冤罪だらけの幼少期
第1部 憎悪
第1章 絶望
第2話 『冤罪だらけの幼少期』
―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
「あんた……
一体なんてことをしたの……」
母の声には、怒りと悲しみと困惑が入り混じっていた。
目の前の現実が理解できず、僕の思考はただ停止した。呆然とその言葉を受け止めることしかできなかった。
14歳のあの日。
何の変哲もないはずの放課後、家の玄関を開けた瞬間に告げられた、その一言から。
決して順風満帆ではなかったけれど、それでも自分なりに積み上げてきた、ささやかで幸せだった僕の人生は、14歳で幕を閉じた。
その時のことは、今でもはっきりと覚えている。
これまで29年生きてきた中で、唯一【頭の中が真っ白になる】という現象を体感した瞬間だった。
思考停止――。
目の前が白くフェードアウトし、音も遠のいていく……。
すべての情報が遮断されたように、僕はただその場に立ち尽くしていた。
――14歳の僕の頭が真っ白になっているその間に、29歳の私が、子供のころの状況を説明しよう。
私の外見は今も昔もジャガイモだが、当時は運動の中で水泳だけはそこそこ速く、学力は上の下くらいではあった。
幼いころからスイミングスクールに通っていた影響で、7歳になるころには3〜5歳年上と話すことが多く、同年代の精神的な幼さには、少し苦手意識を持っていた。
家庭環境はやや古臭く、礼儀作法や上下関係が厳しめで、『基本的にはできて当然』という空気の中、褒められることはほとんどなかった。
そんな環境で育ったからか、私は常に大人の顔色をうかがっている、自己主張の苦手な子供として育った。
そのくせ完璧主義っぽい側面も持っており、8歳のころ、テストで90点以下を取ると、80点台でも教室のゴミ箱に捨ててしまい――。
それをバカなクラスメイトが拾い上げ、名前を書き換えて家に持ち帰り、母親に自慢するもウソがばれて、学校に母親が呼び出された。
なんてエピソードがあるほどだ。
そして、点数稼ぎのようにわざとらしく教師の前だけで猫をかぶる同級生を、子供ながらに気持ち悪いと嫌悪しており、通信簿の協調性には一度も〇判定がついたことはない。
また、事実とは異なったレッテルを貼られるのが、今も昔もものすごく嫌いだ。
当時の私の良い部分を挙げるなら、元気がよく、礼儀正しく、感受性がものすごく高く、男女年齢関係なく話すのが好きで、純粋無垢。勉強はそこそこ、運動は苦手だが水泳だけはそこそこできた、といったところだろうか。
悪い部分は、頑固で理屈っぽく、自信がなく、無駄に正義感が強い。人間関係的な要領が悪く、物理的な手先も不器用で、結構な天邪鬼。
今思えば、卑劣な人間の多かったあの環境では、私は鼻につくようなクソガキだったのかもしれない。
――。
環境。
つまり、住んでいた地域も異様だった。
自動車をはじめとした工場の誘致で1960〜90年にかけて発展したその工業地域は、よそ者ばかりが集まり、文化も歴史も協調性もなく、皆がライバルのようにギスギスした地域性を持っている。
分かりやすく言えば、規模を田舎レベルに引き下げた東京・港区の青山や麻布、白金台のような、しょうもない見栄っ張りな地域――というべきか……。
そんな環境なのだから、当たり前だが、学校自体もいろいろと異様な学校だった。
表面上はお利口ちゃんたちの集まりだったが、前述の通り、まず親同士が張り合っており、特に私の学年は教育ママが多く、子供も中途半端に賢い奴が多かったため、学校生活においても知能犯が多かった。普段、教師が叱るのは「廊下を走った」というレベルだったが、その裏では誰かの物がなくなった、など、犯人が特定できないような実質軽犯罪が起こっていた。
ある時、同じクラスで、学年の中でも比較的明るく目立っている女子集団の一人が、昼休み明けに一人で泣いていた。
教師がその子と仲のいい生徒に事情を聞くも、全員が「私たちは何も知りません」と口を閉ざし、それどころか、誰一人として心配するそぶりもしなかった。
その光景を目の当たりにした私は、子供ながらに、えもいわれぬ気持ち悪さを感じた。
新しく赴任してきた校長が、PTA総会にて「この学校の生徒は、何かの行事を行っても、運動会で優勝しても、担任の教師が喜んだり拍手をするまで、誰一人そのような行動をとらない。こんな学校は初めてだ」と問題視するレベルで、人の心を欠いたような異様な人間の集まりだった。
物が消える。誰かが泣いていても気にかけない。
正直、彼ら彼女らを同じ人間だとは思えなかった。
――。
そんな環境の中で、私は多くの冤罪を受けていた。
幼稚園まではよかった。
だが、幼稚園児のとき仲の良かった5〜6人の友達全員が、両親が社宅から一軒家へ移り変わったことで他の地区へ引っ越してしまい、小学校に上がると同時に実質一人になってしまった。
私の人生にケチがつき始めたのは、その頃からだ。
入学間もない頃、学年に「ユキ」という名前が三人おり、他のユキ二人が勝手に喧嘩し、靴なんかを隠したらしい。
それを、どちらともほぼ面識がないにもかかわらず、あろうことか名字を間違えられたがために、加害者はとっくに帰宅し、私だけが居残りさせられたうえ叱られたりした。
ある時は、昼休みに勝手に自分で池に落ちたくせに、なぜか私のせいにされた。
このときばかりは、当時の担任がその場にいなかったことを知っており、親に事情を説明してくれた。
中学年になっても、授業の小テストでカンニングしていると言われたり、給食のパンを牛乳パックに詰めて捨てていると言われたり……。
どちらの件でも、教師に机の中を確認させたり、当時スイミングスクールの年上の間では『牛乳パックのストロー口の紙をはがさず、そのまま刺して飲む』というのが流行っており、それを真似していただけだと説明したりしていた。
その牛乳パックを探したら一つしかなく、中にパンも入っていなかったため、それを証拠に「私がパンを詰め込んで捨てているわけではない」と弁明したこともあった。
高学年になってもトラブルは尽きない。
善意で塾の黒板を消してきれいにしていたら、馬鹿が追いかけっこをしていて勝手に突っ込んできたにもかかわらず、なぜか私が叩いたことにされ、その馬鹿の眼鏡を弁償する羽目になったり。
クラスメイトが大量の鉛筆や消しゴムを盗んで「お宝箱」を作っておきながら、なぜか「私が筆記用具を盗んでいる」と教師に報告されたり。
他にも、キチガイに突然鉛筆で脚を刺されるわ、女の子をいじめているのを庇ったら傘で下まぶたを刺突されるわ……。
私に唯一非のあった出来事は、小学校六年生の夏休みに一生懸命育てたアサガオの花をクラスメイトにすべてむしり取られ、その腹いせに、そいつの給食袋(箸や歯ブラシを入れる巾着袋)の紐をハサミでちょん切ったことくらいだ。
中学になっても状況は変わらなかった。
パソコン室に筆箱を置き忘れたら、意地の悪い上級生に、中身の筆記用具をまるで『ヘンゼルとグレーテル』のように廊下にばらまかれていたこともあった。
挙げ句には、「理科の実験で使う道具を盗んでいた」という嘘を教師に言われ、怒られたこともあった。ただ、この件はむしろ私が被害者であり、盗みもしていないことを告げると、その先生だけは信じてくれた。それだけが、せめてもの救いだった。
――。
だが、極めつけは宿泊訓練で起きた出来事だった。
山の中、夜。大広間。
夕食後、疲れてうつ伏せで寝ていた私を、遠くからの怒鳴り声が叩き起こした。
「ユキ! 騒がしい! 静かにしろ!!」
水泳部の顧問でもあった空田だった。
しかし、ユキがうつ伏せで寝ていたのを見ていた周囲は、
「え? ユキ寝てたよね?(笑) 空田先生、間違ってるじゃん。」
と、驚いた様子だった。
しかし空田は、立て続けに「こっちへ来い!」と私を教員のテーブルへ呼び出した。
空田は頭ごなしに怒鳴りつけてきたが、一切身に覚えのない私は、ただ無言で聞いていた。
そのうち、無言で見下ろされているのが我慢できなくなったのか、
「なんだお前の態度は! なんで俺がお前に怒られてるみたいになってるんだよ!」
と言い放つや否や、空田は突然、私の胸ぐらをつかんだ。
これには、さすがの私も反射的に「俺じゃない」と言って、その手を払いのけた。
すると途端に空田は逆上し、私を廊下まで引きずっていった。
止まった隙に立ち上がった私の膝裏を膝蹴りし(俗にいう膝カックンを膝蹴りでやっている感じだ)、体勢を崩したところで肩を押されて床に仰向けに倒れ、そのまま上半身に馬乗りになり、両腕を膝で押さえつけ、私が一切抵抗できないように、空田は私を文字通り『制圧』した。
それはまさに、ゲームのCQCさながらの、迅速かつ手慣れた動きだった。
今でも鮮明に覚えているが、空田は無抵抗な私に28往復、計56発の往復ビンタを食らわせた。
当時、学年の全生徒と全教師が見ていたのに、誰も助けてはくれなかった……。
そして暴行を受けていたために時間が遅くなり、一人で風呂に入り、その後、20〜30分もすると日が完全に落ち、真っ暗になった山の中を、月明かりを頼りに5分程度ではあるが歩いたのを覚えている。
そして、それが原因で学校へ行くのが嫌になってしまい、月に1回、2回休むようになっていった。
――当時の私は自己主張ができず、大人に逆らえない子供であったため、それを両親に伝えることができなかった。
私は、決して可愛げのある子供らしい子供ではなかった。
僕は……。
こんな仕打ちを受けるほどの悪人だっただろうか……?
いい歳の大人になった今、改めて客観的に考えても、あれほどの仕打ちを受けるほどの敵を作るような行動はしていなかったと思う。
確かにスイミングスクールの影響で、小学生に上がるころには、5〜6年生のお兄さんお姉さんや、下手をすると中学生とよく話していた。
1〜2年生の低学年の頃、昼休みになると渡り廊下を渡って、高学年の教室に行っていたのは今でも覚えている。
2歳上まではサバサバしており、活発で明るい人たちが多く、歳も離れており、トラブルはほとんどなかった。
しかし、不運なことに――。
1歳上の水泳関連の知り合いは陰湿系が多く、同級生もサバサバ系より陰湿系が多く、そのうえ小さい頃から年上と話しすぎたせいで、彼らが非常に幼く感じ、その二層には強い苦手意識があった。
ここに書かなかったような小さいトラブルもまあまああったが、揉めているのはすべて陰湿系だ。
それでも――。
同級生にものすごく仲のいい人間がいたわけではないが、男女関係なく、学年の半分の約120人くらいとは、ある程度は話していたと思う。
決して『ぼっち』というわけではなかった。
――しかし。
これらの出来事など笑い話になってしまうような、“本当の事件”が、この後に起きる。
いや、もうすでに起きてしまった……。
さあ、14歳の僕の思考が戻ってくる。
『あの出来事』が、静かに、しかし確実に、すべてを変えていく……。
ここからが、本当の憎悪の物語の始まりだ。
―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
次回!第1部 第1章 第3話
『ささやかで幸せだった人生の終わり』 DON'T MISS IT!!!




