぎる声が響いて、赤い光の粒子が集まる。炎精霊のヴァルだ。勝手に出てきやがった。
子狐姿の実体を現すなり、鼻をひくひくさせて、露骨に嫌そうな顔をする。
『汚ねぇ! なんだこれ、この世の終わりの掃き溜めかよ! おいルーク、燃やそうぜ。俺様の極熱ブレスなら、こんなゴミ山、一発で炭にしてやるよ!』
「バカ、やめろって」
おれは慌ててヴァルの口を掴んで止める。
「ここ地下だぞ? しかも下水だ。メタンガスとか可燃性のガスが充満してる可能性が高いんだよ。お前が火種になった瞬間、詰まりが解消されるどころか、上の街ごと吹き飛んで、おれ達は『地下テロリスト』として指名手配だぞ」
『……不快ですね。非常に、生理的に無理です』
今度は冷ややかな声。水の精霊ラグだ。彼女は半透明の人魚姿で宙に浮いているけど、汚泥には絶対に触れたくないらしく、おれの肩のあたりまで避難してきている。その視線は、汚いものを見るというより、実験サンプルを見る科学者のそれに近い。
『水が死んでいます。この澱み……ただの汚れではありません。魔素が核になって、周囲の汚水をかき集めて肥大化した『群体』です。……ルーク様、燃やすのがダメなら、私の水流で押し流しましょうか?高圧洗浄機のように、水圧でバラバラに切断して――』
「それも却下だ」
おれは首を振った。
「出口が詰まってる状態で水を注ぎ込んだらどうなると思う? 逆流だよ、オーバーフロー。マンホールから汚水が噴き出して、グレイウッドの街中がクソまみれの大パニックになる」
『あ……。なるほど。失礼しました、つい『汚れは水で洗えばいい』という精霊的思考で』
ラグがぺろりと舌を出す。
まったく、うちの精霊たちは極端すぎるんだよな。火力ゴリ押しか、水量ゴリ押し。
じゃあ、どうするよ。
風のフィオに頼んで切り刻むか? いや、あの中身が飛び散るんだろ? おれの服に? フェデの自慢の毛並みに? ……嫌だ。絶対に嫌だ。精神的ダメージがでかすぎる。
「詰んでるじゃん……」
おれはため息をつきながら、手に持ったアストラ(まだ鞘に入ったままだ)で、コンコンと肩を叩いた。
力任せじゃなく。もっとこう、理屈で。詰まりを解消するには、どうすればいい? トイレが詰まったときを思い出せ。ラバーカップ? いや、もっと根本的な……そう、振動だ。固着している汚れを、揺らして、剥がして、流動化させる。
「……んー。こういう時は、あれか」
おれはふと、前世の記憶――いや、もっと古い、精霊王だった頃の感覚を呼び覚ましてみた。
固いものを壊すんじゃない。ほどくんだ。
土と、共振
「フィオ、こいつの『固有振動数』、わかるか?」
『……ほう。なるほど、主様。さすがの着眼点です』
緑色の小鳥の姿をしたフィオが、感心したように翼を羽ばたかせた。
『計測します……ハイ。かなり低周波ですね。土の霊素に近い、重く鈍い波長です。あそこの瓦礫が混じっている部分が、結合の『急所』かと』
「オーケー。じゃあ、ちょっと『頑固親父』の力を借りるか」
おれはアストラの鞘の先端(石突き)を、水路の石畳に当てた。
カツン、と硬い音が響く。まだ再会できていない、土の上位精霊オルド。
あのおっとりした、でも怒ると怖い土ゴーレムの爺さん。彼とはまだ契約を結び直していないけれど、おれの中にある『精霊王の核』は、彼の気配を覚えている。
世界中の大地は繋がっているんだ。呼びかければ、たぶん届く。
「フェデ、ちょっと下がってろよ」
「わふっ」
フェデが賢く数歩下がる。おれは息を吸って、下腹に霊素をぐっと溜めた。
イメージするのは、巨大な岩を砕くハンマーじゃない。砂上の楼閣を崩す、ほんのわずかな指先の揺らぎだ。
――土よ。震えろ。
トン
おれは鞘で、軽く地面を突いた。
傍から見れば、杖をついた程度のアクションだったと思う。
でも、その瞬間。ごぅん、と低い音が、足の裏から響いてきた。
地震じゃない。もっと細かい、微細な振動だ。空気中の魔素がビリビリと震える。
おれの霊素がアストラを通じて地下深くへ染み込み、土の精霊の領域に干渉する。
『固まるな。ほどけろ。流れろ』
それは魔法っていうより、説得に近い。あるいは、錆びついたネジに油を差して、コンコン叩いて緩める作業。
『お? なんか地面がくすぐってぇぞ!』
ヴァルが目を丸くする。目の前の巨大なスライムが、プルプルと震え始めた。最初は小刻みに。次第に激しく。
まるで沸騰した鍋みたいに、表面が波打ち始める。
結合が解かれていく。これを専門用語でチキソトロピー現象とか言うんだっけ?
「……崩れろ」
おれがもう一度、トン、と鞘を突くと同時に。
ブジュルルルルッ!! 汚泥の塊の結合が一気に解けた。
個体を維持していた魔素の結びつきが、土の共振によってバラバラに分解されたんだ。
硬かったはずのスライムは、ただのサラサラの泥水へと還元され、堰き止められていた水圧に押されて一気に崩壊した。
「うおっ!?」
ドッパァァァァァァン!! ダム決壊。 溜まっていた汚水が、猛烈な勢いで排水口へと流れ込んでいく。スライムだったものも一緒に、濁流となって闇の奥へと吸い込まれていった。
『わーお。豪快だねぇ、ルーク!』
『……汚い。本当に汚い。でも、流れましたね』
『見事です。土の理による、構造破壊……今の波動、確かにオルド殿の気配を感じました』
三精霊が口々に感嘆の声を上げる。水位が一気に下がり、詰まりが解消された水路に、ごうごうと水が流れる音が戻ってきた。
おれはふぅ、と息を吐いて、アストラを腰に差し直した。
「……なんとかなったか。これなら、街が壊れた痕跡も残らないだろ」
物理的に殴ったら壁が凹むし、魔法で焼いたら焦げ跡が残る。
でも、これなら「なんか自然に詰まりが取れました」で誤魔化せるはずだ。振動で崩しただけだからな。証拠は水に流れたってわけだ。うまいこと言ったつもりはないけど。
ついでにラグに頼んで、残った汚れを軽く「浄化」してもらう。キラキラと光の粒子が舞い、ドブ臭かった空気が一瞬で高原の朝みたいに澄んだものに変わった。壁までピカピカだ。
「よし、完璧。帰ろうぜ、フェデ。腹減った」
「わふぅ!」
フェデが嬉しそうに尻尾を振る。おれ達は、誰にも見つからないように(ネリスさんには半分バレてる気もするけど)、足早に地上への梯子を登った。
スローライフを守るための秘密の労働、これにて完了。
……あーあ、早く帰って宿のマルタさんに頼んでお湯もらおう。徹底的に洗わないと気が済まない。
***
翌朝。現場検証に訪れた老学者ギルベルトは、その場にへたり込んでいた。
「……なんじゃ、これは」
彼は震える手で、地面の一点を撫でた。水路の石畳の一部が、まるで真新しい大理石のようにピカピカに輝いている。いや、輝いているだけじゃない。分子レベルで再結合され、何百年も前の建設当時よりも遥かに強固な『一枚岩』に変質していたのだ。
オルドの力を借りた「振動」が、汚れを落とすついでに、ボロい水路を要塞級の強度に地固めしてしまっていたらしい。
「土の精霊術……いや、これは『再構築』か? 王都の魔導師団が束になっても、こんな芸当はできんぞ……」
ギルベルトは、流れるようにきれいになった水路を見つめ、ゴクリと唾を飲み込んだ。
この街には、とんでもない怪物が潜んでいる。改めてそう確信し、彼は懐の手帳に震える文字で記録を残した。
『対象は、土の理すらも支配下に置いている可能性あり。水路の耐久度が測定限界を突破。土木局の予算三百年分に相当する修繕が一晩で完了。……やはり、常識の範疇外』
そんな騒ぎになっているとも知らず、おれは久しぶりの朝風呂で「あ〜、極楽極楽」なんて鼻歌を歌ってたんだから、平和なもんだよな。
まあ、風呂上がりにギルドへ行ったら、鬼の形相のギルベルト爺さんに捕まる未来が待ってるんだけど。
それはまた、ちょっと先の話だ。




