第七十七話 だから
静かな風が二人の周りを流れていく。
サァッ、と木々の葉が揺れて音を鳴らした。
緊張な面持ちで、アルはリラの言葉を待った。
「……ふふっ」
リラが小さく笑う。
「王子様だったんですね。そっか。だから……」
点でしかなかったいくつもの心当たりが、線になって結びついていく。
洗練されたリュートの技術、ベルム、剣術指南、モディ、騎士団、トリステス、気品。
不思議なほどにバランスのとれた楽器の構成も、そう組まれたものなら合点がいく。
旅の音楽団には似つかわしくない武力も、備わっていて当然だ。
何らかの事情と理由、あるいは使命をもって、彼らは祖国を離れて旅をしているのだ。
リラはハッとして、慌ててベンチを下り、地面に両膝をついて足の上で両手を重ねた。すぐそこにベンチがあるのに、二人とも地面に足を着くという奇妙な光景が生まれる。
「存じ上げなかったとはいえ、アルドール王子殿下への度重なる非礼をお許しください」
「リラッ!」
アルがリラの両肩を掴む。
顔を上げたリラの目には、みるみる涙が溢れてきていた。
「知らなかったのは、私だけなんですね」
「……ああ」
「モディさんも、トリステスさんも、ベルムさんも、みんな、貴族の方なんですね?」
「いや、それは違う。それぞれ宮廷に勤めてはいるが、生まれは貴族じゃない」
混乱する頭を必死に整理して、リラは目の前の青年を見ようとした。
それなのに、目に映る人物がよく見えない。
この人の名前は、なんていうんだっけ。
「……聖女だから?」
「え?」
「私が、聖女だからですか?」
大粒の涙がぽろぽろとこぼれていく。
「銀の爪が半分しかない落ちこぼれだから、都合が良かったんですか? それとも、歌で浄化が出来るから、利用できると思ったんですか?」
「違う……そうじゃない。そうじゃない!」
しゃくりあげるリラを、アルは必死に抱き寄せた。
ぐっと抵抗を感じながら、それでもアルは離さなかった。
「何度も打ち明けようと思った。でも、出来なかったんだ。君を失いたくなかった。真実を打ち明けて、こうなってしまうのが怖かったんだ」
嗚咽に喉が詰まる。
リラはぐしゃぐしゃになった頭のまま、想いを寄せたはずの人の声を必死に聞こうと努力した。
「名誉に誓って、君への想いに偽りはない。国を失っても、家族を失っても、君だけは失いたくないんだ」
信じたい。
でも、ここまで偽り続けた人の言葉を、信じていいの?
どうしたらいいの?
「リラって、普段は考え無しに動くくせに、考え始めるとむつかしく(・・・・・)しすぎるよね。で、大体失敗してる」
不意に、ずっと昔にかわした親友との会話が脳裏によみがえる。
「結局さ、リラの場合は、考えすぎてこんがらがるくらいなら、自分の気持ちに従った方がいいんだよ。人間が歩くときだって、右足出して、左足出して、次にまた右足出して……なんていちいち考えないじゃん」
「それで失敗しちゃったら? 歩き方を間違えちゃったら、転んじゃうでしょ」
「転んじゃったら、起き上がったらいいんだよ」
「それだと、また転ぶかもしれないじゃない」
「でも、前よりは上手に転べるでしょ?」
グッ、と力を込めて自分の体を引き離す。
夜空が見えないくらい近くに、彼の顔がある。
「私――」
ラエに背中を押された気がした。
「私、貴方が好きです」
リラは、アルの後ろに手をまわしてぎゅっと抱き寄せた。
「ベルムの容態は?」
寝室に戻ってきたモディに、トリステスは心配そうに尋ねた。既に寝るだけの状態になって、ポニーテールもほどかれている。
「いわゆるギックリ腰ってやつね。向こう一週間は安静にした方がよさそう」
「何かあったときのために、一緒に寝てあげた方がいいんじゃない?」
「何言ってんのよ。あたしが向こうで寝たら、殿下はどこで――」
トリステスの言葉の意図を理解して、モディは苦笑した。
「ないでしょ、さすがに。ない、ない」
「分からないわよ。真実を打ち明けて、リラがそれを受け入れたら、行くところまで行ってしまうかも」
「あんたが言うと冗談に聞こえないわよ」
「冗談じゃないもの」
トリステスは笑いながらも目は真剣だ。
「王族が婚前交渉なんて前代未聞だけれど、そもそもこうして数人の供を連れて放浪している時点で突飛な王子様だし。アイテール様からは尋常ならざるお叱りを受けるでしょうけど、アルドール殿下だから仕方ないと笑ってくださるような気もするわ」
「実際問題、ロクス・ソルスのことを考えたら、リラちゃんが殿下とくっついてくれるのは悪いことじゃないのよね……色々と問題も苦労も出てくるだろうけどさ」
モディは、祖国を蝕み、広がり続ける瘴気を思い浮かべた。
剣を持ってそれに立ち向かうアルドール王子の傍らに、祈るように歌うリラの姿を想像する。
ロクス・ソルスの宮廷に住まう貴族や大臣達は堅物揃いだ。王子が他国の、しかも聖女を妻に娶るなどと聞けば反発することは必至だろう。
だが、あの二人ならそういった困難も撥ね退けて添い遂げることも出来るかもしれない。少なくとも、あの二人はお互いのことを想い合っているし、既に支え合っている。
「……ん、わかった。ひとまず、あいつんトコ行ってくる」
「殿下が戻ってくる可能性もあるから、そのつもりでね。それに、ベルムのために腰は安静にしてあげなきゃだめよ?」
「わ、分かってるわよ! トリステス、あんた、ちょっと口が軽くなりすぎてない?」
顔を真っ赤にして寝室を出て行くモディを、トリステスはにっこり笑って見送った。




