第七十二話 気温が高くなりそう
風が強く吹くと、砂が舞って視界が黄色く染まる。
そんなサクスムの街が、朝から熱気に包まれていた。
月に一度の大市である。
「すごい人ですね……」
大通りを埋め尽くすほどの人だかりに、リラはぽかんと口を開けた。
コルヌの都で開かされる大きな祭でも人だかりは見ていたが、それに勝るとも劣らない熱狂ぶりに見える。
「この街が栄えてる証拠ね。商人が元気な街は、街全体が元気になるから。ほら、あそこ見てみて」
モディが指さした方向には、少し高くなったステージで肌も露わに舞い踊る女性が何人もいた。その周りでは、大勢の男が手を挙げている。よく見ると、手に何かを握っているようだ。
「あれは……?」
「真昼間から女性に値を付けて買おうとしてるのよ。行ってみれば、女性オークションね」
言葉を失って驚くリラの頭を、モディはぽんぽんと優しくたたく。
「需要と供給があれば、商売はなんだって成り立つわ。そして人間の欲求はあらゆるものを求める。野蛮に見えるかもしれないけど、あそこに満ちてるエネルギーたるや、凄まじいと思わない?」
「それは、そうですけど……なんていうか……」
「リラちゃんだって、売り買いはしないまでも、そういうこと自体はその内に恋人とするんだから、恥ずかしがってばかりいられないわよ?」
顔を真っ赤にしたリラに、モディはまたぽんぽんと頭をたたいた。
「さ、行きましょっか。午前中は依頼された公演をしっかりこなさなくっちゃね」
広場に特設されたステージに向かうと、そこには既に楽器や椅子がきちんと設置されていた。おひねりを入れる先も、普段はその辺にある樽や壺を使うだけだが、今日ばかりは美しい絵の描かれた焼き物の皿だ。しかも、それがあちこちに置かれている。
「完全にお祭り騒ぎってやつだぜ、こりゃあ。盛り上がる曲しか許されなさそうだな」
「あまり盛り上がると、私の声、聞こえなくなってしまいそうなんですが……」
ウェルサス・ポプリ音楽団の一員になって、モディやトリステスから教わりながら、通る声の出し方について学んでは来た。だが、さっきの女性目当てのステージにおける熱狂ぶりを思うと、さすがに自分の声が負けてしまうような気がする。
「大丈夫だ」
アルが笑って言った。
「自分勝手に叫ぶよりも、リラの声に聞き入った方がいいということがすぐにわかる。自信をもっていこう」
「――はいっ!」
ふたりの距離の近さに、トリステスが苦笑する。
「やれやれ、今日はいつもよりも気温が高くなりそうね」
「違いねぇ」
「よ~し、行っくわよ~!」
――
遥かな砂漠の彼方 探してた未来の場所
ひと雫の奇跡がそこに 幸せの扉を開く
暑い風が吹き抜けても 心は安らぐこの場所
緑の葉が優しく揺れてる 歓迎の歌を奏でる
オアシスよ 憩いの場所よ
荒野に咲くその輝きが
夢と希望を運んでくる
――
公演の途中で何度も水分を補給しながら、リラは額に玉のような汗を浮かべて懸命に歌った。
はじめは観客たちの盛り上がりに声が消えてしまいそうな場面もあったが、次第に、アルが言っていたようにうっとりと聞き入る者ばかりになった。
歌を求める人数は時間とともに増えていったが、それによってリラの声が妨げられることはなく、かつて屍鬼達が集まった夜の街のように神秘的な時間が砂の街にも流れた。
あらかじめ決められていた時間が訪れ、観衆のほとんどが追加の演奏を求めたが、そのタイミングで一人の人物が歩み出た。
サクスムの街で最も発言力を持つ商会の長、ナトゥラ=オーウォだ。
「やぁやぁ、敬愛する我がサクスムの街のみなさん!」
「っか~、たいした役者だぜ。これ以上ないタイミングで出てきやがる。性根の悪さが滲んでェブッ!」
「一応お世話になってる身なんだから、言葉に気を付けなさいっての」
リラの歌に聞き入っているときとは違う雰囲気の中で、群衆が彼の声に耳を傾ける。
「彼らの演奏をもっと聞いていたい、それは至極ごもっとも。しかしご安心を。彼らは今日この日、大市の最後まで、我らと時間を共にしてくれることになっております」
一拍置いて、ナトゥラは続ける。
「日没とともに始まる剣劇に、彼らは参加してくれるのです!」
地鳴りのような反応が返ってくる。
そして、観衆から同じような言葉が連呼された。
「久しぶりに旦那も出てくれ」
一身に声を浴びたナトゥラは満足そうに頷き、両手を掲げ、さらに人々を熱狂させた。
その後ろで、トリステスがアルに耳打ちをする。
「群衆の言葉を聞き分けた感じ、どうやら、若旦那さんは大市の剣劇の常連のようね。しかも、相当な使い手として知れ渡っているみたい」
「そうだろうな。明らかに対人の戦闘に慣れていた」
アルが不敵に笑う。
「随分余裕そうね」
「ああ。リラの前で二度も醜態を晒すような真似はしない。向こうはそれを狙っているのだろうがな」
一瞬迷ったような表情を浮かべてから、トリステスはもう一度口を開いた。
「リラには、真実を伝えたの?」
「……いや」
「話を聞いた感じ、ナトゥラは既に私達の正体に気付いていて、それを種に動揺を誘われたんでしょう? 今夜、彼を負かしたとして、意趣返しに暴露される可能性もあるわ。彼女のことを思うなら、きちんと――」
「アルさん、トリステスさん! 一旦宿に戻ろうって、ベルムさんが」
やり遂げた充実感を弾けさせて、リラが二人に声をかける。
二人はお互いに言葉を呑んで、仲間達と広場を後にした。




