第99話 エルフの都エルシェリア
針のむしろ、って言葉があるよな。あれは精神的に逃げ場がない状況を指す比喩なんだけどさ。今の俺の状況がまさにそれ。むしろ物理的に針で刺されたほうがまだマシかもしれない。痛いのは一瞬で済むし。
でも今のこれは、真綿で首を絞められながら、同時に極上の羽毛布団で包まれているような、わけのわからない居心地の悪さなんだよ。
結界を抜けてから、森の中を進む道中、エルフたちの視線が痛いほど突き刺さってくる。
ただし、俺とオスカー副団長とでは、その意味合いが百八十度違っていた。
「……人間だ」
「鉄の匂いがする」
「なぜあんな穢れた者たちを入れたの?」
聞こえてくるのは、冷たい拒絶の声ばっかり。
うわあ、アウェイってレベルじゃねえぞこれ。完全によそ者扱い。バイ菌を見るような目だ。特に、先頭を行くオスカー副団長に向けられる視線がキツイ。
彼がガルドリアの王子だってことは伝わってるはずなのに、誰も敬意を払おうとしない。「余計な付属品」を見るような目。
なのに、俺が通ると空気が変わる。
『……あの方か? 結界を開いたというのは』
『精霊たちが、あの方の周りだけすごく騒いでる……』
『お連れの獣、あれはただの犬じゃないわ。高貴な気配がする』
好奇心と畏敬。
あきらかにオスカーに向ける目とは色が違う。俺の周囲にいる六匹の精霊が、ここぞとばかりに光って自己主張してるせいもあるだろうけど、なんかこう、俺だけ「VIP待遇のゲスト」みたいな扱いを受けてるのが肌で分かる。
先頭を行くオスカーの背中が、またピクリと強張った気がした。やめてくれ。俺を褒めるな。いま俺を持ち上げることは、副団長のメンタルを削るヤスリにしかならないんだよ。
「……見えてきたわ」
エリシアの声が、少しだけ弾んだ。
彼女の視線の先、巨木たちが複雑に絡み合うその場所に、信じられない光景が広がっていた。
エルフの都、《エルシェリア》
地面にあるんじゃない。空にあるんだ。樹齢数千年はいってそうな極太の木々、その中腹から上にかけて、白木で作られた優美な回廊が蜘蛛の巣みたいに張り巡らされてる。建物は枝の形をそのまま活かしてて、屋根からは淡い緑色のランプみたいな植物がぶら下がってる。
綺麗とか美しいとか、そういう安っぽい言葉じゃ追いつかない。ファンタジー映画のセットを百倍くらい高画質にして、そこに「数千年分の歴史の重み」を足したような場所。
「うわぁ……すっげぇ……」
隣のカインが口を開けたまま空を見上げてる。ノルンも眠そうな目をこすって、「わぁ、高いですねぇ。落ちたら痛そう」なんて物騒な感想を漏らした。
でも、感動してるのは俺たちだけ。オスカーは、その完璧な美しさが自分たちを拒絶しているように感じているのか、表情ひとつ変えずに馬を降りた。
「……感心している場合か。隊列を乱すな。我々は観光に来たのではない」
氷みたいな声だった。
彼は美しい景色を見ても、眉ひとつ動かさない。心を殺して、「護衛任務」という機能に徹しようとしているのがわかる。
エルフの衛兵が、露骨に槍を交差させて道を塞いだ。
「ここから先は聖域。馬と重装備は外に置け」
「……承知した。武装解除に応じよう」
オスカーは表情一つ変えずに頷き、腰の剣を外して部下に預ける。俺たちにも目で合図を送ってくる。逆らわず礼を尽くせと。
本当にできた人だ。こんなあからさまな差別を受けて、なんで眉ひとつ動かさないでいられるんだよ。
俺ならたぶん、三秒でふてくされてる。
案内されたのは、都の中でもひときわ大きな巨木の中腹にある屋敷だった。螺旋階段みたいに幹に巻きついた木の道を登っていく。手すりには蔦が絡まってて、ランタン代わりの発光苔がぼんやり光ってる。
「ここが、私の家です」
エリシアが立ち止まったのは、大きなテラスのある木の家の前。表札はないけど、入り口に飾られた銀の飾りが、風に揺れてチリンと鳴った。
扉が開く。
中から出てきたのは、エリシアによく似た、でも少しだけ目尻に優しい皺を刻んだ女性だった。銀色の髪を緩くまとめて、神官みたいな白いローブを着てる。
「……エリシア?」
「ただいま、母様」
二人が抱き合う。
感動の再会シーンだ。
俺たち野郎どもは、空気読んで一歩下がって待機……しようとしたんだけど、オスカーだけは違った。彼は一歩前に出て、流れるような動作で膝をついたんだ。
「お初にお目にかかります。ガルドリア王国第二王子、オスカー・ヴァルド・ガルドリアンと申します。ご息女を、無事にお送りいたしました」
完璧な礼儀作法。教科書に載せたいレベルの美しい跪き。
母親――リュミアさんが、驚いたようにオスカーを見た。
そして、ふわりと微笑んだ。
「丁寧にどうも。……人間の王子様が、こんな森の奥まで。娘がお世話になりましたね」
優しい声だ。でも、その目は笑ってなかった。いや、敵意があるわけじゃない。ただ、深い悲しみが沈殿してるような、そんな目。
「母様、彼らは私の仲間です。信頼できる、最高の騎士たちよ」
エリシアが嬉しそうに紹介する。リュミアさんは、オスカー、俺、カイン、ノルンと順番に視線を巡らせて、最後にまたエリシアに戻した。
そして、そっと娘の頬に手を添える。
「……よかったわね、エリシア。立派な『剣』を見つけたのね」
「え?」
「でもね……母さんは、時々思うのよ」
リュミアさんの指が、エリシアの白金の髪を梳く。その仕草は、幼子をあやすみたいに慈愛に満ちていて、だからこそ残酷だった。
「あなたが、ただの弓の上手な女の子でいてくれたら、どんなに良かったかって」
空気が凍った気がした。
エリシアの笑顔が固まる。
「世界を守るなんて、そんな大きなこと……あの子(世界樹)の我儘に、どうして私の大事な娘が付き合わなきゃいけないのかしらね」
静かな、でも底冷えするような声。それは、世界樹教会が聞いたら卒倒しそうな異端の言葉だった。
でも、母親としちゃあ、これ以上ない本音なんだろうな。
「光の加護だなんて……そんなもの、あなたから『普通』を奪った呪いでしかないのに」
リュミアさんの瞳から、一雫、涙が落ちた。エリシアは何も言えずに、ただ立ち尽くしてる。
俺は、ちらりとオスカーを見た。彼は、まだ膝をついたままだ。頭を下げて表情は見えない。でも、その背中から感情が漏れ出しているのがわかった。
(呪い、か……)
オスカーにとって、喉から手が出るほど欲しかった「選ばれる」という特別。それを、この母親は「呪い」だと切り捨てた。
持たざる者が焦がれる光を、持つ者の親は嘆いている。この理不尽な温度差。
「……お母様。それは、言い過ぎでは」
オスカーが、絞り出すような声で言った。顔を上げる。その表情は、笑っていた。完璧に、張り付いたような笑顔で。
「勇者殿は、世界の希望です。誰にでも背負えるものではない。それは、誇るべき運命でしょう」
「……そうね。人間の物差しでは、そうなのでしょうね」
リュミアさんは、ふっと寂しげに笑って、オスカーから視線を外した。まるで、何もわかっていない子供を諭すみたいに。
そして、彼女の視線が、オスカーを通り過ぎて、俺のところで止まった。
ふと彼女の瞳が揺れる。
「……貴方は?」
「あ、えっと……新人のルーカス・ヴァレリオです。ただの荷物持ちっす、ルークと呼んでください。」
俺は慌てて頭を下げる。リュミアさんは、不思議そうに俺とフェデ、そして俺の周りの空間をじっと見つめた。
「……不思議ね。貴方からは、森の匂いがするわ。……とても古くて、懐かしい匂いが」
精霊王の霊素か。隠しきれてないのかよ、このダダ漏れボディ!
周りのエルフたちがまたざわつく。
「彼には精霊が視えるのか?」
「いや、彼自身が……」
オスカーが、顔を伏せた。拳が白くなるほど握りしめられているのが見えた。
なんで俺なんだ。 なんで、王族の彼じゃなくて、どこの馬の骨とも知れない俺が、こうも簡単に「内側」に受け入れられそうになってるんだ。
不条理だろ。俺だってそう思うよ。努力が報われる世界であってくれよ、頼むから。
「……ルーカス殿。エリシアを、よろしくお願いしますね」
リュミアさんが、俺の手をぎゅっと握った。その手は震えていた。
「あの子は……強いふりをしているだけなんです。どうか、あの子が折れてしまわないように……」
それは、母親としての悲痛な叫びだった。勇者なんて大層なものじゃなく、ただの娘として幸せになってほしいという、当たり前の願い。
でも、その願いを託されたのは、完璧な騎士様であるオスカーじゃなくて、得体の知れない俺だった。
俺は、なんて答えていいかわからなくて、曖昧に頷くことしかできなかった。
背中に刺さるオスカーの視線が、物理的な熱を持って俺を焼いている気がした。
「……部屋を用意させてあります。旅の疲れを癒してください」
リュミアさんの言葉で、ようやく解放される。
案内された客間へと向かう廊下で、俺はオスカーと並んだ。
声をかけるべきか? 「ドンマイです」なんて言ったら斬り殺されるだろうし、「気にしないでください」も上から目線すぎる。
結局、俺は何も言えなかった。
「……ルーク」
不意に、小声で呼ばれた。隣に立つ彼の横顔は、彫像みたいに冷え切っていた。
「今夜は、ここで野営だ」
「え? 屋敷に部屋を用意してくれるんじゃ……」
「断る。……我々はあくまで護衛任務中だ。有事に備え、外で詰めるのが筋だろう」
嘘だ。本当は、この屋敷の空気に耐えられないだけだ。歓迎されていない自分。特別扱いされる俺。そして、母親に心配される「か弱い少女」に戻ってしまった勇者。
その輪の中に、プライドの高い彼が居座れるはずがない。
「……了解しました。俺も、フェデと一緒に外で寝ます」
「勝手にしろ」
オスカーは短く答えて踵を返した。
窓の外では、陽が落ちかけている。美しいエルフの都。光る苔。幻想的な風景。
でも、これから来る夜が、ちっとも穏やかなものにならないってことだけは、俺の本能がガンガン警鐘を鳴らしていた。
足元でフェデが不安そうに「くぅ……」と小さく鳴いた。俺はそっと、その頭を撫でてやるしかなかった。




