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天凪祓  作者: ZoRvATH


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コミュニケーションの理解

第1部 第2章 第10話 『コミュニケーションの理解』


―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――


2014年の夏。


ある日、ネトフレ大人連中の中で唯一残っていた『すずさん』と喧嘩した。


GTAⅤで遊んでいる最中。「ミッションなのに効率の悪い遊び方をしているから、クリアできないんだ。」と、ゲームのプレイスタイルに関して正論をぶっ放したのだ。


――BFやCOD以上に口が悪くなるゲームであるWoTやWTを遊んでいたことで、ガチ勢寄りの感覚になっていたのだろう。


また、すずさんは途轍もなく心の広い人なので、恐らくそういった言動が普段から出ていて、すずさんの我慢の限界を超えたのだと思う。――


そこですずさんに僕は一喝されてしまう。


「お前さんの言ってることは正しいよ?なにも間違ってない。でもな?俺はお前ともう遊びたくない。」


そう言われた。だが僕としては何がいけなかったのか全く分からなかった。


ただ良かれと思って言っただけなのに・・・。


まさかそんな大事になるとは夢にも思っておらず、3年半も付き合いのあった人と喧嘩別れしたことは流石にショッキングな出来事であった。


とはいえ、原因を聞いても「言っても意味がない。」と突っぱねられてしまい、謝ることもままならず、すずさんとは縁が切れることになる。


そして月日は11月に。高卒認定試験がある月だ。


結果から言おう。『試験を受けに行かなかった。』


自分なりには一生懸命やったのだが、中学も半分近く行っておらず、完全に独学で勉強しきれなかった。


とは言え、世間一般的には超簡単な試験なのだから、『自分なり』は所詮『自分なり』であり、それ以上でもそれ以下でもない。というのは重々に自覚している。


それを正直に母に話し、母がいろいろ探してくれ、通信制の高校に行くことになった。


普通の高校とは違い、『留年という形はなく、高校卒業に定められた単位を取得すれば卒業できる。』というものだ。


大体は通常4年前後かかるらしいが、僕の場合は高校の1年分の単位は認められるので、目一杯授業を入れればギリギリ2年で終わるようだった。


凡そ週に2~3回登校。これが本当に最後の最後になるボーダーラインだ。


受験なんて言う大したものでは無いが、受験理由を書いて受験試験というより、願書となった。


2カ月後である2015年の4月から通信高校に通う事となった。高校を辞めてからの直近1年間は『宿題が何も終わっていないのに、残り2日で終わってしまう夏休み』を永遠に繰り返しているような気分だったが、取り敢えずそれからは解放されるのだ。


2014年の12月から翌2015年の1~3月は割と色々人間関係が動いた。


まず1つは、年末ごろ、≪佐藤さんとは話さなくなったのに≫同志吉川とは度々ゲームをしており、同志吉川を介して『伊藤』と友人になり、この頃からよく遊ぶようになった。


同志吉川もそうだったが、伊藤も中学時代に大なり小なりのできごとがあって、人に対しては色々敏感な所があったことや、アニメやゲームなどの話題も相性が良く仲良くなり、よく電話をしたり、遊びに行ったりした。


そして2つ目は、エリーさんと別れたこと。


喧嘩別れとかではなく、単純にエリーさんのご両親が景気後退の著しい日本から撤退してしまったため、海外へ行くことになり、日本に戻ってくる可能性も皆無であったため、別れてしまった。


――私は歳の割にはウブだったし、エリーの方も案外ウブであったので、その交際は極めて純粋過ぎるものであった。


ぶっちゃけただ仲のいい女友達状態である。


というのも、私が極端にブレーキをかけていたためだ。


恋人ができて初めて知ったのだが、私はジャガイモフェイスの癖して、いっちょ前に結構なロマンチストらしい。


だから、安易な。軽率な。スキンシップを嫌がったのだ。


本当にお互いが好きで一生添い遂げたいと思えるのであれば、結婚前だろうと私は別に何をしてもいいと思う。


でも、本当に好きかもわからないのに、キスしたりすれば、今この瞬間は幸せでも、数年後。数十年後に後悔する時が来ると思った。


何故なら私は恋人には、『まっさら』を求めているからだ。


端的に言えば、『処女厨』ということだ。語弊の無い様に補足しておくが、私に関係のない女の人のことをどうこういうつもりは一切ない。


『自分が恋人や結婚するなら経験のない人がいい。』というだけだ。


完全に私の超個人的な感性の問題だが理由は2つ。


そもそも物の時点ですら中古品が嫌い。どうも他人が触れた/使ったゲームや車。アクセサリー類。外食の際の食器。そういったものが苦手である。


外食の食器は洗ってあるので、食べられないというほどではないが若干気になる。そして回し飲みなどもできない。それが例え超絶美人であっても。


下品な生々しい例え方は控えるが、結婚指輪や、タキシードあるいはウエディングドレス。それらが前の夫あるいは嫁の使いまわしでも全然平気。と言えるほど私は心が広くないし、別にそういう意味合いで心が広くありたいとも微塵も思っていない。


勿論『私が使いまわさせる側』などという極めてご都合主義な二重基準も有り得ない。そんな奴は冥府送りだ。


当たり前だが、物よりも人の方が比べるまでもなく重要なので、『物の時点でダメなことは人間では到底無理。』ということだ。


そして、もう一つ。私は非常に想像力が豊かなのである。つまり、そういう過去を勝手に半無意識に想像してしまうのだ。


「あー。このタキシードを別の男が着て数年前にこの人と結婚したんだ・・・。そしてこの指輪をその人もつけたんだ・・・。」


私は繊細かつ弱く非常に器の小さい人間なので、これで鬱にならない自信はない。


また、それが『たまらない』という趣向も私は持ち合わせてはいない。


相手にそこまでの処女性というか、純潔を求めるのだから自分もまた純潔である必要がある。


それに自分の純潔もそうだが、それ以上にそもそも結婚する見通しもないのに女性を汚すというのは、女性に対して非常に無責任な行為だと。無下に扱う行為であると個人的に感じる。


ある意味、一種の強姦の様なものだと。


どうしても恋人を大切に扱っていない様に感じるのだ。


私は、今も。過去も。未来も。その人の全てが欲しいのだ。


そしてその全てを大切にし、


私は非常に重く傲慢で貪欲なのだ。


一歩間違えれば粘着質な、DVやストーカーをしそうな超危険な男である。が。幸い私は割とサバサバしているので嫉妬はしても、別れた後に付きまとおうとは思っていない。


当初その一行で終わらせようとしていたのだが、折角なので何故私が粘着質なストーカーにならないのかを真面目に考えてみた。


私は確かに独占欲が強く嫉妬心が強い。が、『支配欲』というものがほとんどない。


独占欲とはあくまで『恋人の興味や意識が自分に多く向いていてほしい。』のであって、『意のままに操ったり、自分の支配下に置きたい。』と言うのとは違う。


つまり、「浮気しないでね。異性の友達作らないでね。」は独占欲で、「仕事しなくて良いよ。家事ちゃんとやってね。」こちらは支配欲なのである。


「異性の連絡先絶対全部消してね。」これは、独占欲も支配欲もあって一歩間違えたら危険。ということである。


私の場合は強制まではしないけど、嫉妬はする。だがそれとは別に『恋人とは対等で居たい。』という価値観があるので、支配欲へ傾くことがない。


ついでに言えば、私個人は精神年齢が高い女性が好きなので、コントロールしなきゃいけないような女性も、コントロールされるような女性も、魅力を感じない。


人間とは実に複雑怪奇なものである。


巷で盛んに議論されている、奢り奢られ論争も『無条件に毎回お金を出す』人間は逆に気を付けた方がいいのだ。


『金を出す出さない』という表層的な部分を判断するのではなく、『相手がどういう意図で金を出しているのか?はたまた出さないのか?』という行動原理こそを探り見極めるべきなのである。


※ただしこれはあくまで元々男性が全額奢る。という文化の無かった日本の話である。


それらのバランスに加えてサバサバしている性格も相まって、私は良くも悪くも『鳴かぬなら、殺してしまえ時鳥。』なのである。『鳴かせてみせよう。』とか、『鳴くまで待とう』とか。そういった思考はない。


無理なものは無理。ダメなものはダメ。どうにもならないものはどうにもならないのだ。


ただし、誤解して欲しくないのは簡単に手放したわけではない。


ちゃんと『二人にとっての最良』を沢山話し合って、折り合いをつけた上で別れる。という工程をしっかり挟んでいるから。後腐れが無かった。とも言えるかもしれない。


※再度念を押しておくが、これは私の個人的な恋愛観なので、この価値観を押し付けるつもりも、私の価値観が標準だとか、普通だとか、言うつもりも全くない。


世の中には『寧ろそういうのがいい』と言う人もいるらしいことも理解している。が、だからといってそういう趣向の人を見下したり、嫌悪したりということはない。


当事者が良ければそれでいいのだ。


そのようなガチガチの貞操観に支配された私と恋人になったエリーは、手をつないだ程度である。


この件で私は何も後悔していないし、私の人生においてあの時の判断は正しかったと改めて思う。――


そして、エリーさんのことではもう一つ。


本人には言わなかったが、正直僕も疲れている部分が多少あった。


というのも、エリーさんは唯一僕が口論で勝てなかった相手で、日常生活における言葉のちょっとした間違いも広辞苑レベルの知識で10倍くらいになって帰ってくるのである。


まあ、当人は良かれと思って、僕の為を思って言ってくれているのはわかっていたので、善悪の話ではない。


まあ。普通に疲れた。


ここで気にして欲しいのは、『当人は良かれと思って。』の部分である。約半年前、つまりすずさんに対して僕がやっていたことと同じだったのだ。


相手の事を思って論理的に正しい事を言った。


でも、相手は人間であり、感情のある生き物である。


つまり・・・。


『感情論』の理解が必須なのだ。


――『はっきりとした結果の出る』論理は一見それが全てであり正しいように見える。


実際世の中では論理が優先され過ぎている。と言えなくもない。


だが、学問の世界を抜けてしまえば、社会において正解が無数にある場合の方がほとんどである。


その無数の正解の中から、いかに適したものを選択するかがカギとなるのである。


そして理屈で正解が出ている以上。次に使うべきは感情論。ということである。


話が飛躍するが。


何故、世の中こんなにも理不尽や不条理が多いのか?


それはズバリ『経済・権利・管理』これらを優先させた論理で社会が構築された結果であろう。つまり『感情論が皆無である。』


だから、下に行くほど理不尽を感じるのである。そしてその為に皆上に行こうと努力するのだ。


だが、理由は割愛するが『そもそもその根幹の発想が既に時代遅れじゃね?』と私は言いたい。


それとは別に、昨今国際社会で大流行している活動家は、根底が論理ではなく、感情論を論理で補強しているから、今の時代の大多数の人間には理解不能なのだ。


『可哀想』が優先されて、なぜそのような規制があるのかを理解せずに、理論が飛躍して自由や、人権など。『責任』という言葉が存在しないかのような都合の良い中途半端な論理補強をした主張をしている。つまり『刺激→価値観→感情論→中途半端な論理(補填)→結論』である。


『感情論が悪い』のではない。だが使い方が間違っている人が多い。感情論とは超簡単に言うならば『濾過機』なのだ。そして論理とは『選択肢』である。


そして感情論とは『感情に由来する価値前提を根拠として用いる議論』であり、感情そのものではない。


つまり簡潔に説明すると『刺激→論理(選択肢作り)→感情論(選別)→結論』ということになる。


もう少し具体的には『刺激→直感(経験則)→価値観(基準の明示)→論理(選択肢作り)→感情論(選別)→結論』であり、より具体的にはそれらは反復思考だが、理解しやすい流れとしてはこのような形の説明になる。


※ただし、感情論が大きく邪魔になる経済界や数学界などを除く。


それら界隈の著名人が納得できる話をしている割にとっつきにくい人物が多いのは、彼らは論理的事柄と、感情論的事柄をほとんど分けて思考している人物が多いからだ。具体的には『両者をつなぐ翻訳(価値の明示・共感の言語化)』を省く人物が多いだろう。


また、感情論フィルターが強すぎたり、論理と感情論の順序が逆になっているものを『偏見』と呼ぶ。


更に、偏見を超えて意味不明な主張になっている人物は、『論理的思考が圧倒的に足りていない。』ということである。


おおよそ論理の整合性が50%を下回っていたら、その主張の論理が破綻していると言えるだろう。


その上、その場合論理よりも先に感情論で選別されてしまっている場合が多いので、その主張の違和感が当人には理解できないのである。


つまり、『感情由来の価値前提を根拠化せずに補強的な理屈だけを後付けしている状態』ということである。


それらを『感情的』と呼ぶ。


感情論は、選択肢を濾過しているだけであって、そもそも濾過すべき対象が間違っていたり、刺激を直に濾過しそれを直接結論としていたら、それは当然話し合いができない『感情的』な状態になってしまう。


ただし、それらはあくまで理想的な思考に必要な手順や順序。あるいは枠組みの説明であって、その思考によって導き出される『内容の質』はまた別の話である。


要するに、論理的思考によって導き出される選択肢の整合性や、価値観に客観的視点や多角的視点を持てるかどうかは、全く別の話だ。ということだ。


中身に関しては論理と感情論の『均衡』が重要であり、最も重要と言えるものは価値観そのものが限りなく事象の『協和点』に近くなくてはならない。という点だ。


小難しく、かたっ苦しく語ってきたが。超簡単に言えば、『相手の気持ちも考えろよ!この馬鹿。』ということである。


当時の私がここまで深く思考したわけではないが。少なくとも、『感情論だけは論外。論理的思考だけは半人前。論理的思考と感情論を兼ね備えてようやく一人前。そして最も難しいのはその適切な均衡度合いを知ること。』そのような思考にはたどり着いた。


盛大に話が哲学に突っ込んでしまったが、エリーさんと別れて、人間関係が動いた。という話の続きに戻ろう。――


―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――


次回!第1部 第2章 第11話

『地道な日々』 DON'T MISS IT!!!

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