第六十七話 よく分からなくて
「ストップ、ストップ」
モディがリラの両頬を包む。
「リラちゃんがアルの奴をかばいたい気持ちはすごく伝わるけど、それを本人に伝えるのはやめてあげてね。ただでさえはらわたが煮えくり返ってるところに、貴女に情けをかけられたら、怒りで憤死するかもしれないから」
でも、とリラが言いかけたのを、今度はトリステスが制した。
「剣士として負けた恥辱だけじゃないわ。想いを寄せる女性の前で恥を掻かされたことの屈辱もある。今は、そっとしておくのが彼のためね」
「想いを寄せる……でも、アルさんは、別に私を――」
「ここじゃなんだから、部屋に戻りましょっか。続きは寝間着になってからにしましょ」
モディが打ち切る形で玄関先の談義は終わり、三人は寝室へと戻った。途中、ベルムとアルがいるであろう部屋の前を通ったが、中の様子はリラには分からなかった。
それぞれが寝るだけの格好になると、三人ともリラのベッドの上に胡坐をかいて座った。
モディが、リラにどんなことがあったのかを話すよう促し、リラは一通りのことを隠さずに語った。
「なるほどねぇ。我らが王子様は、大いに動揺してしまってたってわけだ」
「王子様?」
きょとんとするリラの横で、トリステスがため息をつく。
「言葉の綾よ。モディ、誤解のないように気を付けながら、続けて」
「あ、あはは……話を戻すけど、リラちゃんと若旦那さんが手を繋いで歩いてるのを目撃して、アルはかなり動揺したと思うわ。だって、彼、そういう経験皆無だもの。ただでさえここ最近動揺しまくってたところに、それがとどめになって切っ先が鈍ったわけだ。若いわね~」
でもね、とモディは目つきを少し鋭くして、リラをじっと見た。
「リラちゃんもリラちゃんで、ちょっと無防備すぎたかな。貴族の舞踏会ならまだしも、街中で手を繋いで歩くのをあっさり認めちゃったら、相手の男としては、自分に対して少なからず好意を持ってるって判断しちゃうわよ」
「そうですか? でも、聖女が手を触れることは当たり前ですし、大聖堂にいた頃はよくラエと手を繋いで――」
ちっちっ、と指を動かしてモディが続ける。
「そこが甘いんだな~、リラちゃん。世の男どもってのはね、体がちょっとでも触れたら、イケる、ヤレるととんでもない勘違いをする生き物なの。女同士ならいざ知らず、軽々しく男に体を触れさせたら駄目よ。いい、リラちゃん。男女の付き合いっていうのは、断る場合ははっきりと、可能性がないってことを断言して伝えなくっちゃあ駄目なの。もしかしたら、なんて淡い期待をもたせることほど残酷なことはないのよ」
はい、と小さく返事をしたリラに、モディは苦笑した。
「それはさておき、問題はアルの方よね」
しばし中空を見上げてから、モディがリラをじっと見る。
「リラちゃん、アルのこと、好きでしょ?」
「すっ――」
顔を真っ赤にしたリラに、モディはフッと笑った。
「仮に、よ。仮に、リラちゃんがアルに対する気持ちに見て見ぬふりをして、あの若旦那さんと添い遂げる結果になるとしても、他の誰かに気持ちがちょっとでも残ってる状態だとしたら、絶対にうまくいかないわよ。諦めるなら諦める、諦めないなら諦めないで、まずは目の前のこととちゃんと向き合わなきゃ」
「モディさん……」
いつになく真剣な『姉』の物言いに、リラは背筋を伸ばした。
「さすがはモディね。これまでに数多くの恋をして、目移りしては何股もかけてきた女は言うことが違うわ」
「そうそう、ベルムの奴に会うまでにどれほどの男に哀しい思いをさせてきたことか――って、適当なこと言わないでよ、トリステスっ! リラちゃんが信じたらどうすんのよ!」
静かに笑いながら、リラは自分の気持ちを整理しなければと思考を巡らせていた。
そして、ぽつりと言葉を紡ぐ。
「私……アルさんのこと、好きかどうか、よく分からなくて」
ふたりの『姉』が、口を閉ざして真剣な表情になる。
「アルさんのこと、素敵だな、と思ってます。感謝もたくさんあるし、憧れみたいな気持ちもあって。でも、これが男性に対しての恋の気持ちなのかどうかと言われるとよく分からないというか。実際、今日ナトゥラさんと食事をしていて、楽しいっていう気持ちは感じたし――」
「私は、その決闘じみた余興で、リラがアルの名前を叫んだのが答えだと思うけど」
トリステスは続けた。
「ペリスの街で、私とアルが男女関係にあるんじゃないかと疑ったことがあったでしょ?」
「え、何それ? 私、知らないんだけど――」
「モディは黙ってて。そうじゃないと分かって、リラはどう思った?」
「……安心しました」
ふふ、と笑ってトリステスが言葉を紡ぐ。
「感情や想いを言葉にするというのは、とても難しいことよね。だからこそ、無意識に出る行動や、咄嗟に出る反応が本音を現してくれる。客観的に見て、リラのアルに対する気持ちは、恋心と言われるものだと思うわよ」




