第14話 ミリアの予知夢
(……帰りてぇ)
ギルドの重い木扉を押し開けた瞬間、俺の脳内を占拠したのはその一言だった。
外は快晴。絶好の冒険日和。小鳥はさえずり、陽光はポカポカ。だというのに、俺の心は土砂降りだ。
理由は単純。昨日の森で聞いた「黒い靄」の噂と、風精霊フィオの『風が泣いています』とかいう不吉すぎる予言のせいだ。
普通なら「よっしゃ、俺が調査してやるぜ!」ってなるのがラノベの主人公なんだろうけど、残念ながら俺は元社畜のDランク冒険者(偽装中)。世界の危機なんて背負い込んだら、せっかく手に入れた「定時で上がれる生活」が崩壊する。
だから俺は決めたんだ。今日はサクッと簡単な採取依頼をこなして、明るいうちに帰って、肉を焼いて寝る。以上。平穏無事な一日を遂行する。それが俺のミッションだ。
「わふぅ(肉食わせろ)」
足元でフェデが俺のブーツを鼻先で突く。こいつは今日も今日とて能天気だ。黄金色の毛並みを揺らして、尻尾をご機嫌に振っている。
その尻尾が、近くにいた強面の冒険者の脛にペシペシ当たってるんだけど、おっさんは「おお、よしよし」ってデレデレな顔で撫でてるし。魔獣一匹で国が傾くレベルの『最上位霊獣』だぞ、そいつ。まあ、平和でいいけどさ。
「さてと……まずは受付だな」
俺はいつものカウンターへ向かう。この時間のギルドは、昼飯時を過ぎてまったりした空気が流れてる。受付嬢のミリアさんも、この時間なら手が空いてるはずだ。
彼女の笑顔に癒やされて、昨日の不穏な空気をリセットしよう。そう思って、俺はカウンターを覗き込んだ。
――え。 いない?
いや、いた。 いるけど……。
「……すぅ……すぅ……」
寝てた。カウンターに書類を広げたまま、突っ伏して爆睡してる。
マジか。あの働き者のミリアさんが?栗色のポニーテールが机の上でさらさらと広がって、長い睫毛が微かに震えてる。無防備すぎるだろ。
まあ、ここ数日は変な噂の対応とか、王都への報告とかで忙しそうだったしな。ギルドマスターも走り回ってるみたいだし、現場の皺寄せは全部この子に来てるんだろう。 (社畜時代の記憶がフラッシュバックして胃が痛い……)
起こすのも悪いか。俺はカウンターの端っこにそっと依頼書を置こうとして――止まった。
「……だめ……」
ミリアさんの口から、小さな寝言が漏れた。仕事の夢か? クレーマーの対応でもしてんのかな。そう思って苦笑いしかけた俺の耳に、続きの言葉が飛び込んできた。
「……背負わないで……そんな、全部……」
「……ひとりで……行かないで……」
ドキッとした。 声色が、あまりにも切実だったからだ。ただの寝言じゃない。まるで、目の前で誰かが死地へ向かうのを引き止めているような、悲痛な響き。
おいおい、どんな悪夢見てんだよ。心配になって、俺は身を乗り出して彼女の顔を覗き込んだ。
その時。俺の左手――魔力制御の指輪を嵌めた指先が、チリッと熱を持った。
(なんだ?)
精霊視を使っているわけじゃないのに、視界が揺らぐ。ミリアさんの身体から、透明な陽炎みたいなものが立ち上っているのが見えた。
霊素? いや、もっと質の違う……『波長』みたいなものか?
足元のフェデが、急に「くぅん……」と低く鳴いて、俺の足に体を寄せてくる。こいつが警戒するってことは、タダ事じゃない。
「……ルーク……さん……?」
心臓が跳ねた。え、俺? なんでそこで俺の名前が出てくんの?
まさか借金の督促とかじゃないよな。「クエストの報告書、字が汚いです!」って怒られる夢とかじゃないよな?
いや、違う。今の声は、もっと……縋るような声だった。
「……っ!」
突然、ミリアさんの体がビクッと跳ねた。ガバッ! と勢いよく顔を上げる。
「はぁっ……はぁっ……!」
荒い呼吸。額にはびっしりと汗が浮かんでる。焦点の定まらない瞳が、虚空を彷徨って――そして、目の前にいる俺を見つけた。
「……あ」
時が止まった気がした。彼女の瞳孔が、カッと見開かれる。幽霊でも見たような、あるいは、死んだと思ってた人間が生きてたのを見たような、そんな目。
「お、おはようミリアさん。……大丈夫か? すげぇうなされてたけど」
俺は努めて明るく声をかけた。動揺を見せちゃいけない。俺はただの、Dランク冒険者。通りすがりの一般人Aだ。でも、ミリアさんは何も言わない。
じっと俺の顔を見つめて、それから視線をゆっくりと下へ――俺の腰、星霊剣アストラの鞘へと落とした。
「……似てる」
「あん?」
「今の……夢に……」
背筋に冷たいものが走る。やめろ。その流れはマズい。俺の『隠蔽』スキルに引っかからない直感とか、一番厄介なやつだぞ。
「へ、へぇー。俺が夢に出演しちゃった? ギャラ請求してもいい?」
軽口で誤魔化そうとする俺を無視して、ミリアさんは震える声で呟いた。
「大きな……樹でした。空まで届きそうなくらい、巨大な樹で」
「……ほう」
「その根元に、男の人が立ってて。……背中に、古びた剣を背負って」
脇汗が止まらない。それ、俺が転生した時の景色そのまんまじゃねーか。
世界樹の根元。俺があのデカい樹と契約させられた場所。 なんで一般人のミリアさんがそんな景色を知ってんの? 情報漏洩ガバガバすぎない?
「その人が……振り返ったんです」
ミリアさんが、カウンター越しに俺の袖をギュッと掴んだ。指先が震えている。
「顔は、光が強すぎて見えませんでした。でも……その人が私に『大丈夫だ』って笑った声が」
「…………」
「今のルークさんの声と……そっくりでした」
詰んだ。いや待て、まだだ。まだ誤魔化せる。声が似てるなんてよくある話だ。
「電話の声が兄貴に似てるね」レベルの誤差だろ。ここで動揺したら負けだ。
俺は必死にポーカーフェイスを維持しつつ(内心では全力で逃走準備をしつつ)、ニカッと笑ってみせた。
「ははっ、そりゃまた壮大な夢だな! 俺みたいな地味な冒険者が、そんなカッコいい場所にいるわけないだろ? ほら、最近疲れてるんだよ。昨日の騒ぎもあったし、冒険者たちの話を聞きすぎて、イメージが混ざっちゃったんじゃない?」
俺の言葉に、ミリアさんはハッとしたように瞬きをした。掴んでいた俺の袖を、パッと離す。
「あ……ご、ごめんなさい! 私、なにを……」
「いいってことよ。夢の話くらい、いくらでも聞くさ」
「すみません……まだ寝ぼけてたみたいです。ルークさんが世界の守護者だなんて、あるわけないですよね~」
「おいおい、そこまでハッキリ言われると傷つくんだけど」
ミリアさんは「あはは」と乾いた笑い声を上げた。いつもの明るい笑顔に戻った……ように見える。
でも。その目が、笑っていない。探るような、確かめるような光が、瞳の奥に宿ったままだ。
(……これ、勘づかれたな)
俺の本能が警鐘を鳴らしてる。
彼女の中に流れるっていう「巫女の血」とかいう設定が、仕事をし始めやがったのか? だとしたら最悪だ。物理的な隠蔽はできても、こういうスピリチュアルな直感は防ぎようがない。
「あの、ルークさん」
「ん、なに?」
「……もし、本当に辛くなったら。いつでも言ってくださいね?」
ドキリとした。ミリアさんは真剣な顔で、俺の目をまっすぐ見つめていた。
「ギルドは、冒険者の味方ですから。……私でよければ、愚痴くらい聞きますから」
その言葉が、妙に胸に刺さった。夢の中で見た「寂しそうな背中」への言葉なのか、それとも、目の前の俺への言葉なのか。
どっちにしろ、ありがた迷惑だ。俺は辛くなんてない。スローライフを満喫してるんだ。余計な心配は無用だっつーの。
「はは、頼りにしてるよ。……じゃ、俺は行くわ。フェデが腹減らしてうるさいし」
「あ、はい! いってらっしゃい!」
俺は逃げるようにカウンターを離れた。背中に、ミリアさんの視線が突き刺さるのを感じる。
ただの見送りじゃない。何かを確信し始めたような、粘度のある視線。
「わふっ(るっきー、脇汗すごいぞ)」
「うっさい。誰の食費のせいだと思ってるんだ」
ギルドを出ると、外はまだ明るかった。でも、俺の気分は夕暮れ時だ。
平和な日常の外堀が、いつの間にか埋められ始めてるような気がする。俺の知らないところで、勝手に「期待」のゲージが溜まってるような、そんな居心地の悪さ。
(……気のせいだ。気のせいに決まってる)
俺は頭を振って、北の森へ向かって歩き出した。だが、左手の指輪が、今日はやけに重く感じる。
空を見上げると、西の方角に薄く雲がかかっていた。
フィオが言ってた「泣いてる風」ってやつが、すぐそこまで来ているのかもしれない。
俺の平穏なスローライフ(偽)に、カウントダウンの鐘が鳴り響いているような――そんな嫌な予感が、どうしても消えてくれなかった。




