第七十五話 まずはお祝いを
ナトゥラが反撃に転じた瞬間、観衆がどよめいた。
彼が放ったのが、曲刀による斬撃ではなく、蹴りだったからだ。
アルがそれを腹部に受けると、次の瞬間、アルの視界はナトゥラが纏っていた衣によって塞がれた。
空気の流れから見て、ナトゥラが飛び上がったらしい。
空中に浮いたはずのナトゥラを迎え撃つべく、アルが剣を上段に構える。
アルは空中の、ナトゥラがいるであろう位置に突きを繰り出し、その手ごたえの無さに顔を顰めた。
違う。
ナトゥラは飛んでいない。
飛んだかに見せかけて、上に衣だけを放ったのだ。
アルの姿勢は上に伸び、腰から腹部にかけて完全に無防備になった。
「もらったっ!」
「アルさんっ!」
地を這うような斬撃が、低い姿勢から繰り出される。
確信に満ちた曲刀がアルの胴体に襲い掛かる。
「ぅぐぅっ!?」
ナトゥラの体が強烈な勢いで床に叩きつけられた。
無防備だったはずのアルが、剣の切っ先を天に向けたまま、ポンメルと呼ばれる、剣の柄頭部分を垂直に振り下ろしたのだ。曲線的な動きをしたナトゥラよりも、直線的なアルの動きの方が一瞬早く相手に到達していた。
「ぐっ――」
「そこまでっ!!」
死に体となった若き商会長を救ったのは、司会による決着の宣言だった。
「ふーっ……」
ステージ下で見ていたリラとトリステスが、同時に息を吐きだし、互いの顔を見て同時に笑った。
「生きた心地がしませんでした」
「素晴らしい勝負だったわね。あのタイミングで回避せずに反撃に転じるなんて、無茶もいいところだけど、よくやったわ」
アルがナトゥラに手を差し伸べる。
「大丈夫か?」
ナトゥラはアルの手を取り、つらそうに立ち上がりながら口を開く。
「まったく、とてつもない使い手もいた者です。よもや、秘剣『地擦り残月』をかわされるどころか、反撃まで見舞われるとは」
「紙一重だった」
「偶然、と言わないということは、読んで狙っていたということですか」
「たまたまだ」
「両者の健闘に盛大な拍手を送りましょう!」
雷を想起させるほどの拍手の中、数人がステージに上がり、ナトゥラを担架に乗せて降壇した。それと入れ替わるようにして、大剣を担いだ大男が姿を表す。
「よぉ、色男。中々悪くねぇ戦いぶりだったじゃねぇか」
「師に恵まれたおかげだな。あの夜、俺を厳しく叱咤してくれたこと、心から感謝している。おかげで、ロクス・ソルスの剣技の神髄を思い出すことができた」
へっ、と鼻で笑ってベルムが続ける。
「実のみを以って剣とする、ってか? んな難しい話じゃねぇよ。頭の中が女のことでいっぱいの奴が、真っ当に戦えるもんかってんだ。剣を握ったからには、ただ目の前の相手に集中するのみ。それが出来ないなら死ぬだけだ」
さて、とベルムが続ける。
「お疲れのようなら、休憩を挟んでやってもいいぜ?」
「すかさず壇上に足を運んできておいてよく言う。それに、大恩ある師を待たせるわけにもいくまい」
アルが剣を構えると、群衆が沸いた。
いつの間にかリラの隣に来ていたモディが大きく口を開いた。
「あたしに恥かかせといて、負けたら承知しないわよー!!」
「ほら、リラもアルに何か言ってやりなさいな」
「え、えと……ア、アルさん、頑張ってくださーい!!」
丸く輝く月の下、両雄は激突した。
「お~、痛ちちちち……」
「あんだけいい勝負しといて、腰を痛めたから降参って、恥ずかしいったらないんだからっ!」
椅子に座って休むベルムを、モディが勢いよくひっぱたく。
「痛ってぇな、盛り上がったんだからいいだろが」
「大爆笑で盛り上がらせてどうすんのよっ! あたしを担いで笑いをとったのは百歩譲っていいとして、せっかくの決勝戦までお笑い仕立てにしちゃって、も~!!」
ビシバシとはたき続けるモディを置いて、アルが微笑む。
「ナトゥラを破った俺が決勝で負けては、街の顔である彼の株をさらに下げると思っての判断だと思ったが、違ったか?」
「おっ、さすがはアルだ。よく分かってんじゃねぇガハァッ!」
「調子のいいコト言ってんじゃないっての、まったく!」
「お邪魔してもいいかな?」
爽やかな声と共に姿を見せたのは、ナトゥラだった。
「まずはお祝いを言わせてもらおう、アル殿。優勝おめでとう」
「ありがとう、ナトゥラ殿」
続けて、ナトゥラはリラの方に向き直った。
「この哀れな敗者にかけていただく言葉はありますか、リラ殿」
「え、と――具合は、大丈夫ですか?」
「ええ、それなりに鍛えてきたことに意味があったようで。危うくアル殿に命を奪われるところでした」
「笑いにくいです……」
顔を引きつらせるリラの前にナトゥラは跪き、その手を取って素早く口づけをした。
アルが言葉になりきらない声を漏らすと、ナトゥラがにやりと笑ってアルを見た。
「剣の勝負は負けましたが、それでリラ殿への想いを諦めるとは一言も言っていませんからな。賭けはあくまでも、貴方が必要とすることに対して協力を惜しまないというだけのこと」
それに、とナトゥラは続ける。




