表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

16/33

第16話  Aランク冒険者カレン

第2章:隠れS級の日常 はじまりです。

 臭い。いきなりだけど、冒険者ギルドの朝はとにかく臭い。  

 二日酔いのオッサンのうめき声に、床に染みついた安酒の匂い。そこへ男たちの汗臭さが加わって、なんとも言えない「底辺の連帯感」を醸し出してる。  

 ま、俺はこの空気が嫌いじゃないけどね。前世の満員電車――死んだ魚の目をした社畜どもの怨念が煮込まれたあの箱――に比べりゃ、こっちのほうが百倍マシ。肺に優しいし、人間が生きてるって感じがする。


 ……と、思ってたんだけど。


「――腰が入ってないッ! へっぴり腰でオークの棍棒が受け止められるかよ!」


 鼓膜がビリッとした。  

 ギルドの重い扉を開けた瞬間、雷みたいな怒声が飛んできた。  

 なにこれ。空気が違う。いつもの弛緩した空気じゃなくて、もっとこう、火薬庫の真ん中に放り込まれたみたいな緊張感。


(……帰りてぇ)


 俺の『平穏維持本能』が、全力で警報を鳴らしてる。まだ一歩も中に入ってないけど、今すぐ回れ右して宿の布団にダイブしたい。でも、足元のフェデ(見た目は大型犬、中身は最上位霊獣)が「るっきー、はやくごはん代かせごう?」みたいなキラキラした目で見てくるから、帰るに帰れない。くそっ、この食費モンスターめ。


 俺はため息を呑み込んで、恐る恐るロビーを覗き込んだ。  

 ギルドの中央。普段は依頼掲示板の前でダベってる連中が、今日に限ってモーゼの海割りみたいに左右に退避してる。

 

 その真ん中。あー……いるわ。なんか、とんでもないのがいる。


 燃えるような赤髪。バッサリと短く切り揃えられたその髪が、動きに合わせて激しく揺れる。装備は軽装の革鎧だけど、あれ、絶対に安物じゃない。継ぎ目に使われてる金具が鈍く光ってるし、腰に差した長剣からは「いつでも斬れますけど?」みたいな物騒なオーラが漂ってる。


 そして何より――目が、怖い。獲物を品定めする猛禽類みたいな、研ぎ澄まされた光を宿した瞳。


「ひぃッ……す、すみませんんん!」


 彼女の前で尻餅をついているのは、新人とおぼしき若い剣士。涙目でガタガタ震えてる。可哀想に。

 どうやら新人講習の真っ最中らしいけど、あれじゃ講習っていうか公開処刑だろ。


 周りの野次馬たちのヒソヒソ話が聞こえてくる。

「うわぁ、カレンさんだ……」

「朝からおっかねぇな」

「気合入りすぎだって」

 カレン・ブラッドレイ。この辺境ギルドじゃ知らぬ者はいない実力者。  

 二つ名は『紅蓮の剣姫』だっけか。俺みたいな「見かけひ弱なDランク(偽)」が、一番関わっちゃいけない人種だ。野生の勘ならぬ、社畜の勘が全力で「逃げろ」と叫んでる。


「魔物は待ってくれないよ。ビビって足が止まった瞬間、そこがあんたの墓標だ。……立つ!」


 スパルタすぎる。あんな『強さこそ正義!』みたいなタイプに見つかったら、俺のスローライフ計画なんて秒で消し飛ぶ。


「……フェデ。いいか、気配消せよ。空気になれ」


 俺は小声で相棒に指示を出した。  

 フェデも空気を読んだのか、「わふ(了解)」と短く鳴いて、俺の足元にピタリと寄り添う。


 よし、プランAだ。  

 このまま壁際をスススーッと移動して、掲示板の裏に回り込み、一番端っこの薬草採取依頼を剥ぎ取って即撤収する。忍者もびっくりな隠密ムーブを見せてやる。


 俺は呼吸を浅くし、存在感を希薄にするイメージで足を動かした。人混みの隙間を縫うように。誰の視界にも入らないように。雑踏のノイズに紛れるように。

 一歩、二歩。順調だ。誰も俺を見てない。カレンさんは新人の盾の構えを直すのに夢中だ。いける。このままあと五歩で掲示板の陰に――


「――そこの、あんた」


 背筋が凍った。冷水をぶっかけられたみたいに、全身の毛穴がキュッと閉まる。

 いやいや。まさかね。俺じゃないでしょ。だって俺、今めちゃくちゃ影薄かったし。前世で培った「上司の視界から消えるスキル」発動中だったし。


 俺は聞こえないフリをして、もう一歩踏み出した。  

 そのまま出口へ――。


「無視する気? そのデカい犬連れた、黒髪の優男」


(……俺だーーーーッ!!)

 詰んだ。完全にロックオンされてる。優男って誰だよ、俺かよ。俺は油の切れたブリキ人形みたいな動きで、ギギギ……と首を回した。

 そこには、いつの間にか至近距離まで詰め寄ってきてるカレンさんの顔があった。

 近っ。てか、いつ移動した? さっきまでロビーの中央にいたはずなのに、足音ひとつさせずに俺の背後取ったってこと? さすがAランク、伊達じゃないな。


「……あ、あの、何か?」


 俺は精一杯の「気弱な一般人」スマイルを浮かべた。頬が引きつってないか心配だ。声が裏返ったのは演技じゃなくてガチだ。

 カレンさんは腕を組んで、俺のつま先から頭のてっぺんまでをじろじろと値踏みするように観察してくる。  

 品定めするような目。これ、魔道具屋のオッサンがレア素材を見つけた時の目と同じだ。嫌な予感しかしない。


「あんた、名前は?」

「えっと……ルーク、です。Dランクの」

「ルーク……ふーん」


 彼女は鼻を鳴らすと、俺の顔ではなく、足元に視線を落とした。


「妙ね」

「……なにがです?」

「足音が、しなかった」


 心臓がドキンと跳ねる。


「雑踏の中よ? 周りはこんなにうるさいのに、あんたの気配だけ、スポッと抜け落ちたみたいに消えてた」  


 カレンが一歩、距離を詰めてくる。

「甘い顔をしてるけど……足運びが妙に静かね。素人の歩き方じゃない」


(……あ、やっちまった)


 無意識だった。精霊王だった頃の癖というか、前世で染みついた「無駄なエネルギーを使わない」っていう最適化ムーブが、勝手に出ちまってたらしい。  

 霊素の循環を足の裏に集中させて、床板の摩擦係数をゼロにするイメージで動いてたわ。そりゃ音もしないわな。てか、そんな細かいとこ見てんのかよこの人。目が良すぎだろ。


「た、たまたまです! 俺、体重軽いんで! ほら、影が薄いってよく言われるし!」

「へえ。そのデカい剣背負って、体重が軽い?」


 カレンさんの視線が、背中のアストラ(星霊剣)に向く。今はボロボロの布を巻いて隠してるけど、見る人が見れば重心の沈み方で重さがわかるんだろう。  

 実際、アストラは見た目以上に重い。世界樹の枝だし。普通の人間なら持ち上げるだけで腰をやるレベルだ。


「……それに、重心の位置がおかしいわ。あんた、いつ斬りかかられてもかわせる体勢とってるでしょ」

「い、いやいやいや! 買い出し! 今日の夕飯のメニュー考えてただけです!」

「とぼけないで。私の目は誤魔化せないわよ」


 カレンさんが、さらに一歩詰めてくる。圧がすごい。物理的なプレッシャーじゃなくて、こう、強者のオーラみたいなのがビリビリくる。

 

 足元で、フェデが「グルル……」と低く唸り始めた。

(バカ、やめろフェデ!)


 威嚇するな。お前が本気出したら、このギルド半壊するから。  

 ステイ。ハウス。お座り。俺は必死に目で相棒を制止する。頼むから大人しくしててくれ。これ以上目立ちたくないんだ。


 と、その時だった。


「わふぅ〜ん」


 フェデがいきなり唸るのをやめて、猫なで声を出した。あざとい上目遣い。そして、カレンさんのブーツに、あのもふもふの頭をスリスリと擦り付けたのだ。


「……っ!?」


 カレンさんの表情が固まる。鬼教官みたいだった鉄仮面が、一瞬で崩れた。


「な、なによこの子……」

「あ、触ります? 噛まないですよ。人懐っこい奴なんで」


 チャンスだ。俺はすかさず畳み掛けた。猛獣を止めるには、別の猛獣(可愛さ特化)をぶつけるしかない。

「……べ、別に興味なんてないけど……向こうが寄ってきたんだから、仕方ないわね」


 ツンデレかよ。カレンさんは咳払いを一つすると、しゃがみ込んでフェデの頭を撫で始めた。  

 最初は遠慮がちだった手が、フェデの気持ちよさそうな顔を見るうちに、だんだん大胆になっていく。


「ん……いい子ね。筋肉もしっかりしてる。いいもの食べてるわ、この子」

「ええ、まあ。俺の食費を削って……(涙)」

「飼い主の鑑だね。あんた、見かけによらず根性あるじゃない」


 なんか褒められた? カレンさんの雰囲気が少し柔らかくなった気がする。ナイスだフェデ! 

 お前のおかげで助かった! あとで高級骨付き肉(奮発)買ってやるからな!

 カレンさんはひとしきりフェデを堪能すると、満足げに立ち上がった。ふう、と息をついて、再び俺を見る。さっきの殺気立った視線はない。けど、探るような色は消えてなかった。


「……ま、いいわ。今は詮索しないでおいてあげる」


 助かった……のか?


「でも、顔は覚えたから。ルーク、ね」


 彼女はニヤリと肉食獣みたいな笑みを浮かべると、俺の肩をバンと叩いた。  

 痛っ。骨きしんだぞ今。これ絶対、挨拶代わりのボディブローだろ。


「最近、骨のある男が少なくて退屈してたのよ。期待してるわよ、ルーキー」


 そう言い捨てて、カレンさんは踵を返した。  赤い髪がふわりと揺れる。


「新人たち! いつまで休憩してんの! 行くわよ!」  


 再び怒号を飛ばしながら、彼女はギルドの奥へ戻っていった。

 嵐が去った。


「…………はぁ」


 俺は壁に手をついて、深いため息をついた。心臓バクバクだわ。なんなんだあの人。勘が鋭すぎるだろ。


「くぅ〜ん」

 

 フェデが心配そうに俺の足に頭を擦りつけてくる。


「ああ、大丈夫だフェデ。……まだ、バレてない。ギリギリセーフだ」


 そう自分に言い聞かせるけど、嫌な予感しかしない。「覚えとくわ」って言われた時のあの目。

 あれは、面白いオモチャを見つけた時の目だ。


 俺は逃げるようにギルドを出て、グレイウッドの街中へ早足で向かった。キノコ狩りだ。今は無心でキノコを狩りたい。Aランクとか魔王軍とか、そんなのとは無縁の場所へ行きたい。

 空はこんなに青いのに、俺のこれからの冒険者ライフには、黒雲が立ち込めてる気がしてならなかった。

(頼むから、俺のことは忘れてくれ……カレンさん……)


 そんな切実な祈りは、たぶん風の精霊あたりに笑われてるんだろうな。ちくしょう。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ