第八十五話 損得で考えれば
翌朝、そろそろ出かけようかとアルとリラが支度をしているところに、訪ねようと思っていた相手が自ら姿を現した。
「ナトゥラさん」
「やぁ、リラ殿。屋敷で待っていようかとも思ったのですが、貴女の顔を見たくて気が逸って、来てしまいました」
ナトゥラがリラの前にひざまずき、スッと手を取り、口づけを交わそうとしたところで、アルが大きく咳払いをした。それにナトゥラが眉をひそめながら笑う。
「何か問題でも? 王侯貴族ならば、こんな儀礼的な挨拶は日常茶飯事でしょう」
「王侯貴族ならばな。ここにいる面々は、あくまでも一般人だ。そして一般人は、そういったことを人前では遠慮するものだ」
「そうですね、そういうことにしているのでしたね。それにしても当てが外れました、まさかリラ殿が真相を知ってなお、アル殿の傍に居ることを選ぶとは」
ちらと視線を送られて、リラは笑っていいものか迷い、微妙な表情で返す。
「まぁ、まだチャンスはありますからね。実際にロクス・ソルスへ行き、宮廷での生活を目の当たりにすれば、きっとリラ殿の気持ちに変化が表れるはず。こういう「読み」を、私は外したことがないのです」
「えっと――」
「リラ殿は深く考えなくて結構ですよ。ただ、このサクスムの街に来れば、私がいつでも歓迎するのだということだけ心の片隅に留めておいてください」
「あ~、親愛なるナトゥラ殿。そろそろ、本題をお聞きしてよろしいか?」
片目をつぶって言葉を挟んだアルに、ナトゥラがにやりと笑って返す。
「では、場所を変えましょう。音楽団の皆さんで話を聞いた方が手間も省かれるでしょうから、ベルム殿の部屋でお話ししますよ」
広い寝室の中、全員に囲まれてナトゥラは語り始めた。
「話を始める前に、ひとつだけ聞かせていただきたい。フォルミードの名を知っていること自体は不思議ではありませんし、ロクス・ソルスの人間、特に王家の血を引く者が彼らと接触を図るのも不自然ではない。しかし、彼らに接触しようとしたきっかけは、どこにあるのですか?」
アルがトリステスに視線を送る。
「私よ。ペリスの街で、あやしげな取引をしている連中を目にしたの。そして、彼らはフォルミード商会に関わる者だった。何か、我々にとって有意義な情報が引き出せるのではないかと思ったのよ」
「なるほど。ちなみに、その取引というのは、霊銀そのものだったのではありませんか?」
「……ええ、その通りよ。驚かないのね」
まぁ、とナトゥラは肩を竦めた。
「古来、このテラ・メリタという国における発言力は、保有する霊銀の量に比例すると言われ続けてきました。そしてここ最近では、他国に対しても同様だと考え、霊銀を外交手段に用いるべきだと唱える者も出てきています」
「その最たる例がフォルミード商会ということか」
「厳密にいえば、現会長のメトゥス=フォルミードです。彼はステラ・ミラ聖王国とパイプをつくり、商圏の拡大を狙っています。年齢は私とそう違わず、幼少の頃はよく一緒に遊んだものですが、彼の冷酷さや、時折見せる暴力性は、当時から好きにはなれませんでした」
息をついてナトゥラは続けた。
「私と彼との間に決定的な亀裂が入ったのは、私の親が瘴疽を患ったときです。奇しくも――そう、奇しくも、彼の親もまた、同じタイミングで瘴疽に罹った。リラ殿、我が両親を浄化したときのことを、覚えていらっしゃいますか」
「ナトゥラさんに会うまではすっかり忘れていましたが、今はだいぶ思い出せています。外傷はないのに明らかに瘴疽に罹っているという珍しい状況で、おそらく、内臓に瘴気がこびりついていたのだと思われました。直接患部に触れることが出来ない浄化は極めて難しいので、私より先にふたりの聖女が浄化に当たったにもかかわらず失敗しました。緊急で私が呼ばれて、なんとか成功した、という形でした」
「他の聖女が出来なかったことを、君はやってのけたのか。優秀だったんだな、リラ」
「え? えへへ……」
ゴホン、とナトゥラが大きく咳ばらいをして、リラは下を向いた。アルは、彼女の頭に当てていた手をしぶしぶ引っ込める。
「そういったことを、一般人は遠慮した方がよいのでは?」
「そうだったな。気を取り直して、続けてくれ」
「まったく……話を戻しますが、私の両親はリラ殿のおかげで一命を取り留めました。しかし、フォルミードの方は最期まで霊銀薬に頼り、あえなく命を落としました。どちらとも同様の瘴疽に罹っていたのだろうということが、後からの調べで分かっています」
同様の瘴疽、という言葉にリラは引っかかりを覚えた。
ナトゥラの両親が患っていた瘴疽はかなり珍しいものだった。それが、同じタイミングで、同じような立場の人物が罹るということがあり得るだろうか。
その疑問をそのまま口にすると、ナトゥラは大きく頷いた。
「そう。私は、その奇妙な偶然を看過できませんでした。何らかの、人為的な作用が働いていたのではないかと考えたのです」
「商人同士の足の引っ張り合い自体なんざ、そう珍しいものでもねぇんじゃねぇのか。大方、二大勢力の力を削ぐために、第三者が画策したってとこだろ」
「……違うかも。損得で考えれば、別の答えも導けるわ」
モディが中空を睨みながら続ける。
「最終的に最も得をしたのは誰か、ってことよ。ねぇ、若旦那。あなたのところって、お父さんが元々商会長だったんでしょ? それで、一命を取り留めた後、すぐに退陣したの?」
「いいえ。どうやら、モディ殿は真相に辿り着いたようだ」




