孤立と人間不信
第1部 第1章 第4話 『孤立と人間不信』
―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
1年と3ヶ月。
私は家に引きこもっていた。
今回は、その期間の話だ。
メールの事件が起きた直後、事実確認もせずに、母親はテレビのコードをハサミで切ってしまった。
テレビゲームができなくなっていた。
それまで、活字を読むということをほとんどしてこなかった私。
小さい頃からアニメは見ても漫画は読まず、中古の漫画本を何冊か買ってもらいはしたものの、長くは続かなかった。
漫画が読めないのだから、小説など到底読めるはずもなく。
そんな私が現在、小説――もとい自伝――を書いているとは、何とも不思議なものだ。
携帯ゲーム機――すなわちDSやPSPも持っていたのだが、すでに遊び尽くしており、私は現実逃避する手段もなくなってしまった。
とはいえ、まだ現実に目を向けることはできなかった。
不登校になってから1ヶ月が経過していたため、「インターネットに接続しない」ということを条件に、お年玉でテレビを買った。
幸い、家にはたくさんのゲーム機があった。
セガサターン、スーパーファミコン、PS2、ゲームキューブ、Wii、PS3。ゲームソフトもたくさん。
まさに、よりどりみどりだ。
そこから数か月間は、真剣に、命がけでレトロゲーム機に取り組んでいた。
指が折れるまで! 指が折れるまで!!!
……。
ちなみに、我が家のセガサターンはグレーであった。
プレイするゲームのジャンルは、ほのぼの農耕ゲームから暴力的なゲームまで、ジャンルはさまざまだ。
音ゲー・格ゲー・ホラーゲームはほとんどプレイしたことがない。ものすごく下手である。
個人的に好きなゲームTOP3は、MOTHER2、The Elder Scrolls V: Skyrim、METAL GEAR SOLID 4。
基本、一度プレイしたゲームは周回しないのだが、この三作品だけは、何度周回したか分からない。
Skyrimに至っては今でもVRで時々遊んでおり、PS3、LE、SE(AE)、VRと、4本も買っているほどである。
少し話が逸れるが、そういう意味でも同級生と会話がかみ合わなかった。やっているゲームが違いすぎたのだ。
カードゲームが流行った世代であり、物心ついた頃からサターンやSFCで遊んでいた私には、「紙切れを使って妄想で対戦する」というのが理解できなかった。
そのため、10歳くらいまでは、周りが遊戯王&ポケモン&ガッシュベル、という感じだったのに対して、私は先ほど挙げたようなゲーム機や、90年代のアニメばかり見ていた。
その後も、MHP2G、スマブラX。そのくらいは共通していたのだが、基本的にシリーズゲームもアニメも、シリーズナンバーがずれていたのだ。
「同級生→自分」で表すと……ゲームは、スマブラX→スマブラDX/DQⅧ→DQⅤ(SFC)/FFⅫ→FFⅦ/テイルズ シンフォニア→アビス/BF4→BFBC2/GTAⅤ→GTA SA・Ⅳ。
インターネット界隈も同様で、ボカロ→東方MAD・音MADと、世代がずれている。(ボカロは出てきた当初、既存楽曲をボカロに歌わせている動画が大量発生しており、原曲を調べたい私のような人間にとっては非常に検索の邪魔で、マイナスな印象がついてしまっていた。)
その中で、唯一忘れられない黒歴史が一つある。
ネトフレの勧めにより、1〜2年遅れでCLANNADを見た私は、あの当時の変なノリに染まっていた。
中学1年生か2年生かは忘れたが、自己紹介の紙の『好きな物』の欄に、何を血迷ったか「それと便座カバー」と書いたことだ。
が、もちろん誰ひとりとしてそのネタを理解する者などいるはずもなく、ただの変な奴、という黒歴史を生産しただけだった。
ちなみに、この『黒歴史』という言葉も、もちろん初めて聞いた時、すぐに∀だと分かった。
ついオタク話に花を咲かせてしまったが、その間、現実世界はどうだったかというと……。
相変わらず、2〜3週間に一度来る精神保健福祉士とは、あまり話さなかった。
代わりに、宿泊型自立訓練・生活訓練・生活介護・短期入所・地域活動センターという、精神疾患を抱えている人たちが共同生活をしながら軽い仕事やコミュニケーションをとり、徐々に社会復帰を目指す、リハビリ施設のような所へ、1〜2泊することになった。
そこには、2〜3回くらい行った。
子供は、軽度の知的障害の子がいたが、基本は大人だ。
本当の――という言い方をした方がいいのか、重度という言い方をした方がいいのか分からないが、昨今ソーシャルメディア上で頻繁に見かける、元気そうな「鬱」ではなく、本当に心が折れている人たちや、下手をすると発作を起こしたり、目を離すと本気で命を絶とうとしてしまう人たちだった。
そこで初めて、「精神の病」というのはこういうものなのか、と理解した。
幸いなことに、まだ私は、そこまでには至ってはいなかった。
ただ、私は年上と話し慣れており、中学に入ってPS3を買ってもらってからは、ネット上で親世代の人たちとたくさん話していたこともあって、いろんな人生談を聞かせてもらった。
話したことの詳しい内容は忘れてしまったが、不登校になって初めて「完全に無関係な人と話す」ということを経験し、それが自分にとってストレスフリーなことだと気づいた。
うまく表現できないが、ストレスが解消されるというのとは少し違う。
ただ、人と話すことが好きだった私にとっては、完全に無関係な人と話すことで、変に警戒することもなく、ゲームで現実逃避しながらも、時折現実に引き戻され、罪悪感や焦りにさいなまれる――そういった感覚から、一時的に離れることができていた、ということだ。
ゲームは完全に現実逃避の手段であり、自分でもそれを認識していた。
しかし、人と話すことで、ほんの少しでもいい方向に向かって何かを努力しているような気分になれた。
思い出補正も入っており、実際はそこまでではなかったのかもしれないが、そのきっかけは、確かにその環境でつかんだものだった。
とはいえ、相手も自分以上に傷心しており、機械系に強い人も少なかったこともあって、少なくともそこが自分の居場所だとは感じなかった。
心療内科も最初は数回行ったものの、だんだんと母親だけが行くようになっていった。
最初に発達障害のテストもしたが、特に判定はなく、薬も飲むのを渋っていた。
精神安定剤を飲んだところで、それはゲームと同じ、その場しのぎの現実逃避でしかなく、自分はそれでは解決しないと、14歳の子供であったにもかかわらず理解していたため、先ほどの施設の利用者の会話にも出てきていた副作用のことも気になり、「薬はリスクの方が大きい」と判断して、飲まなかった。
日本では3月終わり・4月始まりで、6月・11月・2月に期末テストがあったが、一応、試験だけは受けていた。
今どき中卒では働けないからな……。
まだ不登校から半年程度ということもあり、学年で真ん中やや下程度の順位だった。
みなまで言うつもりはないが、当時は非常に驚いた。
そんなこんなで不登校から約半年が過ぎ、2011年の夏になった。
そして7月頃。
ゲーム機をネットに接続してもらった。
何かしらの条件があったとは思うが、忘れてしまった。
期末テストを受けろ、とか、そういう条件だったのかもしれない。
とはいえ、ここから少しずつ前進していくこととなる。
最初は、ただオンラインゲームを久々にプレイして喜んでいたが、そんなものは数日で終わり、半年前に話していたネットフレンド――ネトフレ――と会話を再開させていった。
何度も話している通り、私は幼少期から年上ばかりと話しており、小学校5年生、6年生の時は、2歳上の子がいなくなってしまったので同級生と話していたが、中学に入ってPS3を買ってもらうと、PS HOMEに入り浸り、チャットばかりをしていた。
フレンドは基本、親世代(約20歳差)が多く、一番若くて5歳上、大抵は10歳上などであった。
中にはフレンド登録を解除されてしまっていたりもしていたが、事情を軽く話して、再び話すようになった。
相手も今の私より年齢が高い大人であり、なにより人間性が非常に良い人たちばかりであったこともあり、理想的な大人の対応をしてくれた。
軽く話を聞いて、軽く慰めて、たくさん遊んでくれた。
本当に“軽く”の慰めだ。
あれこれ自論や経験談や正論や現実論やアドバイスを並べ立てるのではない。
『大変だったんだな。そいつら本当に嫌なやつらだな!! まあ、人生いろいろあるし、そんなに心配しなくても、まだガキンチョなんだからなんとかなるさ! 今は忘れて一緒にゲームでもして遊ぼうや。』
本当にその程度の言葉だった。
一見冷たく感じるかもしれないが、実質詰んでいる現実を突きつけることはせず、かといって、あんなふうに傷心しているガキの相手なんて面倒くさかっただろうに放置もせず、楽しく遊んでくれた。
もとい、構ってくれていたのだ。
複数のグループの複数の大人と話していたが、再会から1〜2週間が経ったころ、ほぼ同時に、次の段階へ移った。
そう。
半年間止まっていた、私の「時」が。
ようやく動き出す。
―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
次回!第1部 第1章 第5話
『ネトフレの大人達に支えられて』 DON'T MISS IT!!!




