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校正者のざれごとシリーズ

校正者のざれごと――ブルーオーシャン戦略

作者: 小山らいか

 私は、フリーランスの校正者をしている。

 下の子と電車に乗っているとき、ふと目の前にあった車内広告に目が留まった。そこに書かれていたのは「ブルーオーシャン戦略」の文字。確か、以前校正したビジネス書にあった言葉だ。競合他社との戦いが激化している「レッドオーシャン」に対して、従来存在しなかった新しい市場が「ブルーオーシャン」であり、そこでシェアを伸ばしていく戦略を「ブルーオーシャン戦略」と呼ぶ。ビジネス書か何かの宣伝かな、と思いながら何気なく読んでいくと、そこに書かれていたのは、こんな内容だった。

 ブルーオーシャン戦略……空いている時間帯や、混んでいない車両を事前に確認して乗車する。

 鳥・虫・魚・コウモリの目戦略……バッグの持ち手を握りなおす、時計を見る、電車の現在位置を確認する、などの座っている乗客の行動を確認する。

 ファーストペンギン戦略……動きやすい靴、身軽な服装、持ち物の軽量化など、席が空いたらすぐに動ける態勢を整える。

 つまり、すべてが「電車で座るための戦略」について書かれていたのだ。

 これは、みずほリサーチ&テクノロジーズが作成した『電車の中で座るための戦略とアクションプラン』という山手線の一編成をジャックした広告だった。全部で94ページあるという。思わず集中して読んでしまう。おもしろい。事細かに分析され、難しい言葉で書かれているが、要するにすべてが「座りたい」というひと言に集約される。

「これ、読んでみて。おもしろいよ」

 横でスマホを見ていた下の子に声をかけた。するとふだん電車で通学している彼も興味を持ったらしく、しばらく読んでから「オレはブルーオーシャン戦略だな」と笑っていた。

 校正者における「ブルーオーシャン戦略」についても考えてみた。一般的な誤字脱字の確認、体裁チェック、表記の統一などはどの校正者にも求められる能力で、これだけでは差別化ははかれない。フリーランスが仕事を獲得するためには、やはり人と違う何かを持っていることが望ましい。得意分野を持つべきか。同じ調べ物をするのでも、ふだんから慣れ親しんでいるかどうかでかかる時間もずいぶん違ってくる。

 以前校正プロダクションの社長に、「小山さん、iPhone使ってる?」と聞かれた。iPhoneの使い方についての本の依頼が来て、使っている人を探しているという。そのとき私が使っていたのはAndroidだった。残念。仕事の種はどこにあるのかわからない。

 別の日、看護系の二つのゲラ(校正紙)を並べて、社長が言った。

「小山さん、どっちやりたい?」

 そこにあったのは「消化器系」と「循環器系」の本。迷わず「循環器系」のほうをとる。私は医療系ドラマが好きで、昔からよく見ていた。救命救急のものやドクターヘリのもの、心臓外科医のもの、そして、失敗しない人のものなど。

 循環器系なら心臓外科医の話に出てくるような内容が出てくるはず。ちなみに、よく見かける心臓の図は、たいてい左右逆になっている。左心房、左心室が右、右心房、右心室が左。そして、肺動脈には静脈血が流れ、肺静脈には動脈血が流れている。血液の循環についての説明が必要なときに使ってください。まあ、ふつうはあまり使う機会はない。

 また別の日、社内で作業をしていると、社長が私に近づいてきてある担当者の作業したゲラを見せてくれた。将棋についての本らしい。

「これ、私が見てもわからないよね」

 困ったように頭をかいている。将棋の得意な担当者が赤字を入れたもので、将棋の知識がないとわからないような専門的なことがびっしりと書いてあった(正直、私もわからないので詳しくは触れない)。確かに、素人が手を出せる内容じゃない。本来、内容の核となる部分については著者が責任を持つべきではあるが、その分野に精通した校正者が担当すれば、著者としてもきっと心強いのではないかと思う。

 私はここで何度か書いているが、法律、そして国税庁のホームページで確認するような税金、年金、青色申告などの分野を得意としている。関連する資格も持っている。逆に、純粋な小説はあまり得意ではない。ビジネス書などと違って著者の表現を尊重しなければならないので、どこまで踏み込んでいいのか加減か難しいのだ。

 そしてここまで書いてきて、ふと立ち止まる。校正の仕事は、分野によって求められるものがずいぶん違ってくる。言い換えれば、校正についての専門の本を読んで勉強すれば仕事ができるようになる、というものでもない。仕事をしながら経験を積み、求められるものを理解していく。経験のない分野も担当することで、少しずつスキルを上げていく。得意分野を持つことももちろん大切だけれど、「来たものは何でもやります」というのもひとつの戦略。「ブルーオーシャン戦略」だけではとても生き残れないのではないか。

 電車通学に慣れてきた下の子は、最近は戦略を変えているそうだ。いつも同じ車両に乗るので、座っている人の顔ぶれを見て、誰がどの駅で途中下車するのかを覚えているらしい。すごいスキルだな。先に紹介したどれにも当てはまらない第4の戦略といったところか。でもその力、もっと他に生かせないのかしら。学校の勉強とかさ。親としての本音だ。 


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