第20話 功績の譲渡
結論から言おう。逃げ切れなかった。
胃が痛い。ほんとに、キリキリと音を立てて雑巾絞りされてるみたいだ。
朝起きた瞬間からこれだ。窓から差し込んでくる日差しが、やけに白々しくて腹が立つ。ちりちりと舞う埃をキラキラ照らしてるのを眺めながら、おれは布団の中で頭を抱えていた。
昨日のアレだ。ドロドロの腐った沼が、おれの指先ひとつでキラッキラの湧き水スポットに変わっちゃったあの大惨事。
思い出すだけで、枕に顔を埋めて「あーっ!」って叫びたくなる。やりすぎた。どう考えてもやりすぎだろ。不死身のオークを消滅させて、地形変えて、聖域作って、「ただの新人です」なんて言い訳が通じるわけがない。
「……なぁ、フェデ。おれ、もうダメかもしれん」
ベッドの横で丸まっていたフェデが、ぱちっと目を開ける。琥珀色の瞳が、「また始まったよこいつのネガティブ」とでも言いたげに細められた。
「わふ(だいじょーぶだって)」
「大丈夫じゃねえよ! カレンさんに見られたんだぞ? 絶対怪しまれてるって。今日のギルド行くの怖すぎんだろ……」
布団を頭からかぶってイモムシみたいになっていると、フェデが鼻先を突っ込んできて、冷たい鼻で脇腹をつついてくる。くすぐったい。やめろ。
結局、腹は減るわけで。マルタさんの焼くパンの匂いが階下から漂ってくると、おれの胃袋は正直に反応しちゃったわけだ。観念して起きるしかない。
指にはめた『阻害の指輪』を確認。うん、ちゃんと魔力を絞ってる。今日は絶対に魔法なんか使わない。物理(木の棒)しか振らない。そう心に誓って、おれは重い足取りで部屋を出た。
***
ギルドの重厚な扉が、今日に限ってやたらと威圧的に見える。この向こうに、おれの平穏を脅かす現実が待っている気がしてならない。
深呼吸ひとつ。よし、ポーカーフェイスだ。おれは何も知らない。昨日はただ薬草を探して森をうろついていただけの、善良で無害なモブ冒険者A。そういう設定で押し通す。
ギィィ……と、蝶番が軋む音を立ててドアを開ける。
喧騒と、酒と汗の匂い。いつものギルドの空気だ。でも、今日は話題がひとつに集中してる。
「聞いたかよ、昨日の話」
「ああ、枯れ沼が消えたってやつだろ? 教会の秘儀だとか、精霊王の気まぐれだとか」
「カレンさんのパーティが見たって話だけど、箝口令が敷かれてるらしいぜ」
……うわぁ。もう噂になってる。情報伝達速度が光ファイバー並みだろ、この街。
おれは極力気配を消して(これ得意なんだ)、受付カウンターの端っこを目指す。ミリアさんが忙しそうに書類を捌いてるのが見えた。あそこに行って、ササッと薬草納品して帰ろう。そうしよう。 と、そのときだ。
「――いた」
背筋が凍るような、低い声。いや、殺気とかじゃないんだけど、なんていうか、「逃がさないわよ」っていう確固たる意志のこもった声がおれの背中に突き刺さった。
ギギギ、と油切れのブリキ人形みたいな動きで振り返る。そこに立っていたのは、腕を吊って包帯だらけの赤髪剣士様だった。
「あ、えーと……カレン、さん?」
昨日の今日で、よく動けるなこの人。Aランク冒険者の生命力ってのはゴキブリ並み……じゃなくて、規格外らしい。眼光だけはギラギラと燃え盛っている。
カレンさんは無言でツカツカと歩み寄ってくると、おれの胸ぐらを掴む……手前で止まって、壁際に追い込むように一歩踏み込んできた。
「ちょっと、顔貸しなさい」
「え、いや、おれこれから薬草を……」
「いいから」
問答無用。有無を言わせぬ圧力に押されて、おれはギルドの隅っこにある談話スペースの、さらに端っこの席に連行された。フェデが「なんだなんだ?」って感じでついてくるのが、なんとも緊張感を削ぐ。
向かい合わせに座る。カレンさんは無傷なほうの手で頬杖をついて、じっとおれの顔を値踏みするように見つめてくる。
昨日のフード姿とは違う、いつもの地味な装備のおれだ。バレてないはずだ。バレてないよな?
「……昨日のこと、聞いてる?」
カレンさんが切り出した。探りを入れるような口調だ。
「え? 昨日の……なんですか? おれ、ずっと森の北側で薬草探してて、夕方まで戻らなかったんで」
用意しておいた嘘をスラスラと並べる。表情筋よ、仕事をしてくれ。完璧な「何も知らない一般人」の顔を作るんだ。
「枯れ沼で、変異種のオークが出たの。あたしたちのパーティ、全滅しかけたわ」
「うわ、マジですか。それは災難でしたね……でも、ご無事で何よりです」
「そうね。運がよかったわ。……『通りすがりの親切な旅人』のおかげでね」
ピクリ。眉が動かないように耐える。心臓が跳ねる。カレンさんは目を細めて、続ける。
「フードを目深にかぶった男だったわ。連れていたのは大型犬。……今のあんたみたいにね」
彼女の視線が、おれの足元のフェデに落ちる。フェデは呑気に「あ?」って顔をして、大あくびをした。ナイスだフェデ。そのアホ面こそが最高のカモフラージュだ。
「いやあ、大型犬なんてどこにでもいますよ。ファルニッシュ系って人気だし」
「そうね。でも、あんなふうに金色の結界を張れる犬は、そうそういないと思うけど」
「結界!? ははは、まさか。カレンさん、怪我のせいで夢でも見てたんじゃないですか? ほら、出血多量とかで幻覚見ることあるって言いますし」
おれは精一杯の愛想笑いを浮かべて手を振った。しらばっくれるしかない。証拠なんてないはずだ。昨日はフードで顔は隠してたし、声だって極力低くしてたし。
カレンさんはため息をついた。呆れたような、でもどこか核心を突こうとするような目で、テーブルを指先でトントンと叩く。
「……私の目が節穴だって言いたいの?」
「まさか。でも、おれはDランクの新人ですよ?魔法なんて生活魔法がやっとだし、剣だってただの棒きれみたいなもんです。そんなおれが、不死身のオークを倒して沼を浄化なんて、できるわけないでしょう?」
そう言って、肩をすくめてみせる。論理的に考えれば、おれの言い分のほうが正しいはずだ。常識で考えればな。カレンさんはしばらく無言で、じっとおれの目を見ていた。嘘を見抜こうとするような、心の奥底を覗き込むような視線。
永遠にも感じる沈黙。冷や汗が背中をつたうのがわかる。やがて、カレンさんはふぅっと大きく息を吐いて、背もたれに体を預けた。
「……そうね。常識で考えれば、そうよね」
勝ったか?
「Dランクの新人が、そんなデタラメなことできるはずがない。私の見間違いだったのかもね」
おお! 通じた! 内心でガッツポーズをする。よかった、常識という名の鎧はまだ機能してる。
「いやあ、わかってもらえてよかったです。カレンさんほどの人が、そんな変な勘違いをするなんて珍しいですね」
調子に乗って余計な一言を言った瞬間、カレンさんの視線がふと下に落ちた。テーブルの下。おれの足元でくつろいでいるフェデの方へ。
「……でも、不思議ね」
「はい?」
「あんたのその犬。足の指の間に、黒い粘土がついてるわよ」
え。おれは反射的にフェデの足を見る。そこには確かに――昨日の「枯れ沼」の底にあった、独特の臭いを放つ黒い泥が、ほんの少しだけこびりついていた。
あ、やべ。 洗い残しがあったのか。いや、爪の隙間か!?
フェデのやつ、昨日の夜に足を念入りに洗ったつもりだったけど、指の間まで完璧にはチェックしきれてなかったかもしれない。
「あの沼……特有の魔素を含んだ腐葉土よ。この辺の森には他にないわ。……普通の薬草採取で、そんな深いところの泥、つくかしら?」
カレンさんがニヤリと笑う。悪魔的な笑みだ。
「そ、それは……! えーと、川遊びした時に……」
「へえ、どこの川? 案内してくれる?」
詰んだ。完全に詰んだ。言い訳の言葉が出てこない。口をパクパクさせるおれを見て、カレンさんは楽しそうに目を細めた。
終わった。スローライフ終了のお知らせだ。これからおれは「隠れSランク」としてギルドに祭り上げられ、面倒な依頼を押し付けられ、王都に連行されて実験台にされるんだ。さよなら、昼寝の日々。さよなら、マルタさんのシチュー。
おれが観念して、口を開こうとしたその時だ。
「……ふーん」
カレンさんが、指先の泥をハンカチで拭き取りながら、ふっと力を抜いた。張り詰めていた空気が、霧散する。
「まあ、いいわ」
「……へ?」
「あんたがそう言い張るなら、そういうことにしておく。薬草探しに夢中で、沼の近くまで迷い込んだ……ってことなんでしょ?」
え。なにその助け船。おれはポカンとして彼女を見た。カレンさんは、少しだけ口角を上げて、意地悪そうに、でもどこか優しく笑った。
「隠したい事情があるなら、無理に暴いたりはしないわよ。あたしだって、詮索されるのは嫌いだしね」
「あ、あの……」
「それに、命の恩人を売るような真似、Aランクのプライドが許さないの」
カレンさんは立ち上がると、おれの肩をポンと叩いた。ずしりと重い。でも、嫌な重さじゃなかった。
「……貸しにしておくわ」
その言葉の響きに、おれは胸のつかえがストンと落ちるのを感じた。追求しない。でも、忘れない。
冒険者らしい、サバサバとした、でも義理堅い落とし所。
「この借りは、いつか必ず返すから。……ありがとね」
小声でそう付け加えて、彼女は颯爽とカウンターの方へ歩いて行った。背中で語るってやつか。かっこよすぎるだろ。
おれはその場にへたり込んだ。全身の力が抜けて、椅子と一体化しそうだ。
「……助かったぁ……」
心底、安堵した。バレたけど、バラされなかった。最悪の事態は回避できたわけだ。
フェデが「どうした?」って顔でおれの膝に顎を乗せてくる。お前な、爪の間の泥くらい自分で舐めて落としとけよ。 おれはフェデの頭をぐりぐりと撫で回しながら、遠ざかるカレンさんの背中を見送った。
まあ、カレンさんには「正体不明の実力者」ってバレちゃったけど、彼女の性格なら言いふらしたりはしないだろう。
これで一件落着。また明日から、地味で平和なDランク生活に戻れるはずだ。
……なんて、甘いことを考えていたおれがバカだった。
ギルドの二階。吹き抜けの手すりの影から、こっちをじっと見下ろしている人影が二つあることに、おれはまだ気づいていなかった。
ボサボサ頭の老人と、眼鏡をかけた無表情な女性事務官。彼らの目が、獲物を見つけたように光っていることに。




