第五十八話 遅きに失した
音楽団の女性陣三人が熱烈な歓迎と寝る場所選びに盛り上がる中、すぐ隣の部屋ではベルムが腰を落ち着けていた。ところが、もう一人の人物はそわそわと部屋の中を歩き回っている。
「ちょっとは落ち着いてくださいよ、殿下」
「俺は充分落ち着いている」
即答する主君に、ベルムは参ったなとばかりに髭を撫でた。
ウングラの街で神秘的な浄化の一夜を過ごし、ウェルサス・ポプリ音楽団は古びた街道を抜けて北へ北へと向かった。フルメン台地と呼ばれる荒野を抜けて、獣鬼の群れを数度追い返し、少ない食料を切り詰めて、ようやくたどり着いたのが鉱山都市サクスムだった。
すぐに宿を見つけて休みをとろうと話していた矢先、いかにも金持ちらしい出で立ちの若い男が話しかけてきたのが難事の始まりだった。
「ナトゥラ=オーウォでしたっけ? あいつの親の命を救った恩人がリラだってんで、宿の世話をさせて欲しいっつーからお言葉に甘えて見りゃ、それがこんなとんでもない屋敷に案内されるとはねぇ。モディのやつに聞けば知ってそうですが、間違いなく金持ちの一族なんでしょうな」
「オーウォ一族の名は、俺も耳にしている。養鶏で成した財をもって霊銀採掘の事業を始め、まさに一山当ててテラ・メリタでも有数の商人の地位を築いた者達だ。俺は、直接の面識はないが、ロクス・ソルスの王城へも、来賓として一度は来ていたはず」
ははぁ、とベルムは頷いた。
「王家としての身の上がバレるかもしれないってんで、そわそわしてたっつーことですかい。殿下はじめ、王族は代々燃えるような赤い髪が特徴的ですもんね。俺ゃ、てっきり――」
「てっきり、なんだ」
「……あ、いや、なんでも」
ベルムは頭に浮かんでいた言葉を飲み込んだ。同時に、ナトゥラという男がリラに迫る距離のなんと近かったことかと思い出す。親の命の恩人だからというだけではないだろう。明らかに恋慕の情を感じさせた。それが明らかだから、アルドール王子も心中穏やかでないのだ、と思っていた。
妻のモディとも何度も話題にしているが、殿下とリラが想い合っているのはおそらく間違いない。そして、殿下が身上を秘匿していることについてどんどん後ろめたく感じていることも間違いないだろう。どこかのタイミングで打ち明けて、良い形に納まってくれればいいと思っていたが、まさかこんなことになってしまうとは。
トントントン、と扉が敲かれ、ベルムが返事をした。
開いた扉から姿を見せたのは、まさに渦中の人物だった。
「ご挨拶が遅れて申し訳ない。私は現オーウォ商会の会長を務めております、ナトゥラです。聖女リラ様を擁するウェルサス・ポプリ音楽団の団長ベルム殿、そして気高きリュート奏者アル殿。以後、お見知りおきを」
流麗に自己紹介をし、深々と腰を曲げるナトゥラに、二人も深々と頭を下げて返した。
「ありがたく世話になるぜ、若旦那」
「なんなりとお申し付けください。我がオーウォ一族の恩人、聖女リラを歓待するためならいかなるご注文にもお応えしましょう。先立っては、皆様の旅の苦労をねぎらうべく、急ぎ食事の用意をさせます。一時間ほどしたら使いの者を寄越しますので、ごゆるりとお休みください」
了承する二人に一度背を向けたナトゥラだったが、部屋を出かけて、もう一度振り向いた。その視線は、団長ではなく、赤毛のリュート奏者に向けられている。
「……何か?」
「見事、端正な顔立ちでいらっしゃる。私共オーウォの一族は代々瞳の色が緑色で、翠玉のようだと囃されるが、貴方の深い赤の瞳は紅玉のようだ。そしてその、原初の火を思わせる赤い髪――」
一瞬、鋭い沈黙が部屋を包んだ。
ベルムは自分でも音が聞こえるほどに固い唾を飲み込んでいた。
「聖女リラといい、他の女性陣といい、見目麗しい音楽団ですな。なんといっても、団長殿からして逞しく、精悍でいらっしゃる。是非とも、近い内に皆様の音楽を聞かせて頂きたいものです。それでは、失礼いたします」
ナトゥラが出て行き、ベルムは大きく息を吐いた。やれやれと呟いて言葉を続ける。
「焦りましたよ。野郎、いきなりあんなことを言いだしたから、殿下のことを感付いたのかと」
「……感付いたのかもしれん。腰は低いが、あの鋭い目――金持ちのボンボンなどでは決してなさそうだ」
え、と驚くベルムにアルドールは苦笑した。
「ペリスの街では、お前が桃熊聖騎士団の団長ムスケルに面割れしないようにと顔を隠してもらったが、ここでは俺がそうするべきだったようだ。もっとも、既に遅きに失したが」
「予想だにしないことが起きたわけですから、仕方のないことですよ。どうです、これを機にリラに正体を打ち明けるってのは」
半分は冗句として、もう半分は本気の提案としてベルムは言葉を紡いだ。アルドール王子の反応を、静かに待つ。
「そうしたとして、彼女はどんな反応をすると思う?」
「まぁ……驚きはするでしょうが、その他のことはなんとも。モディの奴にも、俺は女心がちっともわからないと叱られ通しですからね。それこそ、モディやトリステスに聞いてみたらどうです?」
「……そうだな」
ふっと視線を外したアルドールを見て、ベルムはどうしたものかと鼻から大きく息を吐いた。




