第100話 よそ者への視線
空気には重さがある。 ポエムじゃない、物理的に肩に乗る。
今、俺の肩には鉛数キロ分の気まずさが圧し掛かってる。
エルフの都の夜景は、それはもう幻想的で――樹上の回廊に光る苔や花が、淡く、星空みたいに煌めいてる。観光ガイドがあったら絶対「死ぬまでに一度は」ランキングの一位だろう。
でも俺たちが居るのは、その美しい回廊の「外」。屋敷前の広場。地面の上だ。
オスカー副団長が、「護衛対象の家の世話になるわけにはいかん」って野営を選んだ。 ……まあ、エリシアの母親の言葉攻めを食らった後じゃ、針のむしろどころか剣山だし。気持ちは痛いほどわかる。
「……カイン、薪の配置が甘い。風向きを読め。煙が都へ流れたら迷惑になる」
「あ、はいっ! すいません副団長!」
「ノルン、結界石の再確認だ。エルフの術式と干渉しないよう、出力は最低限に」
「ん~了解ですよぉ……ふあ、眠い……」
オスカーの声だけが、冷えた夜の空気に響く。 完璧な指揮官として動いてる。テキパキと指示を出し、森を傷つけないよう細心の注意を払い、礼節も完璧。 なのに、それが全部裏目に出てる気がする。
見上げれば――頭上の枝や回廊から、無数のエルフがこっちを見下ろしてる。 好奇心? いや、違う。 監視だ。庭に迷い込んだドブネズミを見るような、冷たくて消毒液を撒きたがってる目つき。
「人間があんなに鉄を持ち込んで……森が穢れるわ」
「粗野な連中ね。火の熾し方も乱暴だこと」
「王族ですって? 短命種の王なんて、長老より年下でしょうに」
ひそひそ、ひそひそ。 風の精霊フィオの加護がある俺の耳には、陰口が風に乗ってダイレクトに届く。聞きたくもないのに高音質で再生される悪口って、どうなんだよ。
特に、その冷ややかな視線が集中砲火を浴びせてるのがオスカーだ。 エルフからすれば――「穢れた人間が聖域できれいなフリをしてる」ようにしか見えないらしい。滑稽な道化を見る目が、彼の背中に突き刺さる。
俺はフェデの背中に顔を埋めて、現実逃避したかった。 フェデのもふもふだけが、この凍りついた世界に残された良心だ。ほら、「るっきー元気だして」って尻尾をパタパタさせてくれてる。
その時――カサリ、と草を踏む音。 見張りのカインが剣に手をかけようとし、オスカーが制する。
現れたのは、豪奢な法衣を纏った老エルフだった。後ろに数人の供を連れてる。この風格――長老クラスか、高位の神官か。
オスカーがスッと立ち上がり、流れるような動作で騎士の礼をとった。 「夜分に失礼いたします。ガルドリア王国第二王子、オスカー・ヴァルド・ガルドリアンです。森を騒がせていること、お詫び申し上――」
完璧な口上。 しかし、老エルフはオスカーを見もしなかった。 視界に入っていないかのように――素通り。 差し出された手が空を掴む。
老エルフが足を止めたのは、俺の前だった。
「……おお」
老エルフの目が、俺の肩に乗ってるヴァル(炎の子狐)と、宙を泳ぐラグ(水の人魚)に釘付けになる。そして俺の全身から漏れ出る霊素の光を見て、震えるように膝をついた。
「なんという……これほど濃密な精霊の愛し子が、人の世に現れようとは」
「え、あ、いや……」
「精霊たちが歌っております。貴方様が来てくれたことを、森が歓喜している」
老エルフが、深々と頭を下げた。 後ろの供のエルフたちも、一斉に跪く。
最敬礼。王に対するそれよりも深い――信仰に近い礼節。
俺は助けを求めるように視線を巡らせたけど、カインもノルンも「すげぇなルーク……」「さすがですねぇ……」と遠巻きに感心してるだけ。
そして。 数メートル離れた場所で――オスカーが、固まっていた。
彼が王族として必死に積み上げ、守り続けてきた「権威」や「序列」が、ここでは何の意味も持たない。 彼が頭を下げても無視され、俺がただ座ってるだけで崇められる。
残酷な対比。 努力も、血筋も、礼儀も――すべてが「精霊に愛されてるか否か」という理不尽な物差しの前でゴミ屑にされた瞬間だった。
(やめろ、やめてくれ。俺に構うな)
心の中で絶叫した。 この状況、どう考えたって俺がオスカーの神経をヤスリで削ってるようにしか見えないだろ! 冤罪だ! 俺はただ、目立たず静かに干し肉を齧ってたかっただけなのに。
老エルフが恭しく差し出したのは、籠いっぱいの「月の雫」と呼ばれる希少な果実。 「どうぞ、森の恵みを。穢れなき魂にこそ相応しい」 その言葉が、背後にいるオスカーをどれだけ抉るか――この老人には想像もつかないんだろう。
「……ルーク」
低い声がして、俺はビクッと肩を跳ねさせた。 オスカーが、いつもの完璧な所作で立ち上がり、こっちを見てる。 その顔には、一点の曇りもない爽やかな笑みが浮かんでいた。 逆に怖いんだよ、それが。
「頂きなさい。……君が受け入れられているようで、何よりだ。彼らの警戒を解くのも、重要な任務の一つだからな」
「あ、いや、これはその……」
「謙遜するな。動物や精霊に好かれるのも才能だ。……私には、真似できんよ」
最後の一言。 自嘲か? それとも皮肉か? 判断がつかないくらい、彼の声は平坦だった。
オスカーは踵を返し、森の闇の方へと歩き出す。
「見回りに行ってくる。……少し、風に当たりたい」
その時だった。 闇の中から、黄金色の獅子――オスカーの契約霊獣、バルザードが現れたのは。 主人の心の揺らぎを感じ取ったんだろう、心配そうに近寄ってきた。 オスカーも、救いを求めるように手を伸ばす。
「……バル」
自分の誇り。最強の相棒。彼だけは、自分を裏切らない――バルザードの足が、止まった。
視線はオスカーじゃなく、その向こう。果物を前にして尻尾を振ってるフェデに釘付けになってた。
一歩、二歩。 バルザードが後ずさる。 怯えてる? いや、違う。あれは「畏怖」だ。格上の王族を前にした騎士が、道を譲るように。
フェデがチラリとバルザードを見た。ただそれだけで、黄金の獅子は頭を低く垂れ、主人のそばではなく、安全な影の中へと退避してしまった。
伸ばされたオスカーの手が、空を掴む。
「……そうか。お前も、そうなのか」
オスカーの手が、力なく下ろされた。 その背中が、やけに小さく見えた。 完璧な鎧を着込んでるはずなのに、中身が空っぽになりかけてるような――危うい背中。
『……おいルーク。あいつ、中の火が消えかけてるぞ』
肩の上で、ヴァルが不機嫌そうに呟いた。
『無理して燃やそうとしてるが、燃料がねぇ。……焦げ臭い匂いがしやがる』
「焦げ臭い?」
『ああ。プライドってやつが炭になってる匂いだ』
ヴァルの言葉に、俺は息を呑む。 オスカーは振り返らなかった。ただ一人、暗い森の奥へと消えていく。
残された俺の手には、甘い匂いのする果実。 エルフたちが俺に向ける崇拝の眼差しと、闇に消えた王子の孤独。 そのあまりの落差に、俺は果物を握りつぶしそうになった。
(俺に、何ができる?)
精霊王? 世界を救う? 冗談じゃない。俺は、たった一人の上官のプライドさえ、守ってやれないってのに。
あの人は、俺たち新人を守るために、必死で頭を下げて、完璧な指揮官であろうとしていた。
それを、部下である俺が――ただ「そこにいるだけ」で、全部台無しにしちまったんだ。
夜風が、冷たく頬を撫でていった。 その風が運んできたのは、森の奥からの――微かだけど確かな腐臭。 世界が壊れ始めてる匂い。
でも今の俺には、目の前の人間関係が音を立てて壊れていく音のほうが、よっぽど恐ろしく響いていたんだ。




