3
あさみなんかと会わせるんじゃなかった。こんなことになるくらいなら、さっさと好きだって言ってしまえばよかった。好きに……ならなければよかった。幼馴染みのままだったら、きっと何も気にせず隣にいられた。彼女じゃなくても、特別なままでいられたのに。そう、思う。なのにまだ、友也のことしか頭に浮かばない。山口に告白された時でさえ、これが友也ならいいのにと思ってしまった。
友也が好き。もう、他人のものなのに。
あさみが憎い。彼女は何も悪くないのに。
自分が嫌だ。勝手で、他人を傷つけようとしている。
……どんな顔、すればいいのよ。友也にも、あさみにも、山口にも。そのことを考えると憂鬱すぎて、学校へ行くふりをして家を出たまま結局学校へは行けないでいる。だからって、こんな公園のベンチにいつまでもいるわけにはいかない。この先、どうしよう。いっそ消えてしまいたい。
「京子」
青い空がまぶしすぎて目を伏せていたら、背後から今一番聞きたくない声がした。あたしを呼ぶその声には聞き覚えがありすぎて、振り返らなくても相手は分かる。返事をしなくても素通りしてくれるとは思えなかったから、急いで無表情を作った。
「お前がサボリなんて珍しいな。まあ、こんなイイ天気じゃさぼりたい気持ちもわかるけど」
呑気なことを言いながら、ベンチを回って来た友也はあたしの隣に座り込んだ。肩が触れそうなほど近い、いつもの距離。目を合わせて言葉を交わす必要もないくらい間近だから、あたしは友也の方を見ないまま口を開いた。
「学校、行かなくていいの?」
「俺がそんな真面目な生徒じゃないことくらい知ってるだろ。それより、昨日の晩は寝てたのか?」
「来たの? 知らなかった」
少し驚いたような表情を作って、そこで初めて友也を振り向いた。特に訝しがってる感じもなかったから、きっと平気な表情が作れたんだと思う。こうやって、これからも友也を騙し続けていくのかな。本当は、ぜんぜん平気じゃないのに。
「お前が見たがってた映画。手に入ったから、一緒に見ようと思って持って行ったんだよ」
「見終わったら貸して。しばらくヒマになりそうだから」
「堂々とサボリ予告か?」
少し呆れたような表情で、友也が笑う。なに言ってんだこいつ、的な顔をしながらも友也のあたしを見る目は優しい。見たくない。そんな表情で笑いかけないで。
「そ。もうガッコ行かない」
「三年くらいガマンしろよ」
「冗談に決まってんじゃん」
もう、自分でも何を言ってるのか分からない。こんな心の状態じゃ会話も成立しないよ。学校には行きたくないけど、このままここで友也と二人でいるよりはマシかな。そう思ったから、話を切り上げて立ち上がった。
「なあ、昨日。ホントに寝てたのか?」
歩き出そうとしたら、背中から友也の声が聞こえてきた。投げかけられた質問よりも、その冗談を消し去った声音にギクッとする。振り向けなくて、あたしは友也に背中を向けたまま答えた。
「何でそんなこと訊くの?」
「お前、朝鏡見た? ひでー顔してるぜ」
ひどい顔、か。きっと今のあたしは嫉妬に狂って、とても醜い顔をしていることだろう。鏡なんて見たくないよ。そんな自分、見たくない。
「……ま、いいや。ヒマなんだろ? ちょっと来いよ」
いつまで経っても答えないあたしに痺れを切らしたのか、友也は強引にあたしの腕を引いた。抵抗する気力もなくて、友也に引っ張られるまま元来た道を引き返す。そうして連れて行かれたのは、なんのことはない、友也の部屋だった。
友也の家、それはあたしの家の隣ってことだ。いつも通り学校へ行くふりをして家を出たあたしがまさか隣の家にいるとは、お母さんも思ってないだろう。ちなみに友也の家は共働きなので、夜まで家の人は帰って来ない。
「久しぶりだろ? お前、最近はちっとも来ないから」
そんなことを言っている友也の部屋は、前に来た時よりもポスターが増えていた。CDやらゲームやらも増えていて、ただでさえごったがえしていた部屋が足の踏み場もない。ここで、あさみと一緒にいたりするのだろうか。もう特別ではないこの部屋を自分から訪れようなんて気は、あたしにはなかった。
「いつ来ても汚いんだもん。たまには掃除しなよ」
「その汚い部屋の床に、何故座る?」
さらっと流してくれればいいのに、痛いところを突かれた。前はベッドが避難場所になっていたんだけど、もうそこへは行けない。だから汚い部屋の床に空いてるスペースを見つけて座り込んだんだけど、そんなこと口に出せるはずがない。
「どこに座ろうとあたしの勝手じゃん」
「……ま、いいけどね。何か飲む?」
「いつもの」
「りょーかい」
床に置いてあるものを器用にまたぎながら、友也は部屋を出て行った。友也が出て行くのを見送ってから、あたしは周囲に視線を走らせる。相変わらず、物が多くて汚い部屋。でも友也的には、これでも片付いているつもりなのだ。そんなことまでも、あたしは知っていた。
「はい、いつもの」
友也が戻って来て、渡されたのはオレンジジュース。そして友也の手にあるのは砂糖とミルクたっぷりの紅茶。友也があたしの好みを知ってるように、あたしも友也の好みを把握してる。幼馴染みって、そんなもの。でもあたし達の関係は、これ以上前へは進めない。
「……映画、見せてよ」
黙ってると痛い腹を探られそうで、怖かった。だから差しさわりのない話題を選んで口にしたんだけど、友也は何故か部屋中をひっかきまわし始めた。
「あれ? どこやったかな」
棚や床の物が次々とベッドに放り投げられていく。昨日うちまで持って来たって言ってたのに、何でないの?
「悪い、見つからねーや」
そう言って友也が苦笑を浮かべた時には、ただでさえ汚かった部屋が見るも無残な有り様になっていた。結局はあたしが手伝いを申し出て、二人で部屋の片付けを始める。こうして手伝わされるのも、前はしょっちゅうのことだったな。
ため息をつきながら片付けをしていたら、ふとあることが頭に浮かんだ。もしかしてあたしが見たがってた映画を見つけたって、口実だったのかな。だって、おかしいじゃない。昨日の今日でどこにやったか分からなくなるなんて。
「……ねえ、友也」
今まで、友也があたしに対して口実を使ったことなんて一度もない。訊きたいことがあるなら率直に訊くし、言いたいことがあるなら物怖じせずに言う。そんな付き合いが当たり前だったのに、もう口実がなきゃ気軽にあたしの部屋にも来れない間柄になっちゃったんだね。
「あたしに言いたいことが、あったんじゃないの?」
「そうだな。気になってることなら、ある」
「何? いつもみたいにハッキリ言えばいいじゃん」
「じゃあ訊くけど。どうして最近うちに来なくなったんだ?」
「は?」
てっきり山口の話かと思ってただけに、拍子抜けした。友也はといえば、ふてくされた子供みたいな表情であたしを見てる。何? どういうこと?
「なんで、そんなこと訊くの?」
「だって、前は飯とか作ってくれたりしたじゃん。しょっちゅう来てたのが急に来なくなったらどうしたのかと思うって」
「あのさ、あさみに悪いとかフツウ思うでしょ」
「進藤? 何で?」
「何でって……家に呼んだりとかしてるんでしょ?」
「してないけど? それに、それとこれは別問題だろ」
平然とそんなことを言ってのける友也に、あ然とした。何、それ。まるであさみよりもあたしの方が大事だって言ってるみたいに聞こえるよ。あんたの彼女はあさみでしょ? あたしはただの幼馴染みのはずなのに。
「前から訊きたかったんだけどさ」
友也とあさみが付き合い出してから、ずっと疑問に思っていたことがある。今、それを訊かなきゃいけないような気がして、あたしは初めて友也にそのことを尋ねてみた。
「何であさみの話、しないの?」
すごく不本意だけど、彼らのキューピッドはあたしだ。彼らにしてみればあたしは共通の友人で、すごくノロケやすい存在だと思う。その証拠にあさみなんかは、毎日必ず友也の話をあたしに聞かせてくる。だけど友也からあさみの話を聞いたことは一度もなかった。
「言う必要ないじゃん」
あっけらかんと、友也はそう答えた。まあ、それは確かにそうなんだけど……。むしろあたしも、友也からあさみの話なんて聞かされたくないけど。でも、やっぱり、何かおかしくない?
「京子はそんなこと気にしなくていいんだよ」
極めつけに、友也はそんな科白を吐いてあさみの話を打ち切った。あたしはって、どういう意味よ。そう思ったけど、それはさすがに怖くて、口には出せなかった。