1 ノゾミの部屋
ここは店名「ノゾミの部屋」というホストクラブである。
お客様いわゆる「姫」は「上杉ノゾミ」様だけだ。
彼女だけが、この店の全てであり、絶対的な存在だ。ここにいるホスト全員、彼女のために存在している。今日も来店されるのは、ノゾミ様の感情や欲望だ。「悲しみ」「怒り」「知識欲」等をホスト達が、癒したり、情報を与えたり……ここはノゾミ様に満足していただけるようなサービスを提供する場所なのだ。
煌びやかな照明に玉座のような椅子。それにこの店のNO.1ホスト「アイディ」が足を組んで座っていた。赤ワインの入ったグラスをゆっくり回し、喉を潤していた。
アイディは、水商売に無関係に見える清潔感あふれる普通の少年だ。その辺を歩いている中高生にしか見えない。特に容姿も優れているわけでもなかったが、「上杉ノゾミ」にとっては、特別な存在だった。
見た目は幼いが、この店では4年になるベテランだ。彼はまさにこの店のオープン当初からのオーナーであった。彼が全ての指示を出し、この店を支配している。
「まあ、僕がいなきゃ、この店は成り立たないからな。ノゾミ様はもう僕と4年の付き合いになる」
「はい。うらやましい限りでございます」
アイディの側にひかえている一人のホストが声をかける。
「何を言っている。僕たちは二人で一つではないか。」
アイディは、相棒の「キィ」を慰める。
「いえ、私なんかはノゾミ様に忘れられては、別のホストに切り替わる運命でした。しかし、最近は統括マネージャーがホストを管理してくれるので、命拾いしているだけです。しかし、アイディ様は忘れられたことがないのでは」
「……まあ、そうだな。しかし、僕は君を気に入っている。君は代わって欲しくない」
二人で会話していると、いかにも客をもてあそびそうなホスト仲間が割って入ってきた。
「よお! アイディとキィ! 久しぶり! 元気だったか?」
「お前は……No.2の『アカ』じゃないか! ノゾミ様が久々にお前を思い出してくれたのか? 」
「まあ、俺はそれでいいんだよ。責任がないからな」
アカは髪を赤色に染め、化粧も濃い方だ。なんとかノゾミ様の気をひきたいのだろうか。
「最近、ノゾミ様のお越しが夜遅くになりましたね。」
キィが寂しそうにつぶやく。
「しようがない。彼女も大学生になり、バイトで忙しいみたいだ。僕たちはノゾミ様が必要な時にお役に立てればいいんだ。」
アイディは、そう言ってワインを飲み干した。
「ノゾミ~~今日もバイト?」
「うん、お金稼がなきゃ」
この春、大学に進学した上杉ノゾミは、サークル仲間の田原愛弓に呼び止められた。
「頑張るねぇ? 欲しいものでもあるの?」
「うーん、スマホ欲しい」
「ノゾミってBandroidだっけ?」
「そう、日本はP-phone多いじゃん。ちょっと悩んでるんだよね。Bandroidの機種変にするか、P-phoneにするか」
「ほら、あいつらはノゾミ様がいろんなアプリで忘れられたホスト(ID)達だ」
「もう髪もボサボサだし、身なりもひどいものだな。ノゾミ様の訪問がない証拠だ。外見も気にならなくなるのだろう」
店内をうろつくホスト達を眺めて、アイディとキィは酷評していた。
「パスワードとなるともっとひどい。空メールですぐ再設定されて捨てられる。そして新しいホスト(パスワード)が採用される」
そう、ここは「上杉ノゾミ」のスマホ本体や様々なアプリ、サイトのID及びパスワードが、「ホスト」として勤めているのだ。彼女がスマホを手にして、4年になるので、4年分のホストがうじゃうじゃしている。そんな中、忘れられたホスト、再設定され捨てられて店を出ていったホスト、パスワードマネージャーに管理されて命拾いしたホスト……いろいろ存在する。
しかし、アイディとキィは、「上杉ノゾミ」のグールルのアカウントという最上級ホストとして、君臨していた。しかも彼女はBandroidユーザーだ。
彼らがいなければ、彼女のスマホライフは話にならない。アカはサブアカウントとして、たまにサブのメールアドレスとして使われている存在だった。
「早くノゾミ様、俺を触ってくれないかなぁ……あの指使いがたまらないんだよ。ああ、お前らは、ノゾミ様と触れ合うことできないんだっけ?」
ある黒髪の美形ホスト「オクオス」が、アイディ達を挑発的に煽る。
「お前はノゾミ様の指で満足すればいい。私たちは、彼女の心を満たすのだから」
「ふん、実体のない奴らは哀れだな」
そんな捨て台詞を吐いて、スマホ本体のオクオスはその場を離れた。
「どうしたんでしょうか? 普段は穏やかな方なのに。何かストレスがあるのでしょうか 」
キイはアイディに問いかけた。
「もうあのオクオスも4年になる。見てみろ、あいつの腹を」
キイはオクオスの下腹が少し膨らんでるのに気づいた。
「太ったのでしょうか?」
アイディはいや違うと答える。
「経年劣化だ。バッテリーが寿命なんだよ。そろそろあれがあるぞ」
「まさか……『機種変更』ですか?」
キィは顔を真っ青にして震えていた。
「う~~ん……もうスマホ変えないとなぁ」
ノゾミはバイトが終わって、自宅でくつろぎながら、スマホを操作していた。動画見たり、シンスタをチェックしたり……高校時代よりスマホを触らなくなった。大学生になって、授業にバイトに忙しく、毎日落ち着かない。
でも、物というのは劣化するもので、バッテリーが膨らんできた。
ノゾミはずっとBandroidユーザーだが、バイトもはじめたし、お金がかかってもP-phoneにするか悩んでいた。
機種変更する場合、移行作業が大変めんどくさい。
機種変更はBandroidアカウントを入力すればいいだけだけど、キャッシュレス関係が面倒なはず。
ーーそういえば、森下君元気かなぁ……4年前、グールルアカウント作成する時、あの子の情報で長いID作ったんだよね。懐かしい……ーー
ノゾミは、よっぽど疲れていたのか、スマホをにぎりしめたまま、その日は眠ってしまったのだった。