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第九十話 夜道に気を付けた方がいい

 テラ・メリタの中央に位置する大都市ゲンマの夜を、一人の女が静かに歩いていた。青色のポニーテールが歩くたびに揺れる。

 月明かりの下を往くトリステスだ。

 主君に申し付けられたことは程なく済み、ここ数日は情報収集のために街中を散策、あるいは調査する日々が続いている。

 信頼と尊敬に値する二人の同僚は、幸福による自粛を命じられた。

 喜ばしいことだ。

 自分は、故郷を失い、王家に拾われ、アイテール王女の元、身命を賭して恩を返す人生を歩んでいる。その実現のためにあらゆる技術を身につけた。自分が女であるということを最大の武器にするべく、純朴なリラには到底話せないようなことも多く習得した。

 同じ女でも、モディのような生き方、そして幸せは望むべくもない。

 だが、今の自分が満たされていないというわけでもない。

 自分は、王家の要求に応えられている。

 尊敬できる友人――そう言っても、きっとモディは許してくれるだろう――のために動くことが出来ている。

 可愛らしい妹――リラも、笑って許してくれるだろう――が、慕ってくれている。

 悪くない人生だ。

 込み上げる微笑を引き込んで、トリステスは酒場のひとつに入った。

 情報収集のためには、こういう場所が一番だ。

 さらに言えば、こうやって扉を鋼鉄製にしているような、いかにも一見を出入り禁止にしているような怪しげな場所がいい。


「……らっしゃい」


 店内はこじんまりとしていた。

 カウンターに四席、テーブル席がひとつ。

 カウンターの奥の棚には、同じ銘柄の蒸留酒ばかりが置かれている。


「少ない量で酔えるものを」


 トリステスはカウンター席のひとつに腰を掛け、銀貨を一枚、丁寧にマスターに渡した。

 トクトクトクトク、と透明な液体がグラスに注がれ、トリステスの前に差し出される。

 客は、彼女の他にはテーブル席に二人の男がいるだけだった。


「どちらから?」


 マスターが、くぐもった声で言った。


「この街の前は、サクスムよ。その前は、ステラ・ミラのペリス。ぐるりとあちこちを巡っているの」

「いいですね」

「ええ、悪くないわ」


 他愛のない会話に興じながら、トリステスは耳を澄ませる。

 男二人の会話は、いつも通り、まずは自分に対する値踏みから始まっていた。胸、腰、尻、それからようやく顔の話になる。たいていの男が同じ話をするのには辟易するが、それを狙って肉体を鍛えていることを思えば喜ばしいことではあるのだろう。

 さらに耳を澄ませる。

 扉が鋼鉄製で難しさはあるが、店の外の音も聞き拾うようにする。

 夜にしては、人の往来が多い。

 しかも、走っている者もいるようだ。


「いかがですか」

「嫌いじゃないわね」


 ぬるい蒸留酒は喉に強い刺激をもたらすが、トリステスはまるで酔いを感じていなかった。

 生まれつき酒に対して耐性が強かったというわけではない。

 ロクス・ソルス王国で培われた薬草の知識は、毒への対抗策についても造詣が深い。トリステスが属する影の組織は、その知識を存分に活用し、虫毒や酒による体への悪影響を最低限に留める方法を確立している。当然、トリステスもその恩恵にあやかり、こうして、常人よりも遥かに優れたアルコール耐性を備えるに至っていた。


「お姉さん、お酒強いねぇ」


 テーブル席の男の一人が声をかけてきた。

 浅黒い肌をたっぷりと露出させて、それなりに筋肉質な体をアピールしているつもりなのだろう。


「ええ。今日は酔いたいんだけど、そううまくいかないみたい」


 いつもの文句で、いつもの展開へと誘う。


「それじゃあ、俺達と一緒に呑みかわそうぜ。その方がいい気分になれる」

「お手柔らかにね」


 一時間程立つと、男達は前後不覚になって昏倒していた。


「たいしたもんだ」

「ありがと」


 トリステスが酒代を支払おうとすると、マスターはそれを手で制した。


「あんたの勝ちだ。払いは連中にさせておこう」


 にやりと笑うマスターに、トリステスも微笑で返す。

 鋼鉄製の扉を押して外へ出て、トリステスはへべれけになる直前の男達から得た情報を頭の中で整理する。

 とは言っても、この数日、どこの酒場でも、めぼしい情報は得られなかった。

 同じ話ばかりだ。

 鉱山の仕事に従事している者達以外にも、瘴疽に罹る者が増えていること。

 それによって霊銀薬の需要が高まり、フォルミード商会は以前よりも力を増していること。

 現当主のメトゥス=フォルミードは気分屋で、この街の住人達に大いに恐れられていること。

 その理由として、彼の意にそぐわない商人が次々と吊るし上げられ、中には変死を遂げている者がいることがあるらしい。さらに、メトゥスは脛に傷のある人間達を傍に置いて重用し、問題の解決手段として暴力が選択肢の上位に来ているのだとも言う。

 一応、街としての警備隊はあるらしいのだが、フォルミード商会の息がかかっており、治安維持の務めは果たせていないそうだ。

 まるで恐怖政治だ、とトリステスは首を振る。


「あまり遅くなる前に帰った方がいいわね……」


 ぽつりと独り言ちたトリステスだったが、反射的に身を翻し、背後を注視した。

 人影――でも、この距離まで、音にも気配にも気付かなかった。酒が影響しているせいだと思いたい。


「おや、驚かせてしまったかな」


 老人だった。

 決して大柄ではない。

 しかし、時の流れを感じさせる白髪と髭に相反して、姿勢の良さと眼光の鋭さは、まるで年齢を感じさせない。


「この街では、夜道に気を付けた方がいい」

「忠告、痛み入るわ」

「特に、どこぞの国の密偵のような真似をしていては、命を危険に晒す」


 努めて顔色を変えないように、トリステスは無言で相手をねめつけた。


「忠告はした」


 老人はそのまま暗がりに入って行って姿を消した。

 トリステスは、長い間感じることのなかった冷たい汗を背中に感じていた。

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