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第19話  浄化の一撃

「……嘘だろ、おい」


 土煙が晴れた先を見て、おれの喉から乾いた音が漏れた。  

 いや、だってさっき、蹴ったよな? あの一撃、おれの中では「ちょっと本気のデコピン」くらいの感覚だったけど、結果として地面をえぐってクレーター作るくらいの威力だ。物理法則がちゃんと仕事をしてるなら、あのオークは今ごろミンチになって、森の肥料になってるのがスジってもんだろう。


 なのに。


 ぐじゅ、ぐじゅり。

 耳を塞ぎたくなるような、湿った音が響く。  

 沼の泥の中から這い出してきたオークの体は、確かにひしゃげていた。腕なんて変な方向に曲がってるし、腹には風穴が開いてる。普通なら即死だ。「あ、死にました」って顔をして倒れるべき案件だ。

 

 でも、こいつは違った。穴の開いた腹から、どす黒いヘドロみたいな瘴気しょうきが噴き出して、それが生き物みたいに傷口を縫い合わせていくんだ。  

 治る、とかいうレベルじゃねえ。巻き戻しだ。ビデオの逆再生みたいに、ぐちゃぐちゃの肉が無理やり元の形に戻っていく。


「ブモォォォォォオオオッ!!」


 数秒後には、元の丸太みてえな腕を振り回して、元気よく咆哮ほうこうしてやがる。復活、完了ってか。ふざけんなよ。


「……冗談じゃ、ないわよ……」


 後ろでへたり込んでいたカレンさんが、掠れた声でつぶやくのが聞こえた。  

 そりゃそうだ。Aランク冒険者の彼女ですら、剣を折られて追い詰められた相手だ。物理で殴っても死なないとか、どんなクソゲーだよ。


『主、物理攻撃は推奨しません。あの個体、核がズレてます』


 脳内に直接、涼やかな声が響く。水の精霊、ラグだ。おれの霊素を勝手に吸って顕現している彼女は、いまは姿を消して肩のあたりに浮いているはずだ。


(ズレてるって、どこだよ)


『沼の底です。正確には、この沼全体が奴の外部胃袋みたいになってますね。魔素を吸い上げ続けている限り、何度潰しても無駄ですよ』


 ……マジか。おれはため息をつきたくなるのを堪えて、フードの下で目を細めた。

   意識を集中する。視界の色が変わる。精霊視。世界が色彩の奔流ほんりゅうに変わる。木々の緑、風の蒼、そして――足元に広がる、吐き気を催すようなドす黒い紫。

 

 見えた。オークの足元から、無数の血管みたいな魔素のラインが伸びて、沼の底へ繋がってる。あそこから無限にエネルギーを供給されてるわけだ。  

 コンセントがつながったままの扇風機みたいなもんだ。羽を止めても、電気が流れてりゃまた動き出す。  

 つまり、このオークを倒すには、本体を叩くんじゃなくて、この「充電器」になってる沼そのものをなんとかしなきゃいけないってことか。


 ……めんどくせぇ。ほんっとに、めんどくせぇ!  おれはただ、カレンさんを助けて、さっさと帰って、マルタさんのシチューを食べたかっただけなのに! なんで世界樹の根詰まり掃除なんてさせられなきゃなんないんだよ。


「グルルルァッ!」


 オークがまた突っ込んでくる。学習能力ゼロかよ。いや、不死身だから学習する必要がないのか。  おれは一歩、前に出た。

 

 カレンさんが「危ない!」って叫ぶのが聞こえる。大丈夫だって。当たらなければどうということはない、って偉い人も言ってたし。  

 迫りくる丸太腕。風圧だけで髪が舞う。おれはほんの少し、上体を逸らした。  

 ブンッ!  鼻先数センチを剛腕が通過する。

 

 フィオ(風の精霊)の加護が働いてるおかげで、おれの体は羽根みたいに軽い。思考するより先に体が勝手に最適解を選んで動いてくれる。便利すぎて人をダメにする機能だ。

「フェデ!」

「わふっ!」


 おれの合図で、金色の結界を張っていたフェデが動く。

 ガキンッ!フェデが展開した障壁が、オークの足首を挟み込んで固定した。見えない万力みたいに。 オークが顔から泥に突っ込む。ざまあみろ。


(今だ、ラグ! やるぞ!』)

『了解です。……ルークさま、出力調整は任せますからね? 街一つ消し飛ばしたりしないでくださいよ?』

「善処する!」


 おれは右手を突き出した。狙うのはオークじゃない。  

 この足元に広がる、腐ったヘドロの沼だ。イメージするのは「洗浄」

 

 こびりついた汚れを洗い流す、強力な洗剤。いや、もっと根源的な、「あるべき姿に戻す」ための清浄なる流れ。  

 おれの丹田あたりにある霊素の塊――あの、ダム湖みたいに溢れそうなエネルギーを、蛇口をひねる感覚で指先に送る。  

 ほんのちょっとでいい。チョロチョロって感じで。


 ドッバアアアアアアアアアアン!!

 ……あ。  蛇口、壊れてたわ。


「ちょっ、おま、出すぎ――!」

『あーあ。言わんこっちゃない。補正かけます!』


 おれの指先から放たれたのは、魔法なんて生易しいもんじゃなかった。光の奔流だ。  

 青白く輝く、高密度の霊素の塊。それがレーザービームみたいに沼の水面を叩いた。普通なら、水面に着弾したら爆発して水柱が上がるだろ?  

 でも、これは「攻撃」じゃない。「浄化」だ。だから、爆音はしなかった。代わりに、音が消えた。


 シュァァァァァ…………。


 炭酸が抜けるような、奇妙な音が森に響く。おれの放った光が、泥水に染み込んでいく。インクを垂らした水が染まるみたいに、でもその速度は異常だった。  

 黒く濁り、腐臭を放っていたヘドロが、光に触れた端から透明に変わっていく。文字通り、一瞬だ。  毒々しい紫色の魔素が、まるで朝日に焼かれる霧みたいに蒸発して、キラキラした粒子になって空へ昇っていく。  


 汚泥が、清水へ。腐敗が、純粋へ。世界そのものを「洗濯」して書き換えるような、暴力的なまでの清浄化。


「ガ、ア……?」


 オークが間の抜けた声を上げた。そりゃ困惑もするだろうよ。自分のエネルギー源だった「汚れた沼」が、いきなり「聖なる泉」に変わっちまったんだから。  


 魔素の供給を断たれた変異種は、陸に上がった魚みたいに口をパクパクさせた。再生が止まる。  

 それどころか、構成していた魔素そのものが維持できなくなって、体崩壊を始める。指先から、さらさらとした砂になって崩れていく。


「グルァ……ァ……」


 最期におれのほうを睨んだ気がしたけど、その瞳にはもう敵意の光はなかった。ただの恐怖と、理解不能な現象への困惑だけを残して。  

 

 ザラァ……


 巨体が崩れ落ち、ただの黒い土へと還る。  

 あとには、不自然なほど透き通った水面と、そこに映る青空だけが残った。  

 

 ……やりすぎた。絶対にやりすぎた。これ、Dランクの新人冒険者がやっていいパフォーマンスじゃない。  

 おれはそっと手を下ろして、何食わぬ顔でフードを深くかぶり直す。心臓がバクバク言ってるけど、顔には出さない。ポーカーフェイスだ、ルーク。お前はただ、通りすがりの親切な旅人Aだ。


「……な、なに?」


 背後から、震える声。恐る恐る振り返ると、カレンさんが腰を抜かしたまま、ポカンと口を開けていた。その目は点になってる。  

 彼女の視線の先には、さっきまで地獄の沼地だった場所――いまはなんか、女神様でも降臨しそうな美しい湧き水スポット――があるわけで。  

 そりゃあ、そんな顔にもなるよな。おれだって逆の立場なら「は?」って言うわ。


「あ、えーと……」


 何か言わなきゃ。誤魔化さなきゃ。必死に脳みそをフル回転させる。どう言い訳する? 「たまたま浄化のスクロールを持ってました」? いや、スクロール一枚で地形が変わるわけない。  

「精霊が気まぐれを起こしたみたいですね」? それだとおれが精霊使いだってバレる可能性がある。  なら、いっそとぼけるか?


「……なんか、水、きれいになりましたね」


 おれは精一杯の無邪気さを装って言ってみた。カレンさんの目が、「こいつ正気か?」って語ってる。  失敗した。完全に滑った。


『ルークさま、下手くそすぎです。見てられません』

 

 ラグの呆れた声が脳内に響く。うるさいな、お前がもっと出力絞ってくれればよかったんだよ!


『私のせいですか!? あのダム決壊みたいな放出量を、ここまで絞った私の苦労を……!』


 脳内で精霊と言い争いをしている場合じゃない。カレンさんが立ち上がろうとして、よろめいた。怪我をしてるんだ。  おれは慌てて駆け寄る。


「大丈夫ですか? 立てます?」

「え、あ、う、うん……」


 カレンさんはおれの手を借りて立ち上がると、まじまじとおれの顔(フード越しだけど)を見つめてきた。  

 その視線が痛い。探るような、畏怖するような、でもどこか縋るような。


「あなた……一体、何者なの?」

「ただの通りすがりです。犬の散歩中の」

「……犬の散歩で、死なないオークを消し飛ばして、沼を聖水に変えるの?」


 鋭い。Aランク冒険者ってのは伊達じゃないな。状況把握能力が高すぎる。  

 でも、ここで「はい、実は精霊王の転生体です」なんて言えるわけがない。言ったら最後、おれのスローライフは消滅して、一生「世界の守護者」として馬車馬のように働かされる未来しか見えない。

 

 断固拒否だ。おれは定時で帰りたいんだよ。


「たまたまです。運がよかっただけですよ」

「運……?」

「ほら、オークも自壊する時期だったのかもしれないし。沼も、地下水脈が変わったとか」

「……そんなわけあるか!」


 ですよねー。カレンさんがツッコミを入れた瞬間、フェデが「わふっ!」と空気を読んだような鳴き声を上げた。  

 そして、おれの足元にすり寄ってくる。尻尾をブンブン振って、「よくやった、褒めろ」と言わんばかりのドヤ顔だ。  

 こいつ……可愛い顔して、計算高いんだよな。カレンさんの視線がフェデに向く。

 さっきの神々しい結界を張っていた姿と、いまのただの大型犬ムーブ。そのギャップに、彼女の思考が追いついていないのがわかる。

 

 カレンさんはジト目でおれとフェデを交互に見る。これ以上ここにいるのはまずい。ボロが出る。  

 おれはカレンさんの肩を貸して、安全な場所まで連れて行こうとするふりをしながら、撤収のタイミングを計った。


「とにかく、怪我の手当てをしないと。ギルドの人たちも探してると思いますよ」

「ええ……そうね。ありがとう。……でも、名前くらい教えてくれない?」

「名乗るほどの者じゃありませんから」

「フード、取ってくれない?」

「肌荒れがひどいんで」

「嘘ばっかり!」


 カレンさんが少し笑った。緊迫した空気が緩む。よかった、どうやら「怪しいけど敵じゃない」という認定はもらえたみたいだ。  

 ……まあ、「異常な力を持つ謎の人物」として完全にマークされたのは間違いないけど。ああ、おれの平穏な冒険者ライフ計画が、音を立てて崩れていく音がする。  

 全部あのオークのせいだ。いや、おれの制御不足のせいか。帰ったら指輪ジャマー・リングの強度を上げてもらおう。グリッドの店主に、もっと強力なやつがないか相談だ。


 おれたちは、青く澄み渡った元・枯れ沼を背に、森を歩き出した。背後で、浄化された水面がキラキラと光っている。  

 これが後に、「グレイウッドの奇跡の泉」なんて呼ばれて観光名所になり、おれがさらに頭を抱えることになるなんて、いまのおれは知る由もなかった――いや、薄々予感はしてたけどな!  


 ちくしょう!



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