表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

21/25

第21話  学者ギルベルトの来訪

 カレンさんとの「貸し借り」という名の冷戦(こっちが勝手にビビってただけ説もある)から、一夜明けて。  

 結論から言おう。空気が美味い。物理的に美味しいんじゃなくて、精神的な意味で。  

 朝の光が差し込む宿屋『月下葡萄亭』のテラス席。おれの目の前には、焼きたてのパンと、湯気を立てる野菜スープ。  

 そして足元には、骨付き肉にかぶりつく相棒フェデ  


 平和だ。あまりにも平和すぎて、逆に不安になるレベルで平和だ。  

 昨日の今日だぞ?Aランク冒険者に目をつけられ、正体バレの危機をギリギリで回避した直後だ。もっとこう、余韻というか、ヒリヒリした感じが残っててもいいはずなのに。グレイウッドの朝は、残酷なまでに穏やかだった。


「わふっ(おかわり)」

「はいはい。お前な、食費の計算してみろよ。おれの稼ぎの九割が肉に消えてるんだぞ」


 文句を言いながらも、おれは追加のベーコンを投げてやる。フェデが空中でパクッ。咀嚼そしゃくもせずに飲み込む。  

 まいいい、こいつの愛嬌あいきょうのおかげで、カレンさんもほこを収めてくれたわけだし。必要経費だ。  


 今日は依頼を休もう。部屋でゴロゴロして、昼寝して、夕方にはマルタさんのシチューを食う。完璧だ。誰にも邪魔されない、モブAとしての最高の休日。


 ……なんてことを考えていられたのは、ほんの数十分だった。運命の女神ってやつは、たぶんおれのことが嫌いなんだと思う。

 もしくは、極度のサディストかどっちかだ。


 ***


 異変は、通りの向こうからやってきた。最初は、ただの変なじいさんだと思ったんだ。ボサボサの白髪は鳥の巣みたいに爆発してるし、着てるローブなんてツギハギだらけで、どこの古代遺跡から発掘されたんだってくらいボロい。  

 手には、真鍮しんちゅうとガラス管を無理やりくっつけたような、スチームパンク全開の謎アイテム。  

 そのじいさんが、ふらふらと、酔っ払いみたいに千鳥足で歩いてくる。  

 人々が避ける。モーゼの海割りみたいに、じいさんの進行方向だけ道が開く。

 関わっちゃいけない。  

 おれの本能が、全力でサイレンを鳴らした。「逃げろ」って。


「……ふむ」


 じいさんが立ち止まった。宿屋の目の前だ。手にした機械──振り子のような水晶がついた杖──を、空にかざす。水晶が、チカチカと青白く明滅していた。


「濃い、のう」


 独り言にしてはデカい声だ。

「濃度というより、純度か? この一帯だけ、空気が異常に整列しておる。風のノイズがない。人の感情のおりも、魔素のちりもない」


 じいさんは、瓶底メガネの奥にある目を細めて、宿屋の看板を見上げた。そして、視線をゆっくりと降ろしてくる。  

 テラス席にいる、おれのほうへ。

 目が合った。濁った、老人の目。でもその奥には、子供みたいに無遠慮で、狂気じみた好奇心がギラギラと燃えていた。


「見つけた」


 じいさんがニヤリと笑う。歯が何本か欠けている。  

 逃げなきゃ。そう思った時には、もう遅かった。

 じいさんは驚くべき速さで距離を詰めると、おれの目の前まで来て、あろうことかその怪しい機械を鼻先に突きつけてきたんだ。


「動くなよ、若いの」

「うわっ!? な、なんですか!」


 フェデが「ヴゥーッ!」と低くうなる。おれの足の間に隠れながら。じいさんは機械の針を凝視し、それから満足げにうなずいた。


「ほう……ほうほう! やはりここが震源地か!」

「しんげんち? なんの話ですか。警察……じゃなくて衛兵呼びますよ?」

「まあ待て。わしは怪しいもんじゃない」


 いや、全身から怪しさオーラがあふれ出てるんですけど。


「わしはギルベルト。王都から来た、しがない植物学者じゃよ」


 ギルベルト? どこかで聞いたことがあるような、ないような。  

 いや、待て。王都の学者だって? 嫌な汗が背中をつたう。なんで王都の学者が、こんな辺境の宿屋にいるんだ。  

 まさか、ギルドの計測器をぶっ壊した件か?あれがバレたのか? おれは必死に表情筋を固定する。動揺するな。

 おれはただのDランク。無害な市民。


「学者先生が、なんの用ですか。おれ、ただの朝飯食ってる一般人ですけど」

「一般人、ねぇ」


 ギルベルトと名乗ったその老人は、カッカッと愉快そうに笑った。そして、おれの左手を――『阻害の指輪』をはめた手を、勝手に掴み上げた。


「これを見ても、一般人と言い張るか?」

「痛っ、ちょっ……!」

「安物の拘束具じゃな。魔力を無理やりき止めるための。……普通の術師なら、指が壊死えししてもおかしくない圧力じゃぞ、これ」


 バレてる。丸見えだ。このじいさん、ただのボケ老人じゃない。霊素レイソの流れを視覚化ビジュアライズして捉えてやがる。

 

 おれが必死に隠蔽マスクしてる「漏れ」を、そこらの計器よりも正確に見抜いてるんだ。  

 おれは慌てて手を引っ込めた。


「この宿の周りだけ、霊素が異常に安定しておる。まるで、高性能な空気清浄機を置いたみたいにな」


 じいさんは手を離すと、顔を近づけてきた。近い。古い紙と、乾いた土の匂いがする。


「ふむ、ここに世界樹の愛し子が住んでいるのかな?」


 《愛し子》その単語に、心臓が跳ねた。

 おれのことか、世界樹に無理やり転生させられた、元社畜のおれのことか。


「……なんのことだか、さっぱりですね。田舎だから空気がいいだけでしょう」


 しらばっくれる。それしか道はない。だが、ギルベルトは楽しそうに目を細めたまま、足元のフェデを指差した。

「その犬も、いい毛並みじゃ。……普通のファルニッシュにしちゃあ、ちと『威厳』がありすぎるがの」


 フェデがビクッとする。こいつ、フェデの正体(最上位霊獣)まで勘づいてるのか?


「興味深い。実に興味深いぞ!」


 ギルベルトは手を叩いて、子供のようにはしゃぎ出した。


「長生きはするもんじゃな。こんな辺境に、生きた研究材料が転がっておるとは!」


 材料て、おれは実験動物か何かですか。


「決めたぞ。わしは今日からここに泊まる」

「は?」

「女将! 一番いい部屋を頼む! しばらく逗留とうりゅうすることにしたわ!」


 ズカズカと宿に入っていくじいさん。

 呆然とするおれ。  

 ……終わった。

 スローライフ、終了のお知らせだ。  


 カレンさんという体育会系の脅威が去ったと思ったら、今度はインテリ系のストーカーが張り付いてしまった。しかも王都直通のパイプ持ち。  


 おれが下手に動けば、その瞬間にレポートが王都へ飛ぶ仕組みだ。


 おれはガックリと項垂うなだれる。  

 空はこんなに青いのに、おれの心は、どしゃ降りだ。


 ……その頃。  


 宿の角から、もう一つの視線がおれを見ていたことを、おれはまだ知らない。  

 じいさんの後ろをついてきた、無表情な眼鏡の女性。

 事務官ネリス。  

 彼女の手帳には、すでにこう記されていた。


『対象接触。隠蔽の痕跡あり。……要・最重要監視』


 包囲網は、おれが思ってるよりずっと狭かったんだ。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ