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第六十六話 試しに

「なんだと?」

「もちろん、お互いに怪我などせぬように、鞘で」


 リラは緊張というよりも不安な面持ちで二人の様子を見守った。

 今、二人の距離は、少なくともアルが踏み込んで一太刀見舞うのに十分な距離に見えた。

 二人が戦う理由はない。むしろ、戦うべきでない理由の方が圧倒的に多い。

 それにも関わらず、二人の目は静寂な月下の街にそぐわない威勢を帯びている。


「一宿一飯どころか、連日世話になっている方を相手に、鞘とはいえ剣を向けること等出来るはずもない。ご冗談が過ぎるな、ナトゥラ殿」


 一笑に付したアルだったが、次の瞬間、顔色が変わった。

 ナトゥラが剣を抜き、その切っ先を地面に突き立てたからだ。石畳が敷かれていない砂の大地に、三日月の剣が剣先を隠した。


「余興ですよ。私がリラ殿と過ごした、素晴らしかった一夜を締めくくるための。金持ちの道楽だと思って、あるいは宿代だと思って、僅かな時間、お付き合いいただけませんか?」

「……いいだろう」


 リラが口を挟む隙間は無かった。

 アルは相手と同じように剣を抜いて砂場に突き立て、鞘だけを持って構えた。

 先に仕掛けたのはナトゥラだった。

 大上段から打ち下ろして、二撃目、三撃目と流れるように攻撃を繰り出していく。


 やるな、とアルは鞘で受けながらナトゥラの剣技を分析していた。

 ロクス・ソルスの実直な剣技とは質が違う。

 明らかに無駄な動きが織り交ざっていて、隙だらけにも見えるのだが、緩急の差が激しいせいで手を出す場面が限られる。間違ったタイミングで反撃に出れば、その反撃の機先自体を撃ち落とされて終わるだろう。

 ましてや、今、手にしているのは剣の鞘だ。

 手に馴染んだ剣ならまだしも、間合いもとりにくいし、剣撃も十分な速度は出せない。

 対して、相手はこのやり方に慣れているらしく、動きに澱みがない。

 こういう手合いの遊びをしたのは随分昔の記憶の中だけだな、とアルは受けに回らざるを得なかった。もっとも、怪我をさせて大事にするわけにもいかないから、終わらせ方についても一考しなくてはならない。


「これで街中で身を護れる程度とは、よく言ったものだ。サクスムの街は、余程の強者が悪さをする危険な街らしい」

「いえいえ、極めて治安のよい街ですよ、ここは。惹かれ合う男女が連れ立ってのんびり食事が出来るほどに」

「惹かれ合う男女?」

「気に障りましたか?」


 再開された剣の舞に、リラははらはらと落ち着かない様子で見守る。

 ふたりとも、何か会話をしているらしく口が動いているのは分かるが、距離もあって聞き取ることは出来ない。


「リラ殿が心配そうにしていますね」

「怪我を案ずるのは当然だろう」

「どちらが、でしょうね」

「どちらも、だろう」


 切り結びながら、二人の剣士が言葉を交わし続ける。


「そうでしょうか」

「何が言いたい」

「彼女の視線は貴方に向けられている」

「気のせいだろう」

「だが、それはあくまでも今のところ」

「意味が分からないな」

「彼女は真実を知らないがゆえに貴方を見ているのだ」

「何のことだ」

「いや、貴方自身が知らせていないゆえに、かな」

「よくもまあ口が回るものだ――」

「試しに知らせてみましょうか、アルドール王子殿下」

「!」


 一瞬の隙だった。

 急激に加速したナトゥラの一閃が、アルの鞘を大きく横に弾いた。勢いで、アルの上体が横に崩れる。それは、剣術に心得のない者が見ても、致命的な瞬間だと分かるほどだった。

 さらに一歩、ナトゥラが大きく踏み込んだ。


「アルさんっ!!」

「おっと」


 踏み込みかけた足を、ナトゥラがさっと引いた。

 そして、地面に突き立てていた曲刀を鞘に戻し、ふぅと息をつく。


「腹ごなしの運動としては、少々激しくなりすぎましたね。私はこのまま邸宅へ戻ります故、送りはアル殿に引き継いで頂きましょう。それでは、おやすみなさい」


 そう言って、ナトゥラはスッとリラの前に膝をつき、手を取ってそっと口づけをした。


「有意義な一夜をありがとう、リラ・・


 リラが、ナトゥラの立ち去るのを呆然と見ていると、アルはおもむろに剣をとって鞘にしまった。


「アルさん、大丈夫ですか――」

「大丈夫だっ」


 遮るように、そして吐き捨てるようにアルは言った。

 何か声をかけなくちゃ、と思いながら、リラは宿までの道を一言も発さずに歩き続けなければならなかった。

 アルからほとばしる、怒りのような雰囲気のせいもあった。

 だが、それ以上に、アルが戦いで後れを取ったのを初めて目の当たりにしたショックも大きかった。

 宿に戻ると、モディとトリステスが玄関先で待っていてくれて、リラは衣装が変わっている理由と自分の無事を口早に説明した。だが、その間にアルはさっさと中に入って行ってしまった。


「どしたの、あれ?」

「実は――……」


 『余興』の一部始終を伝えると、モディとトリステスの二人はあからさまに顔を顰めた。


「いよいよ本腰入れてきたって感じね、若旦那さんは。わざわざリラちゃんの前でアルに恥を掻かせようとして、まんまとそれに成功したわけだ」

「随分と調子のいいことをしてくれたわね。もっとも、彼の腕前が、アルが後れを取るほどだったとは驚きだけど」


 リラは言うべきか逡巡し、それでもと思い直して言葉を紡ぐ。気持ちが先行して、口早になる。


「で、でも! 私の目から見て、アルさんの動き、いつもと違いました。ぎこちなかったというか……普段はもっと、ナトゥラさんよりもスムーズな感じで、つけ入る隙がなさそうなのに。それに、終始受け身だったのもおかしかったですし、もしかしたら相手を傷つけないように立ち回ろうとして、それで――」

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