第六十三話 淡い期待
「午前はマーチで街中を回って、夕方は中央広場ってとこで陣取って公演だな。昼から夕方にかけては各自自由行動にするが、国が変わって勝手がわからんから、出来れば、一人で行動するのは避けるんだぜ」
こうしてウェルサス・ポプリ音楽団としての方針が決まり、彼らの歌声と演奏が街中に響き渡り始めた。ナトゥラが耳にしていたように、ステラ・ミラ聖王国の旅の音楽団の噂は、それなりに知れ渡っているらしいことがすぐにわかった。
「暁の歌姫~! こっち向いて~!」
「夜明けの歌い手~! 手を振ってくれ~!」
音楽団を見かけた人々が、リラに向かって大きな声で呼びかける。
「すっかりというか、既に人気者になってるわね、リラちゃん」
「仰々しすぎて恐縮な二つ名ばかりです……」
「ステラ・ミラでの活動の成果がしっかり出てる感じね。ペリスの街での活躍が一番大きかったのは間違いないでしょうけど。これなら、街の広場を巡って公演をするパターンの方がいいかもしれないわ」
三日と待たず、夕方の公演には多くの客が押し寄せるようになった。瘴疽を患って浄化を求めて、という客はおらず、ほとんどが彼らの演奏を、もとい、噂の歌姫を一目見ようと足を運んでいる様子だった。
普段なら大量のおひねりをカバンにしまい、片付けを率先してやるベルムが、リラを呼んだ。モディ、トリステス、そしてアルは、ベルムから何か言われてあったらしく、さっさと片づけて帰途につこうとしているところだった。
「よぉ、ちょいと話があるんだが」
「はい」
「この街での活動は早めに切り上げて、来週には次の街に行こうかと思ってるんだが、どうだ?」
「どうしてですか? トリステスさんは、規模的に二週間くらいを見込んでるって言ってましたけど……」
どうもこうも、とベルムが頭を掻く。
「あの若旦那、毎日毎朝毎晩、お前さんに好き好き言い続けてるだろ? モディの奴が、その内、間違いが起きるんじゃねぇかと心配していてな」
「間違いって……そもそも、私はモディさんとトリステスさんと同じ部屋ですから、そういう心配はないと思うんですけど」
「んなことわかんねぇぜ? 男ってのは、俺も含めて惚れた女のためなら思い切った行動だってするもんだ。今日明日にでも、お前さんを一人食事に誘って、帰りに引っ張ってどこぞに連れ込む可能性だって――」
「やぁやぁ、ウェルサス・ポプリ音楽団のみなさん!」
人ごみの中から、聞き慣れ始めた声がした。浅黒い肌に煌びやかな飾りをつけて、ナトゥラが姿を見せる。
「今日の演奏もたいへん素晴らしいものでしたね。連日連夜聞かせて頂いているが、毎晩の演奏がそれぞれ違ってなんとも興味深い」
「お褒めに預かり光栄だぜ、若旦那。おかげさんで、稼ぎも随分いい」
「それは重畳。ところでリラ殿、今宵この後、少しお時間を頂けませんか? 是非お招きしたいレストランがあるのですが」
ぎくりとしてリラはベルムの顔を見る。ほれ見ろ、とばかりに団長は肩を竦めてみせた。モディとトリステスも怪訝そうに首をかしげている。アルは一人、背中を向けていた。
「時間は……あの……」
助けを求める視線をベルムに送ると、タフな団長はボリボリと頭を掻いて若き商会長を見た。
「なぁ、若旦那。俺も男でこの年だ。惚れた女を誘うくらいのことにああだこうだ言うつもりはねぇよ。だがな、万が一にでもウチの歌姫を傷物にでもしたら、それなりの落とし前を求めるぜ。これは脅しじゃねぇ」
「肝に銘じておきましょう。無論、彼女と添い遂げたいと願ってはいるが、手段を選ばないような男は彼女に認められないだろうことは承知しております。皆様が就寝するまでには館に帰しますよ」
「リラ」
ベルムが振り返り、リラにだけ声が聞こえるように体を屈めた。
「珍しく真面目なアドバイスをさせてもらうが、男女の付き合いってのは、断る場合ははっきりと、可能性がないってことを断言して伝えなくっちゃあ駄目だぜ。もしかしたら、なんて淡い期待をもたせることほど残酷なことはねぇ」
「肝に銘じておきます……」
可能性がない。
そうなんだろうか。
自分がアルに対して淡い思いを抱いているのは確かだけれど、それこそ可能性がないように思える。それなら、むしろナトゥラと自分が一緒になることの方が可能性がある、という見方が出来てしまう気がする。
「遅くなるようなら迎えに行くから、場所だけ聞いてもいいかしら」
「ええ、構いませんよ。場所は――」
トリステスとモディがナトゥラから話を聞いている最中も、アルは背中を向けてどこかを見ていた。
実は、彼の気持ちは自分になど向いていなくて、自分が誰と何をしようが興味なんてないんじゃないだろうか。
ナトゥラの「道案内」はほどなく終わり、ベルム達はリラとナトゥラを置いて館へと帰って行ってしまった。
彼らの後姿を見送って、リラは「あっ」と声を上げた。
「私、楽団の服のままなんですけど」
「ご心配なく。近くに我が商会自慢の仕立て屋もありますから、そこでお召し物を変えるとよろしい。さ、行きましょう」
差し伸べられた手に対して、リラは断り方を知らなかった。こわごわ触れると、そのまま強引に手を繋がれて歩くような格好になってしまった。
まるで、恋人同士みたい。
そんな発想が生まれて、リラは思わず顔が熱くなるのを感じた。




