第九十七話 二人の目論見
「基本的には、これだけだ。魔晶石だけを水に入れても、溶けはしない。霊銀と一緒に入れて初めて、今のように溶ける。そして、魔晶石が溶けた水に、霊銀がさらに溶け込んでいく。これが霊銀薬のベースになる」
「これで完成ではないんですか?」
「このままじゃ駄目だ。瘴疽を消す効果は備わっているんだが、霊銀も魔晶石も体にいいものではねぇ。いくつかの薬草を混ぜて、さらに水で薄めて、一般的に流通させられる薬が出来上がる」
なるほど、とアルが頷く。
「それで、そこの薬草の出番というわけだな」
自慢げに頷くメトゥスとは反対に、リラは首を傾げてアルを見た。
「どういうものなんですか?」
「こっちはデシンフィケンス。消毒効果がある。これはディゲスティヴァ。消化を促進する働きをもっている。霊銀薬に限らず、他の薬の調合でも使われるものだ」
「ご名答。さすがはロクス・ソルスの人間だな。他には、まぁ香料を入れたりなんだりと工夫はするんだが、基本的にはこんな感じだ」
「もしも、薄めないまま使用したら、どうなるんですか?」
リラの問いに、メトゥスが腕を組む。
「どういうワケか、その部分に麻痺が生じたり、感覚が失われたりするという記録が残っている。今はどのくらいの比率で薄めればいいのかという情報が共有されているから、そんな事例はまずねぇけどな」
ということは、単純に濃い霊銀薬によって瘴疽を引き起こせるというわけではないようだ。やはり、毒を造り出すためだけの特殊な製法があるらしい。
「メトゥスぅ、まだ終わらないのぉ?」
研究室の奥の扉から、甘ったるい声ともにウリナが顔をのぞかせた。腰布は巻いているが、上半身には何も纏わず、桃色の髪がかろうじて豊かな胸部をまばらに隠している。
「あら、今日はお客さんがいらっしゃったのね」
「ああ。だが、もうすぐ終わるところだ。上で待ってな」
「はぁ~い」
声が階上へとあがっていく。
「すまねぇな、俺の女が」
「先日も見かけたが、奥方か?」
「いいや。俺もウリナも、そういう縛りは苦手でな。別の縛りは得意なんだが……それはともかくとして、今日はここまでとしよう。下で報酬を受け取っていってくれ」
階段まで見送られ、リラとアルは一階に下がり、係の者からずっしりとした報酬を受け取って館を出た。
「リラ、最後の場面――見たか?」
アルの問いに、リラが顔を真っ赤にする。
「みっ、見ましたけど……やっぱり、男の人って、あんな風に大きな方が――」
「何の話をしているんだ。俺が言っているのは、あの扉の向こうに階段があったことだ。おそらく寝室に繋がっているんだろう。多くの場合、人が重要な物を隠すのは寝床だろう?」
リラは慌てて息を整え、こくこくと繰り返し頷く。
「研究室で何か見つかればよかったが、奥の寝室にある可能性が高いな。だが、となると調べるのは容易じゃない。あの様子では、ウリナという名らしい彼女は常に寝室にいるのだろうから、メトゥスの隙を見て忍び込んだとしても、鉢合わせになってしまう。どうしたものか……」
アルとリラは、同時に小さくため息をついた。
「とりあえず、彼の研究に協力しながら策を考えましょう」
「そうだな」
だが、メトゥスの実験も、二人の目論見も、一週間もの間、なんの成果も出なかった。
アルは薬草の知識を提供し、リラは聖女として出来ることを全面的に協力したが、霊銀薬の開発に新たな進展は見い出されなかった。
一方、霊銀を用いた毒、瘴疽をもたらす薬についても、その存在を匂わせるものすら二人には見つけられないでいた。
さらにアルとリラを悩ませたのは、ウリナの存在だった。
寝室から出てくることもあれば、階下から上がってくることもあり、少なくとも一週間という期間では彼女の行動についてパターンを掴むことが出来なかったのである。これでは、忍び込むための算段を立てることも出来ない。
また、リラもアルも、体のあちこちをさらけ出して闊歩するウリナに対しては、単純に目のやり場に困るということもあった。
「体調不良者の調子はどうなんだ? モディ、とか言ったか」
メトゥスが手元を注視しながら尋ねた。
「あまりよくないな。これ以上長引くようなら、無理にでもロクス・ソルスへと帰そうと思っている」
「そうか。そいつぁ残念だな。せっかくだから、是非ともおたくら音楽団の万全の演奏を聞いてみたかったが」
「あたいも同感~」
相変わらずの、薄着とも言えない恰好でウリナがメトゥスの腕に絡みつく。
アルは反射的に胸元から目を逸らそうとし、その瞬間、彼女の青い付け爪がひとつ落ちたのを見て、ひとつの閃きを得た。
爪――そうか。
メトゥスが、初めてリラが霊銀に触れて光らせたときに「ここまで反応したのは初めて見た」という、ある種、異質な反応を見せた理由が分かった。
彼は、これまでに聖女の『銀の爪』を秘密裏に取り寄せ、実験に使用したことがあるに違いない。そして、その反応は聖女が実際に触れて力を送り込むよりはずっと微弱なものだったのだ。
後でリラに確かめるべきだが、いかに『銀の爪』といえど、伸びすぎたら切るはずで、切った爪はゴミとして捨てられるだろう。それを回収して手に入れることは、既にステラ・ミラ、そして大聖堂と何らかのパイプを持っているのであれば、難しいことではないはずだ。
確信とまでは言えないが、メトゥス=フォルミードが大聖堂と繋がっていることはほぼ明らかになった。




