ささやかで幸せだった人生の終わり
第1部 第1章 第3話 『ささやかで幸せだった人生の終わり』
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「……。」
ふと、意識が現実に戻ると、黙っていた僕に、母は状況を説明し、問いただしていた。
一言で要約すると、「僕は同級生の女子生徒へ卑猥な画像をメールで送りつけていた」ということらしい。
そして、女子生徒が24歳で2年目の若手教師・佐藤にそのことを相談したことで、事が発覚したのだということだった。
「道理で……。
最近、同級生の接し方がおかしかったわけだ……。」
僕は頭の中で、最近自分が感じていた学校での違和感を思い出していた。
直近1週間前後のことだ。
誰に話しかけても、返事がそっけない。
会話は2、3言で終わらされてしまい、皆どこか気まずそうに離れていく。
廊下を歩いていると、妙に視線を感じた。
漠然と違和感を感じてはいたものの、心当たりが全くない僕は、気のせいだと思っていた……。
そして、「メール」と言われて、一つの心当たりがあった。
母が学校から連絡を受ける数週間前のことだ。
始まりは、クラスメイトの坂口――。
それも、ほとんど関わりのなかった男子からの声かけだった。
「ちょっとユキ君に頼みごとあるんだけどさ……。
俺、今ちょっと川崎と喧嘩しちゃって、仲直りしたいんだけど、俺がメール送っても読んでくれないんだよね。だから、ユキ君経由で送ってほしいんだ。」
軽い調子で話しかけてきた坂口は、続けて一枚のメモを渡しながらこう言った。
「俺がユキ君にメール送るから、そのうち、内容をそのままこのメアドに送ってほしいんだ。」
「別にいいよ。」
――当時の私は、まだ警戒心というものを持っていなかった。
決して坂口と仲が良かったわけではないのだが、お人好しでもあった私は、誰かに頼られることが単純に嬉しかった。
そのような浅い思考で、深く考えず、「メールをコピーして別のアドレスに送る」。
『それだけのこと』だと思い、あっさりと引き受けてしまった――。
そして、さっそくその日の夕方、坂口からメールが届いた。
文面は、特に読んではいなかった。
僕は変なところで律儀で、プライバシーの侵害だと感じたからだ。
心当たりはこれしかない……。
メールは数人とやり取りしていたが、どれも年上ばかりで、同級生とのメールはこれだけだ。
怒りでも悲しみでもない。
ただひたすら『焦り』に近い、ぐちゃぐちゃになった感情に、僕は飲み込まれていた。
気が動転する中、なんとか思考を巡らせた。
頭の中で、我が身に降りかかった事態を少しずつ把握し、整理し、母に説明した。
誰に頼まれて送ったのか、どうして送ったのか。
自分は、相手が桃香という女子生徒だとは認識しておらず、坂口が仲直りのために川崎へメールを送る手伝いをしていただけだと説明した。
それに、僕は桃香とはほとんど会話したことがなく、名字も覚えていないほどだ。
しかし、母はトラブル続きだった僕を完全に信用することができなかったことや、冷静さを欠いていたこともあり、その場で僕はすべてを把握しきれないままに、桃香に謝罪の電話をさせられてしまった。
まず母が、桃香とその父親に謝罪をした。
桃香のほうは、普通に返事をしただけだったそうだ。
父親のほうも「こんなのは大したことじゃない。うちは大丈夫だ」といった反応だったそうで、「菓子折りを持って謝罪させに行かせてください」という母の申し出も、「そこまでしなくていい」と断ったそうだ。
続いて、僕も謝罪をした。
心の中では「なんで僕が謝らなきゃいけないんだ」と思いつつも、
「なんかいろいろ、ごめんなさい。」
と、煮え切らない具合で謝罪した。
それに対して桃香は、
「うん。いいよ。」
と、意外にもそのやりとりはあっさりしていた。
電話が終わり、相手方の反応を聞いた僕は、少し安堵した。
「また冤罪をかけられてしまったけど、幸い、大事にはならなくてよかった……。」
そう思っていた。
――。
しかし、この後――。
無能で我が身が可愛い大人たちの行動によって、事態は最悪の方向へと進んでいく……。
翌日。
僕は学校へ行き、人目が気になるものの、なんとか一日を終えた。
だが、夕方、両親は担任の後居ではなく、最初に女子生徒の相談を受けた若手教師・佐藤に呼ばれた。
――詳しい内容までは、29歳になった今も把握していないが、卑猥な画像や内容の受信履歴を見せられたそうだ。
父だけならまだしも、母も一緒に。
普通、内容的に父親がいるのであれば、母親は席を外させるだろう。
5〜6年経ってから聞いた話だが、見落とされた冤罪の証拠の一つとして、何通かのメールの文字は『青文字』で表示されていたらしい。
それが、なぜ冤罪の証拠だったのか?
当時、僕はゲーム機のネット機能を使ってメールをしていた。
ただ『転送』の機能の意味が分かっていなかったため、最初の頃は内容を丸ごとコピペして送っていた。
しかし、何度か回数を重ねるうちに、『返信』で宛先を変え、引用の上に書いてある送信者のメアドなどを消す、というより効率的なやり方に変わった。
今でもEメールで『返信』を使うと、相手の送ってきた内容が下に『引用』として、色のついた文字で記載されるだろう。
つまり、さっきの青文字とは、僕は当時受信したメールを『返信』で、宛先だけを変更して送っていた、という証拠だったのだ。
ただし、その事実を知ったのは5〜6年後であり、返信や転送時の引用で文字の色が変わると知ったのも、事件から2〜3年後のことだった――。
その日の夜。
両親は事実確認のため、僕のメールの送受信歴をチェックした。
――しかし、当時の私には致命的な失態があった。
私は読み終えた受信メールは、すべて削除してしまっていた。
そして、メールを実際に送っていたのは1週間以上前……。
つまり、ゴミ箱の削除期限はとうに過ぎており、すべてが消えてしまっていた。
相手からの依頼を証明するメールが、消えてしまっていた……。
残っていたのは、私が送信したメールだけ……。
さらに画像ファイルに関しても、当時ゲーム機のネット機能でメールを使っていたため、おそらく画像が圧縮され添付ファイルとして表示されており、画像ファイルをコピーしていたことを認識していなかった。
前述の『文字の色』を除いて、引用した形跡をすべて自分で消してしまっていた。
なんとも救えない状況にあった――。
それでも2週間くらいまでは、頑張って学校へ通っていた。
しかし、次第に噂は浸透し、直接、事の次第を聞かれることも多くなった。
ただ、説明も面倒なうえに、彼らはメールの内容を僕以上に知っており、それを前提に話しかけてくる。
『加害者であるとされている僕本人が、一番何も知らない。』
そんなふざけた話があるだろうか?
――年上と話していた割には、異性――。
すなわち恋愛や性的なことに関して、歳不相応に疎かった私は、思春期も重なり、それらをとんでもない屈辱だと感じていた。
私の精神は、みるみると擦り減っていってしまった――。
すべての人が敵に思えた。
休み時間になるとトイレに行き、吐いてしまうようになった。
それでも、なんとか学校へ行っていた。
両親が呼び出されてから数日後。
謝罪してもなお教師が事態を収拾させないことに、子供ながらにだんだんと悔しさが芽生えていった。
そうして僕は部屋中を探し、ようやく坂口が渡してきた「送信先のアドレス」のメモを見つけ出した。
これが第二の証拠だ。
明らかに筆跡が、僕のものではなかった。
翌日、勇気を振り絞り、担任の後居に見せた。
けれど、後居はそれを見ても一瞥し、鼻で笑うだけだった。
「証拠にはならないな。」
……終わった……。
さらに数日後。
僕は掃除の時間に、薬のカプセルを見つけた。
誰かが落としたんだと思い、すぐ近くにいた学年主任の竹居にそれを伝えると、彼は笑いながら言った。
「お前が飲んでみればいいじゃないか」
その時の目の色と、あのうすら笑いを、僕は今でも忘れられない。
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僕は通学できなくなった。
学校に行けなくなってから数日後。
夕方、竹居が後居と共に家に現れた。
てっきり「学校に来い」と言うのかと思っていたが、彼ら――特に竹居の口からは、全然違う言葉が飛び出した。
「何で学校に来ないんだよ?」
「あれはお前が悪いんだよ。お前が悪いことをやったんだろ?」
「本来なら警察もんだぞ。」
「お前が悪くないと思ってるんなら、今からでも警察に調べてもらったっていいんだぞ。」
「警察に調べてもらえば、全部わかるんだからな。」
完全に恫喝である。
そして、気の弱い両親は『警察』という言葉に完全に萎縮して、何も言えなくなってしまった。
話を盛っているわけではない。
頭が真っ白になったこと。不服に思いながらも謝ったこと。薬を拾ったときのこと。そしてこの恫喝。
この4つは、一言一句、当時の情景や心境まで、すべてを完璧に思い出せる。
本当にこの口調で、公務員である公立中学校の学年主任が、14歳のガキ相手に言い放ったのだ。
当時は2011年。まだ「パワハラ」が大きく叫ばれる直前だった。
後の2023年、とあるニュースを見た。
公立なので教師こそ違うと思うが、おそらく母校であろう中学校で2019年にいじめがあり、教師が適切な対応をしなかったということで、市の教育委員会が保護者に謝罪した、というものだった。
竹居自身も、担当していた部活で暴行や虐待の噂があった。
当時も「パワハラ」という言葉自体はあったが、今のように重い意味で使われておらず、2011年当時は「虐待」という言い方が主流だった。
一方、当時はパワハラにまだ敏感ではない世の中であり、僕に一切の救いはなかった。
ほどなくして、母が連絡を取り続けていたスイミングスクール時代の先生が心配してくれ、精神保健福祉士を紹介してくれた。
僕自身は完全に大人に対しての不信感が高まり、心を閉ざしてしまっていたので、あまり深く会話することはなかったが、メールの件や薬の件、保健室登校ができないかどうか、など、両親と共に学校側と話し合ってくれてはいたそうだ。
だが、学校側は、我が身が可愛いからなのか、新設からわずか3年の新しい学校だからなのか、臭い物に蓋をするかのように、保健室登校すらも拒否した。
結果的には、社会福祉士と言えど、話を聞いてメモをしただけで、結局そこから何かが好転するようなことはなかった。
そのような状況下で中学三年生になるも、今度は、僕に28往復ものビンタを食らわせた教師・空田が担任になり、そんな環境に行けるほどタフな精神力は持っておらず――。
実質、教師の手によって学校へ来させないようにされたようなものだった。
――結果。
約一年と三ヶ月。
私は、ほとんど学校に行けなかった。
社会福祉士は稀に家に来たが、話すことなどなかった。
月に1〜2回程度、学校へ行っただけだ。
中学の卒業証書は、形式的に手元に届いたに過ぎない。
私が学校に行かなかった間も、教師たちは事情を把握していながら、母に対し「休むなら毎日電話で連絡しろ」と、実質、嫌がらせとも言える要求まで課した。
進学時、担任の空田は三重県にある『日生学園第二高等学校(現:青山高等学校)』へ行って、「忍耐力をつけ、精神力を鍛えて、自立心を持て」などと、ふざけた戯言を母に向かって言ったらしい。
その高校へ行きはしなかったが、翌年、その教員からの年賀状で、自分の子供たちは有名な私立高校へ進学した旨を知らせてきた。
『教師』というご立派な肩書がついていても、所詮は人間。
その程度である。
しかし、侮辱はまだ終わらない。
今度は、2年時担任だった後居だ。
私には3歳下に妹がいるが、そのことで母に対し、
「不登校というのは、兄弟間で連鎖することがよくあります。ユキが不登校だったから、妹さんも不登校になるかもしれません。」
などという妄言を吐いたそうだ。
「一体誰のおかげで俺はこんな目にあったんだ……」
私はそれらの話を数年後に聞いて、そう思わずにはいられなかった。
――。
私はあの時、ただ頼まれたことをやっただけだった。
大人であれば無警戒にも程があるが、当時は携帯電話を全員が持っているわけでもない時代の、14歳の子供だ。
発端となった事件の内容だって、仮に私が加害者であったとしても、大人になってから冷静に考えれば、これほどまでに人生や人間性を歪められるほどの出来事ではないと思う。
桃香と坂口がグルだったのかどうかは、分からない。
言いふらされてはいたが、単純にメールのやり取りがあった時から数週間が経っていたから、佐藤に言う前に言いふらされてしまっていたのかもしれない。
どういう腹積もりであんなことをしたのかは分からないが、所詮はそいつらも当時14歳の子供だ。
おおよそ、私が気に入らなかったか、お高くとまっているようにでも見えたのだろう。
18歳くらいまではずっとそいつらを恨んでいたが、今は違う。
明らかに悪いのは教師連中だ。
歳を重ねて世の中を知れば知るほど、なんてことはない。
大人たちの利己的な行動や、中途半端な正義感や、杜撰な仕事の結果だ。
今この瞬間も、あの教師どもが気持ちよく夜眠っているかと思うと、私は腸が熱くなり、教師連中の目の前で素敵なご子息を、中東のテロ組織ですらドン引きするような苦しみを与えて、一族ごと一人残らず皆殺しにして差し上げたい、と怨みを思い起こす。
他の者にとっては、15年前に終わったことだろう。
だが、私は違う。
汚名も晴らされず、15年経った今なお、肝心なところは分からないことだらけ。
そんな不完全燃焼のままで全てをきれいさっぱり忘れられるような聖人では、私はない。
だが、この物語はまだ始まったばかりだ。
14歳の私は、人間の本質に触れた。
その正体は、想像を遥かに超えて、冷たく、残酷だった――。
当時は論理的に理解などできなかったが、今ならすべてが分かる。
そしてそれは、私が「祓うべき存在」だ。
私の心に、一つ目の憎悪の火が灯された。
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次回!第1部 第1章 第4話
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