コミュニケーション能力の回復
第1部 第2章 『立ち直り』
第6話 『コミュニケーション能力の回復』
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母が最低限のラインだけは維持してくれていたため、学力が底辺の生徒と、俺のようなガチの不登校が集まっていた私立高校に進学できた。
電車とバスをそれぞれ1時間ずつ乗り継いで、片道2時間かけて辿り着く。同じ出身校の人間がいないような場所だ。
それでも、その高校は商業系で、Microsoft Office系の資格や、簡単な簿記、電卓系の民間資格が取れるようなところだった。
「誰とも話さなくていい。友達なんて要らない。俺は資格を取りに行くんだ」
そう母に言って初登校したのを今でも覚えている。
とはいえ、世の中そうそう本人の思惑どおりに事が運ぶわけもなく。
当初の思惑とは全然違う方向へ進んでいくこととなる――。
――2012年4月9日。今日は入学式だ。
入学式ということもあり、両親と一緒に車で行った。
理事長の長々とした恒例のあいさつの中で印象に残った言葉は、「全員ここから0スタートです」という言葉だった。
要するに、基本五科目(国語、数学、理科、社会、英語)を捨てて、新しく全員0地点から商業系の勉強をスタートしよう、ということである。
社会に出てしまえば、基本五科目など、よほど素晴らしい仕事に就く人以外には縁がない。それよりは実務的なものを身につけさせた方がいい、というのは理にかなっていると思う。
幸い俺も、商業系の勉強内容に苦手意識は持たなかった。
そして一晩が経ち、初登校の朝がやってきた。
中学校が公立なのにブレザーで、またもやブレザーだったので少しショックだった。学ランが着てみたかったからだ。
電車もバスも数回しか乗ったことがなかったので少し心配していた。だが電車自体は乗り換えもなければ、バスも学校への直通なので、何も難しいことはない。
幸い窓側の席に座ることができ、学校までずっと窓の外を見ていた。
電車は田舎の山と田んぼの中を走り、主要駅に着く。
主要駅は、よくある「駅周辺だけが少し都市開発されていて、背の高い建物が少しある」程度の場所だ。
そこからバスに乗り換えて、徐々に大きな建物はなくなり、今度は平原と畑だ。
「なんにもないところだな」
そんなことを思っていると、田畑の中にひときわ大きく、まるで田舎の景観を台無しにするかのように、4階建ての無骨に角ばった建築物が目に入る。
「目立つな……」
昇降口の前に大きな階段があり、昇降口は2階だった。そこから1階上がって3階が1年生の階だ。
南側に廊下があり、廊下の両端には鏡があるという、なんとも奇妙な構図の校舎だった。
教室に入ってすぐにHRだ。
まずは教師の自己紹介。
「はーい、おはよう。産休の小林先生の代理で教師をする竹本です。多分今年1年は俺が担任を担当すると思います! えっと、俺は“無理はさせないけど、サボりは見逃さない”主義。遅刻の言い訳は面白ければ1回は聞く。2回目からは笑わない。そんな感じです! よろしくお願いします!」
非常勤講師で、産休の先生の代理だったらしい。30代前半で顔が整っており、その話し方からもややチャラめに見える。
「副担任の鈴木です。担当は国語。三つだけ覚えてください。提出は期限、欠席は連絡、困難は相談。以上。よろしくお願いします」
教師1年目か2年目で副担任をしていた。20代半ばで、言動以前に顔つきからして融通の利かない超真面目なタイプだ。が、「相談」という単語を入れてくるあたり、しっかりと情のある人物なのだろう。
その後、竹本が諸注意をあらかた話したところで、今度は近くの人との自己紹介に移った。
まず前の席のやつからだ。振り向くなり、彼は気さくに軽い口調で話しはじめた。
「俺、田村! サッカーが好き! 中学はずっとサッカーやってました。勉強はちょっと苦手なんですけど、まあ楽しくやれたらいいなと思ってます。よろしくね……!」
ちょうどいい具合に気さくな奴で、少し頭は悪そうだったが、悪いやつではなさそうだ。
「俺はユキ。水泳が得意だよ。サッカーは全然分からないかな。俺も勉強はあんまり。こちらこそよろしくね」
次は後ろの席だ。
「俺、山下。俺サッカーとか野球めっちゃ詳しいよ!(笑) お前スポーツとか興味あんの?(笑)」
初対面の奴にお前呼ばわりするとは……。少し偉そうで鼻につく話し方をするやつだな。
「俺はユキ。サッカーも野球も全然分からないかな。一応、水泳は得意だけど」
「水泳? いいじゃん! 俺全然泳げないけど、水泳嫌いじゃねーよ!(笑) でも、この学校、確か水泳の授業ないのが残念だよなー」
なるほど。話し方はともかく、悪人というわけではなさそうだ。
次は左隣の席だ。
「アタシ佐藤! よろしく! あー! おなかすいた!! カレーうどん食べたい!!」
見た目は悪くないのに、女を捨てているというか、なんというか。
「俺はユキ。よろしくお願いします。カレーうどんが好きなの?」
「いや、気分www」
でもまあ、サバサバしていて嫌な感じはしないな。
最後は右隣の席。
「私は矢野です。私は勉強あまり得意じゃないけど、よろしくお願いします」
背が低くておとなしそうな、『THE 女の子』って感じだ。俺が話すタイプの人間ではないな。
「俺はユキです。俺も勉強得意じゃないです。よろしくお願いいたします」
話すなら前と隣か。
2×3=計6列の並びで、普段俺の隣の席となるのは左の佐藤だった。
とりあえず自己紹介はなんとかこなせたが、同級生と話すのはかなり久しぶりだと気づいた。
「なんにせよ、俺には関係ない。別に友達を作るために学校へ行くわけじゃない……」
そう一人つぶやきながら眠りにつくも、俺の頭には『カレーうどん』が妙に印象に残っていた。
そこから2〜3日。俺はなぜか佐藤さんにしきりに絡まれ続けた。
授業中もしきりに話しかけられたり、話しているときに俺が相手の顔を見られていないことを見抜いたのか、「目を見つめてみろ」と睨めっこさせられたりもした。
普通に恥ずかしくて、見ていられるわけがない。
が、俺は超現実主義者で、自分のことをジャガイモフェイスだと自覚している。
言うまでもなく、間違っても思い上がった気持ちはない。
それに色々あった後だ。
ネットでは相手がちゃんとした社会人であり、顔も本名も知らない。現実に干渉されることがないから平気だった。
でも、コイツは違う。いつ掌を返されるか分からない。信用などしないに越したことはない。
そんなこんなで1週間目が終わった。佐藤さんに鬼のように絡まれた結果、当初友達など要らないと思っていた俺も、少しずつ心を開くようになっていった。
だが、最初の壁にぶち当たる。
ネトフレの大人とはたくさん話していた。常に遥か年下の俺に気を使ってくれる大人たちだ。
しかし、同級生や同世代とは全然話していない。現実世界でのコミュニケーション能力が著しく低下していたのだ。
不登校になるまでは無意識にやっていたこと。無意識を意識的に取り戻すのは意外と難しい。
俺は『朝、友達に何て声をかけたらいいのか?』そのレベルから分からなくなっていた。
具体的には「おはよう!」「やあ!」「よっ!」「うっす!」どういった第一声が友達として普通だったのか? そういった部分が分からなくなっていた。
そして、それを土日休みの間にネトフレのおっちゃん達に相談した。
結論は「そんなの何でもいいんだよ。相手は大して気にしてないから。でも、どうしても気になってしまうんなら、とりあえず相手の真似しとけばいいんだよ!」
「こっちから先に声をかける時はどうするの?」
「適当に手かなんか挙げたり、おとなしそうなやつには軽く会釈するとか。それで相手の出方を見てから真似すればいいんだよ!」
「まあ、挨拶間違えて友達じゃなくなったり、嫌われたりするわけじゃないんだから、もっと気楽にやってみろ」
「とにかく沢山コミュニケーション取って、経験値を蓄えることだな!」
「うーん……。わかった」
つまり、目には目を歯には歯を――あるいはオウム返しをしろ、ということだ。
「それとな。一つ覚えておいてほしいことがある」
「俺らが言ってるのは、ユキに対して何の責任もない大人の言葉なんだ。だから思ったことを何のためらいもなく言える。逆にユキの両親は責任があるからこそ、何でも言えないこともあるし。親の意見を素直に聞けなくても、賛同できなくても、それはユキに対しての責任を自覚しているからだ」
「それを理解してほしい。そして俺らの無責任な発言を全部受け入れる必要はない」
「要するに、何でもかんでも言うとおりにする必要はないし、そうあるべきではない」
「勘違いするなよ? 相談に乗るのが面倒って言ってるわけじゃない。自分で必要な情報と不必要な情報をしっかり判断して、必要な情報だけを取り入れて実践しろ、って言ってるんだ」
「俺らはユキに対して善意で相談に乗ってる。でも、世の中そんな大人なんてほとんどいない。口ではこう言っていても、直接姿が見えてないのをいいことに、俺が今全裸でエロいことをしていない、という保証はないだろう? そういう趣味のおっさんだっているんだから」
「そのくらい、世の中変な奴や悪いやつは沢山いる」
「だから、相談することは大事だ。だが、自分のやり方に合う合わないも含めて、ちゃんと自分で判断してから取り入れろ」
「わかった。ありがとう」
大人達は1年くらいの間、頻繁に相談に乗ってくれていた。自分達だって仕事や家庭があるのに、俺のために徹夜で仕事に行くこともまああった。
おっちゃん達はああやって言っていたが、責任がないからこその意見は逆に貴重だと感じた。忖度がないからこそ、より真実に近づけるのだから……。
一方学校では、佐藤さんへの警戒心を高める俺の内心とは裏腹に、佐藤さんの無邪気そうな絡みはエスカレートしていった。
眼鏡を奪われたり、ネクタイを取られてリボンをつけられたり……。
こんな不細工でぶっきらぼうな俺をからかって、一体何が面白いのやら……。
どう見ても「不登校だった」というタイプではない佐藤さんは、当初、授業を真面目に受けるのが嫌で俺で暇つぶしをしてるのかと思ったが、そういうわけでもないようだ。
結局その警戒心も、さらに1週間程度で佐藤さんの過剰な絡みに押し負けてしまい、徐々に話し始めることとなる……。
ある意味、超天邪鬼な俺に過剰に絡んできたことで、変に警戒心を緩めてしまったのかもしれない。
まあ、もっと素直に言えば、どういう意図であれ自分に興味を持ってもらえているのは純粋に嬉しかったのだ。
なぜなら、異性同性問わず、そんな積極的に話しかけられた経験がなかったからだ。
過去、いつも俺の方から話しかけていた。
電話番号やメアドを聞かれて非常に躊躇したが、『前と同じ轍を踏まなければいいのである』と、一瞬我に返り、やや冷静に、警戒しつつも連絡先を教えた。
今度は繰り返さない……。
念のため再度明言しておくが、間違っても思い上がった気持ちはない。
――とはいっても、結局私も年頃の男であったこと。そして彼女と会話することが比較的楽だった。
同性より異性と話した方が有意義と感じるのは、生物として当たり前のことだ、という気持ちももちろん多少はあった。
だが、それ以上に、恐らく彼女は「初めて対等に話せた同級生」だったのだと思う。
ただ実際は、やはり中学時代の出来事によるブレーキの方が遥かに大きかった――。
俺は高校生デビューでスマホを買ってもらった。かの有名なスティーブ・ジョブズが最後にプレゼンしたスマホ、iPhone 4sだ。
しかし佐藤さんは中学からガラケーを使っていたので、メールや「暇電に付き合えー」と電話を度々していた。
――初めて同級生にメールを送って「長文過ぎるww」と笑われたことを今でも覚えている――
そうこうしているうちに、さらに1週間が経過した。
5月頭の1週間休暇、すなわちゴールデンウィークを目前に、学校でプチ遠足に行くことになった。どこか近くの水族館だったと思う。
前日の晩、佐藤さんとメールをしていて、佐藤さんはなんだかいつもより少し嬉しそうだった。
それがトリガーになってしまったのか、俺も変に楽しみにしてしまった結果……。
「俺は明日行かない」
と、俺の悪癖である天邪鬼がフル発揮されてしまった。
「え? なんで?」と、佐藤さんは当然驚いた反応を示した。
「行こうよ! 楽しそうじゃん!」
「絶対来なよ!」
と、何度も誘ってくれたのだが……。
見事に全て断ってしまった。
律儀に当日の朝まで連絡してくれたが、それでも俺は頑として動けなかった。
――敢えて言わせてください。
いや、マジで馬鹿だろお前。100回くらい反省してこい。
まあ、当時の心境としては、天邪鬼もさることながら、嬉しいと思えることには何か裏があるような気がしていた。
もしかしたら、何かとんでもない不幸が舞い降りるのではないか?
何か騙されているのではないのか?
そして、自分が「嬉しい」「幸せ」に思えることを選択しようとしていることへの罪悪感。
簡潔に言うと、幸せを求めることが、罠や罪のように非常に強く感じていたのだ。
正直今でも、それはたまにある――
そして、その日の晩。さらに俺に追い打ちがかかる。
端田というクラスメイトの男がLINEで電話をかけてきた。クラスのグループから俺の連絡先を探し出してきたらしい。
てっきり休んだことへの心配かと思ったら、「佐藤さんと付き合った」と自慢してきたのだ。
プロフィールには二人のツーショット。
ストレートにショックだった。突然の出来事過ぎて驚いた。普通に傷ついた……。
≪お前は一体、何を浮かれたことを考えているんだ? あの出来事から1年半も経っていないんだぞ? あの苦しみを忘れたのか? お前は友達なんて必要ないと言っただろう。ちょうど良い機会じゃないか。今からでも遅くない。自分を律するべきだ≫
「……」
「これでよかったんだ。遠足に行かなかったのだって、結果から見れば正しかったんだ」
「明日からちょうどゴールデンウィーク。1週間空けば距離も離せるだろう」
だが、彼氏ができたというのに、休み中も普通にメールや電話が来た。
そして、どういう理由なのか分からないが、恋人になったというのが端田の勘違いだったのか、あるいは別に何かあったのか。理由は分からないが、1週間程度で別れてしまった。
正直に言おう。嬉しかった……(笑)
というか、安心した、という方が近いだろうか。
単純な嫉妬とは、また少し違う。好きな人が誘拐未遂をされたというより、自分に慕っている姉がいたとして、その姉が誘拐未遂されて無事に帰ってきてくれた――そのような安堵感があった。
つまり、単純に異性として好き、というのとは少し違うのだろう。多分。
――結局そういった出来事から、私は彼女に懐いてしまったようで、半年くらいはほとんど佐藤さんに割とべったりな状態だったと思う。
佐藤さんはコミュニケーション能力が著しく低下している私に、何度かすれ違ったりやらかしたことがあったが、それでもめげることなく関わりを持ち続けてくれた。
それは本当に心の底から感謝している。当時の私はただ一生懸命なアホウだったが、あの時佐藤さんがあのレベルで絡んでくれていなければ、今の私の人格は全然違うものとなっていたと思うし、それを考えるのは悍ましい。
ただ、そんな意外にも青春を謳歌している表向きとは裏腹に、毎日往復4時間の移動+コミュニケーション能力を取り戻しつつ、授業も頑張る、というのは、1年半引きこもった私にとって精神的にも身体的にもかなりの負担であった。結果、週1回、2回と徐々に休むようになっていった――
そして半年が過ぎた頃。
何度か佐藤さんと衝突したりしつつも、自分がコミュニケーションで困っていることを軽く相談できる程度の関係にはなっていた。
「俺、実は色々あってコミュ力が下がってて、元々不器用だったけど、今、人との距離感が全然分からないんだよね」
「相手を怒らせたり、嫌われたり、引かれたり。そういうラインが全然分からないんだ」
「ネトフレの大人に相談して、とりあえず片っ端から話しまくれ、って感じになったけど、なかなか勇気が出なくて……」
「まあ、よく分からないけど、とりあえずいろんな人と話して、沢山喧嘩とかしてみたらいいんじゃない? そうすれば、どこまでが良くて、どこまでが悪いのか分かるようになるでしょ! 喧嘩したら謝っときゃ、なんとかなるでしょ!」
佐藤さんのおかげでだいぶ明るくなれていた俺は、その助言を基に交友関係を広げることを目指した。
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次回! 第1部 第2章 第7話
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