第九十五話 不思議な光彩
「これが霊銀……」
リラは、メトゥスの館の二階、広い研究室で驚きの表情を浮かべた。机の上の、青白く、自ら光を放っているかのような不思議な光彩に思わず見とれる。
「ステラ・ミラに住んでちゃ、一生お目にかかることはねぇだろな」
メトゥスが自慢げに言う。
研究室は、一般的な家庭のフロアひとつ分ほどもあった。あちこちにガラス瓶、金具、植物、動物の皮などが置かれ、雑多としている。石造りの棚や机の上も散らかり放題で、どれがどんな意味を持っているのか、一目で分かる者はほぼいないだろうと思われた。
「アレコレ触れない方がいいぜ。お肌が荒れる程度じゃすまねぇものも多いからな」
「は、はい」
身を竦ませるリラを、メトゥスは椅子に座らせ、これまでの浄化の話を聞いていった。
リラは、やはりメトゥスが歌声による浄化の事実を知らないらしい、ということを話しながら確かめていった。現状でその事実を知っているのは、ウェルサス・ポプリ音楽団の皆と、ラエ、そしてナトゥラに限られるようだ。もっとも、これまでに各地で救ってきた人々も、確信がないだけで、それとなく分かってはいるのだろうが。
「聖女が実際に浄化する様を見てみたいところだが、あいにくと都合のいいものは切らしていてな。瘴疽に侵された小動物や植物のストックがあればよかったんだが」
「聖女としては、ないに越したことはないですけど」
「ハッ、そりゃそうか。こいつは失礼したな」
二人の会話を表情無く聞きながら、アルは部屋の中を丁寧に見ていく。だが、霊銀を用いて毒を造る、というのは、具体的にどういうことなのか、想像もつかない。
「とりあえず、実験に付き合ってもらうとするか」
メトゥスはリラの前にあるテーブルに、コトリとこぶし大の霊銀を置いた。価値にして金貨百枚以上の代物だ、とメトゥスは付け足した。
「ひとつ尋ねるが、聖女の浄化の力ってのは、自由自在に操れるもんなのか?」
「……と言うと?」
「モノに対しても力を行使できるのかを知りたい。つまり、この霊銀に対して浄化の力を使った場合、霊銀がどんな変化をするのかを見てみたいのさ」
リラは小さく首を傾げながら霊銀を見つめた。
考えてみれば、人間以外に浄化を施したことは数えるほどしかない。しかも、犬や猫、馬、あるいは植物といった、命がある対象にだけだ。鉱物に対して浄化をした、という経験もなければ、そんな話を聞いたこともない。それらは瘴気に侵されることがそもそもないのだから、当然の話だ。
「やったことはありませんが、試してみます」
「リラ、大丈夫なのか?」
「分かりません。でも、これが世の為に、人の為になる可能性があるのなら、やるべきですから」
それを聞いて、メトゥスが邪な笑みを浮かべたのをアルは見逃さなかった。やはり、彼の言葉は本心から出たものではない。
リラが『銀の爪』の左手を伸ばした。
ふぅ、と意識を集中させる。
手で触れての浄化をする機会が少なくなっているせいで、妙な緊張感があった。
ちょん、と触れた瞬間、メトゥスが眉間に皺を寄せた。
「待て」
リラがパッと手を離す。
霊銀を見ると、青白く光彩を放っていたはずが、紫、紅、翠と次々と表情を変えていく。さらに、僅かながら本当に光を放っているようにも見えた。
「こいつぁすごい」
「すごいんですか?」
メトゥスが頷く。
「霊銀ってやつはな、圧力をかけて形状を変えることは出来ても、この色自体は基本的には何をしようが決して変わらねぇはずなんだ」
「では、メトゥス殿も、霊銀が今のように変化するのは――」
「ここまで反応したのは初めてだ。驚いたぜ」
アルは相手の答えに違和感を覚えた。
ここまで反応したのは――という表現を使ったということは、これほどまでではないにせよ、小さな反応は目にしたことがあるということなのか?
メトゥスは、そんなアルの疑問に気付かずに続けた。
「だが、たまたまこの霊銀が特殊だったという可能性もある。浄化の力は、あとどれくらい使える?」
リラは爪を見た。
実際に浄化を施したわけではないからか、色は変わっていない。
そういえば、反動による痛みもなかった。
「とりあえず、まだ出来そうです」
「よし、それなら――」
メトゥスは様々な霊銀を取り出し、その全てにリラが触れていった。大きいもの、小さいもの、形の整ったもの、歪なもの、人工的に形状を変えたもの――どれも浄化の力に対して反応を示したが、リラの目には、同じ結果が一度もなかったように見えた。
それはアルも同感だったようだ。
「俺の目には、どの霊銀も異なる反応を示したように見えたが」
「実験によって新しい結果が得られるのは喜ばしいことなんだが、こいつぁ骨だな」
メトゥスも首を捻る。
「まるで、霊銀自体が結果を変えようとしているみたいですね」
リラがぽつりと呟くと、メトゥスは天井を仰いで苦笑した。
「ハッ。まさか外から来た人間にそれを聞かされるとは思わなかったぜ」
「それ?」
「昔からこの国には霊銀信仰ってのがあってな。年寄連中のさらに爺さんや婆さん共は、霊銀には固有の意識があって、自ら俺達人間を守ろうとしているなんつー考えの奴が多かったんだ」
初耳だ、とリラは思った。
自分達聖女も大聖堂が窓口になって信仰の対象となっているが、霊銀も同じように扱われているということなのだろうか。
「だが、霊銀なんてのは、ただの石ころだ。使い方次第で毒にも薬にもなるってことを、様々な研究が実証してきた」




